さよならを忘れて/ピンクの魔法

秋色

ピンクの魔法

 四月の第一土曜日、いつもは静かな山あいの自然公園に笑い声がさざめいていた。一年に一度、桜の季節になると、この公園は賑やかになる。ピンクの綿菓子のような花であふれた公園では、ほんの微かな風で花びらが雪のようにキラキラ舞う。

 肩までの真っすぐな黒髪を耳にかけた大人しそうなその女の子は、両親と家族三人でレジャーシートの上に座っていた。

 名前は藍。漢字が難しいので、友達に説明するのが難しいと、最近やさしい名前の同級生をうらやましく思う事のある女の子。そして小学四年生の新学期をすぐ前にしたその春休み、朝起きた時の空気がヒンヤリ冷たいので、まだ冬の続きのような気がしていた子。桜の花を見るまでは。


 藍達三人は、ピンク一色の公園の風景を眺めながら、会話は途切れがちだった。持ってきたお弁当の中身は三色おにぎりとケチャップで炒めたウインナー、卵焼き、キュウリのチーズサンド、鶏のからあげ、それに砂糖漬けの夏みかんとドーナツ。ほとんどお父さんの手作りだ。本当はお母さんの方が料理は得意だけど、最近具合が悪いので、お父さんがよくキッチンに立つ。

 前方には元気に駆け回るどこかの家族連れがいた。小学生の三人の子ども達が、母親とボール遊びをしている。二年生か三年生位の小さな女の子とそれより少し年上の坊主狩りの男の子、それに藍よりちょっと年上のお兄さん。母親は途中で遊びから抜けた。


 藍の心の中でいつものように空想が広がる。

――あの子達と友達になって一緒に遊べたらな。もしそうしなったら五月の連休に一緒に遊園地へ行って、観覧車に乗ったり、メリーゴーラウンドに乗ったりするかもな。いつか、お父さんの車でちょっと遠いホームセンターに行った時、車の窓から見えた赤い観覧車。あの観覧車のある遊園地にいつか行きたいと思ってた。メリーゴーラウンドがそこにあるかどうかは知らない。あれは海岸沿いにある遊園地だ。

 そうだ。もし友達になったら、今度の夏には、あの家族と一緒に海に行くかもしれないな。海……。去年の夏は、家族三人で行ったっけ。いや、四人だったのかもしれない――

 

*******


 去年の夏の終わり、家族で海へ出かけた。海と言っても海水浴ではなくて、海岸を家族で散歩しただけ。午後のお陽さまがぽかぽかと海岸の砂を温めていた日。砂浜を歩いていると、犬を連れて散歩している人に何人も会った。小さな犬に大きな犬。


「お家に犬がいたらなぁ」


 藍がそう言うと、お父さんは「もうすぐ家族が増えるんだから、犬はその後で考えよう」と言った。


「考える? 本当? 絶対、絶対考えてね!」


 お母さんのお腹の中に藍の弟か妹になる小さな命が宿ったという事がほんの少し前に分かって家族でお祝いしたばかりの頃。

 藍は、以前から弟か妹がほしかった。兄妹のいる友達と遊んでいる時、夕方になると一人、家に向かうのが寂しかった。一緒の家に帰れる兄妹がうらやましかった。

 遊んでいる時も、鉄棒でクルクル回るような時に友達は弟や妹に向かって、「じゃあ、やってみるから、見ててね」と声をかける。そんな言葉にも憧れた。

 弟か妹ができて、そのうえペットまでいたら、寂しくなくて、毎日がきっとすごく楽しいだろう。


「ああ、いいよ。弟か妹が生まれて落ち着いたら、ペットを飼おう」


「やった!」


 その日、海岸を歩いている人に頼んで、三人の、いや、実際は四人の写真を撮ってもらった。


 でも去年の十二月、街がクリスマスのイルミネーションに輝く頃、お腹の中で消えた命。それからはお母さんはずっと体の具合が悪く、お父さんと藍がその分、色々な事を頑張った。ほとんどはお父さんが頑張ったんだけど。


*******


 藍は考えた。

――ボール遊びは得意じゃないけど好きだし、仲間に入れてもらおうかな。

 でも、せっかく一緒にここで遊んでも、時間が経ったらお別れするだけだ――


 藍は、転校していったクラスメートの優子ちゃんの事を思い出していた。去年の秋に転校していくまでずっと仲良しで、学校からの帰り道も遠足でもずっと一緒だった。転校すると決まって、家でテーブルにうつ伏せてしくしく泣いた。


