ハリネズミに愛の手を

「どうもありがとうございます!!」


 せっかく拾ってもらったハンカチをひったくると、ヒールをガツガツ鳴らしてトイレにかけこむ。


「ハァ……はぁー……はぁぁ……がんばってお礼言ったつもりだけど……やっぱり、怒鳴ったようにしか聞こえないよね」


 呼吸を整え、ふらつく頭で思い返す。


 知らない人に優しくされると怖くなって、頭の中がぐちゃっとして、息が苦しくなる。恐怖が首を締めつけ、冷静じゃいられなくなっちゃう。


 どこかに『優しさアレルギー』を治す薬、売ってないの?



 厄介な症状にかかったのは小学生の頃。訪問販売か勧誘か覚えてないけど、そんな人が家に訪ねて来たときだ。


 笑顔で優しく話す、感じのいい人だった。でもお母さんが断った途端、大声で怒鳴り始める。飛び出そうなほど開いた目で、床や壁をバンバンと叩く。

 最後に私の靴を思い切り踏みつけて帰っていった。


 私は思い知る。

 綺麗なカーテンだと近寄れば、闇の中から怪物が襲い掛かる。決して近づいてはいけない。


 それから知らない人の親切に触れると怖くなり、めまいと息切れが起こる。

 成長しても症状は収まらず、おかげで友達の数は小学二年生で止まったまま。


 友人は『優しさアレルギー』なんて茶化すけど……全然笑い事じゃないっつーの!

 触るものみな傷つけるこんなトゲトゲの鎧、脱ぎたくて仕方ないんだから!


 きっとハリネズミはこんな気持ちなのかなあ、なんて勝手に同情してる。


「新しい友達がほしいよ……そうだ!」



 私はペットショップに向かった。

 人間がダメなら、動物を心のよりどころにしよう。


 店内に入ると、たくさんの犬と猫が、わんわんにゃんにゃんと声をかけてお出迎えしてくれた。

 ふわぁぁ……みんなかわええなぁ……。


 そのなかで、つぶらな瞳のポメラニアンに目をめた。

 抱っこさせてもらうと、もふもふの毛が私の肌を優しくくすぐる。


「ううっ……!?」


 不意に頭がクラクラして、呼吸が苦しくなる。


 え……うそでしょ……? 人間以外の「優しさ」も駄目なの……?


 症状が大人になって悪化している。私の優しさアレルギーがこじれている!


 動物とも共存できないと知った私は、山奥のキャンプ場に足を運んだ。

 清々しい青空、緑豊かな野山。ここなら安心安全ね。


「んー、空気がおいしいー……っっ!?」


 自然の優しさに触れていると感じた瞬間、心臓がドリブルを始めた。私のバカ!

 美しい景色が地獄にひっくり返る。私は動悸どうきを押さえつけ、息も絶え絶え、キャンプ場から逃げ出した。



 どうしようもなくなった私は街へ戻り、目についたビルに飛び込んで、屋上まで駆け上がる。

 ここなら人もいない。動物もいない。緑もない。あるのは夜空と輝く星だけ……。


「ぐっ! うぅ……星空が優しく包むって思っちゃった……学習しろよ私ぃぃ……」


 朦朧もうろうとした意識の中で理解する。もはや地上に私の居場所はない。

 どこにいても苦しいだけなら……もう、いっそ……。


 ふらつきながら柵に向かうと、スーツ姿の男性が立っていた。靴を脱ぎ、手には封筒を握っている。


 話を聞けば、職場の人間関係に悩んで人生をリタイヤしようと決意したらしい。

 他人とのつき合い方に困っているところが、私と似ている。


 気づけば朝日が昇るまで、彼の苦労話を聞いていた。


 どうして見ず知らずの俺に優しくするんだ?

 彼の疑問に、私はなぜだろうと考えた。


「うーん……優しくしたい、って思ったから、かな」


 答えを伝えたとき、心の中からふにゃり、と音が聞こえた。尖った針が和らぐような音。


 そういえば、優しさアレルギーが発症してから、私は他人に優しくしてこなかった。

 だから今、身をもって知ったのかも。


 怖くなんてない、純粋な優しさを。



 それから私の症状は、ちょっとずつ落ち着いていく。

 他人の親切に丁寧なお礼が言えるようになった頃、彼といつまでも一緒にいることを誓った。


 お母さんが苦労した分、あなたは絶対に守ってあげる。

 だから、むやみに針を尖らせちゃダメだよ。


 私はこれから生まれてくる命に、優しく語りかけた。


<終>

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