ニラを刈ってトイプードルと暮らす

 取り掛かった企画書は、中盤以降が『独身』の二文字で埋め尽くされていた。


 ハァ……なにをやっているんだ、私。


 ため息の重さでキーを押して、真っ白に戻していく。

 とうとう職場での仕事中にも影響が出る始末。悩みは自覚する以上に深いようだ。


 結婚。

 十代の頃は甘い綿菓子のように感じた言葉が、二十代後半に突然膨れ上がり、三十代直前で重くのしかかる。さらに数年経つと導火線が追加されて、爆弾みたいになるのかも。


 今日日、三十代や四十代で未婚は珍しくもない。

 悪いことはしていない。真面目にまっとうに、自分らしく生きているだけ。

 分かっていてもそいつは忍び寄る。「世間体」「母親の圧力」「焦燥感」あらゆる言葉に形を変えて。


 学生時代の友達は次々と独身を卒業していった。仲間の誓いを立てた子も、あっさりと名字を変えていく。裏切者め。私のご祝儀で欲しがっていたロングソファでも買うがいい。


 ……私だけが独りぼっち。私だけが教室に取り残されている。

 留年しているような気分だ。あーあ、誰か卒業させてくれないかなぁ。

 オフィスチェアが切実に軋む。


 とはいえ、現状に不満はない。

 仕事は忙しいけど楽しい。収入は同学年と比べれば結構上だ。

 休日は趣味のボルダリングや好きなアーティストに浸る。先週のライブも最高だったなあ……! こんな感じでお一人様を絶賛エンジョイ中。


 そこへやってくるのが「結婚」という名の怪物。

 長い独身生活に罪悪感のような意識を植えつけ、ムクムクと育てていく。これがまた何度刈り取っても芽を出す。お前は野菜のニラか!

 思わず手元の資料を握り潰していた。もうっ、憎しみはゴミ箱へポイだ。


 理想や将来の展望は、現状よりも価値が増えたり減ったり。心の天秤は日々ガシャガシャと揺れる。


 身を固めた友達と会えば、旦那の不満や親戚付き合いの気苦労……さんざん愚痴を聴かせておいて、最後は幸せそうに笑うのだ。なんかズルい。


 そしてだっこさせてもらう赤ちゃんはとても可愛い。

 小さなお手手で薬指の先をきゅっと包まれると、理屈や計算は宇宙の彼方に吹っ飛ぶ。

 育てるならニラみたいな負の感情より、スベスベした新しい命だ。


 そうは言っても肝心の相手がいない。これは独りを満喫したツケだ。文句を言える立場じゃないかも。いや言うけど。


 合コンやマッチングアプリにいい出会いはなかった。

 高望みはしていないと思うけど……卒業させてもらえない理由は、やっぱり自分なんだろうな……。

 頼むぅ~、誰かこの手を引っ張ってくれぇぇ~……。


 先輩、お疲れ様です。


 そう言ってデスクに缶コーヒーを置いたのは、六歳年下の後輩クンだ。数か月前に異動でこの部署に来た。よく話しかけてくるし、食事にも誘ってくる。今のところ全部断っているけど。


 ちょっと要領が悪いけど、一生懸命なところは評価できる子。目がいつもキラキラしていて、上手くいったときはトイプードルみたいにはしゃぐ。一緒にいるとなかなか楽しい。

 

 想像が働く――うん、悪くないかも。


 次に誘われたら、手を差し出してみようかな。

 そう考えて、ふと思う。


 みんな教室で待っていただけじゃない。自らの足で出て行ったんじゃないか。

 子供の卒業式は、してもらうもの。

 大人の卒業式は、自分ですると決めるもの。


 桜の花をうらやむ日々に、さよならだ。


 私の小指がエンターキーを叩く。白紙の上で足踏みしていたカーソルが、一歩進む。


 <終>

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