 そしてミキちゃんの事も。以前、家の近くの公園で、近所に住むミキちゃん達三人の女の子を見かけて「一緒に遊んでいい?」と声をかけた。

 その子達とは、その前の夏、町内の子ども会の遠足で能古島アイランドパークへ行った時、一緒に楽しく遊んだ。久しぶりに会った藍が公園で「遊んでいい?」ときいた時、その中の一人、梨花ちゃんは「いいわよ」と優しく言ってくれた。他の二人の子も。でもミキちゃんは、返事もせず冷たい目で藍を睨むと、「私、もう家に帰る」とその場から立ち去った。他の子達はその様子を見ると、ソワソワし始めて自分達も帰ると言い出し、その場を立ち去った。藍は、その子達に何もした覚えはなかった。


 そして去年の冬の悲しい思い出。藍の弟か妹になる予定だった子も、さよならも言わずに、今は空にいると、お父さんは言う。


 「さよなら」は苦手だ、と藍は思った。




 その時、隣りにいたお母さんが言った。

 「藍ちゃん、公園の他の子と游びたいんじゃない?」


「ううん。私はここで二人の側にいるよ。ねえ、お母さん、去年、ここに来た時はいっぱい写真撮って、梅が枝餅を食べたよね」


「そうだったわね。今年はお店、やってないわね」


 藍は去年のお花見の日、お母さんとたくさん話したのを思い出した。手を繋いで自然公園の中を歩いて回った。お母さんの手は温かかった。でもさっきドーナツを取ってくれた時に触ったお母さんの指は、驚く程冷たかった。


「ねえ、お母さん、去年のお花見、楽しかったよねえ。戻りたいな。優子ちゃんも転校する前だったし」


「そう? お母さんは戻りたくない。だってこの子と会う前だったでしょ?」


 その手元には、去年の夏、海岸で撮った家族写真が握られていた。


「赤ちゃんは……いなくなったんでしょ?」


「でも心の中にはいるのよ」


「心の中に、か。みんなの心の中にいるのよね。去年とは違うんだ」


 ――そうだ。優子ちゃんと楽しく遊んだ事だって心から消えてないし、近所の子達とアイランドパークで楽しく遊んだ思い出だって本当は消えてないんだよね――


「心の中にいる分、辛い時もあるけどね。お母さんね、今日ここに来るまでは寂しくて心が塞いでたの。でもね、ここに来るまでの車の中で通りの桜並木見てたら、何か町がいつもと全然違ってて、まるで魔法にかかってるみたいで……」


「ほんと桜が咲いてるのと咲いてないのとで全然町が違って見えるね。ピンクの魔法みたい」


「そうしたらあの子もこのピンク一色の町のどこかに天使になっているような気がしてきたの。私達の元からはいなくなったけど」


 藍は、急に周りのピンクのフワフワした桜の花の咲く下に、天使のような子がたくさんいるような気がしてきた。その中の一人がきっと私達の家族になるはずだった子。そう思うと、何だか心がぽかぽかしてきた。


 その時、ボール遊びをしていた兄弟ののうち、坊主刈りの少年が藍に声をかけてきた。


「ねえ、一緒に遊ばん? 二対二で対戦しよう」


「うん、いいよ。でもルールを知らないの」


「いいよ。教えるから」


「ありがとう」


「オレ、さっきから見てたんだ。弁当がすごく美味うまそうな家族がいるなって」


「あは、そうなんだ。うちはお弁当余ってて困ってるの。後で食べる?」


「やった! じゃあ先に対戦しよう」


 藍は両親の許可をとろうと思ったけど、二人の様子を見ると、笑っていて、わざわざ訊くまでもなかった。

 これまでは、一人っ子の藍が両親の元から離れる時、ちょっと気がとがめるような、お父さんとお母さんが小さく弱々しく見えるような瞬間があった。でも今は違う。二人の元にキラキラした天使の子がいるような気がして。


 いつか弟か妹に言いたかった言葉が頭の中に浮かぶ。ボール遊びをしている子達の方へ走って行く前に、両親と、そしてあの子にも向かって言った。


「じゃ、行って来るから見ててね」



〈Fin〉

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