彼方の花

篠岡遼佳

彼方の花




 ――今日は、なんだか静かだ。



 彼女はそう思って目を覚ました。

 机に突っ伏して寝ていたので、ちょっと背中や腰が痛い。

 だが、ふと思い直し、目を閉じたまましばらく待ってみた。


「――めぐみちゃーん……?」


 近めの距離で、自分を呼ぶささやき声がした。

 バディの悠花ゆうかだ。

 いつもだったらすぐ目を開けて答えるが、今日は黙っている。


「いいのー……? 出発だよー……?」


 頬に吐息がかかる。歯磨き粉のシトラスミントの香り。

 戸惑うような空気が伝わってくるが、もう少し我慢。

 そうすれば……。


「めぐみちゃん、起きて」


 やさしい口付けが、額と頬に降ってきた。

 やった。一度してみたかったのだ、「寝たふりで待つ」というのを。


「ん~……? おはよう」


 昨日は準備のためにかなり夜更かししていた。

 ごしごしと目元を拭って、大きく伸びとあくびをする。

 ……ちょっと演技っぽいかな。どうだろう。

 確認しようと悠花を見ると、なんだか照れている。


「めぐみちゃん、起きてた……?」

「ふふー、どっちだと思う?」

「やっぱり起きてたんだー……!」


 悠花は頬を真っ赤にして、ぽかぽかとめぐみを叩いた。

 

「もう、もう、ほんとにちゅーしちゃうとこだったじゃん!」

「私は全然構わないんだけどな」

「照れがないと恋愛は長続きしない……!」


 悠花はなんだか真理を突くようなことを言っている。

 しょうがないな、とその頭を撫でて、なだめてやる。


 悠花はどこもかしこも小作りだ。

 金髪のショートカットも、頭の小ささを強調しているように見える。

 さっき叩かれた拳だって、めぐみの片手で隠してしまえるくらいだ。

 そして、丁度良い案配の空色の瞳が、むー、ときらきら光っている。


「めぐみちゃん、そろそろ行かなきゃ」

「それはわかってるんだけどね、名残惜しいよ、ここには……それなりに思い出があるし」


 ここはとある保健室だ。

 ベッドがある場所がここしかなかったことと、まだ水道設備が動いていたので、自然とふたりはここを拠点にこの辺りを探索していた。




 ――――第三次世界大戦は、残念ながら起きなかった。


 地球上の小競り合いは、ある日宇宙そらからやってきた超高度文明によって変換点を迎えた。

 地球人は、ではひとつに集って戦ったかというと、そんなことは決してなかった。

 国境とか、西側とか東側とか、代理戦争とか、そういうことで忙しかったので。


 超高度文明は、喧嘩相手も見当たらない状況に飽きたらしく、ある程度の破壊を行ってから、さっさと居なくなった。

 最後まで呑気に構えていた島国は、ちょっと地形が変わった程度で済んだ。

 ただ、どういうわけか、平均寿命が一気に70歳代まで下がった。

 蔓延するのは病気でもなんでもなくて、「倦怠感」。

 みな、ある一定の年齢まで行くと、どういうわけか急に食事や娯楽に興味が無くなる。生きることにしがみつこうという気持ちが、だんだんなくなっていくのだ。


 もしかしたら、超高度文面が残した「呪い」かも知れない。

 それとも、自然界にあった何らかのトリガーが、引かれただけなのかも。

 残念なことに、それらを考える立場だった人たちは、いまは必死に生きることを考える方に力を割いていた。

 もう20年くらいすれば、何らかの答えが出るかも知れないけれど……誰かが、まだ生きていれば。


 そんなわけで、あっという間に日常は崩壊した。

 死ぬのは怖いはずで、死ぬのは無で、死ぬのは遠い未来のはずだったのに、いつかふとした瞬間に、死ぬことを選んでしまうかも知れない。

 自分の意思で。


 すると、好き放題する人が増えた。

 治安は悪化したし、外の国はまだにらみ合いをしているから、原油価格は高騰していて、電気の安定供給も受けられなくなりそうだ。

 この国は、地震と津波と洪水と放射線には対策があっても、人の心をどうにかできるのは限られた人たちだけだった。



 めぐみが、悠花に助けられたのは、本当に偶然だった。

 とある路線のホームで、黄色い線からはみ出るべきかどうか、真剣に二時間考えていたので。


「おねえさん、大丈夫?」


 最初は本当に小さいこどもだと思った。なんにせよ悠花は140cm台だ。

 だが、その空色の瞳は深くこちらを心配していた。

 

「どこにも行けないなら、わたしと一緒にどこかへ行きませんか?

 わたしは、悠花といいます。できれば、この手を取ってくれると、うれしいな」


 花が咲くように――花が咲く瞬間なんて見たことないのに――やさしく、天使のように悠花は笑った。

 めぐみは、その微笑みに、すべてを救われた気がしたのだ。


 つまり、生きる意味として。

 きゅっと、心を掴まれてしまったのだ。




「――次のところもシャワーが浴びられるといいんだけどなぁ」

「お水、大事だもんね」

「ほんと。電気も水道もガスも、インフラのお仕事の人たちはすごいね。まだ使えるっていうところがすごい」

「……ねえねえ、めぐみちゃん?」


 まだ少し頬を赤くして、悠花はめぐみの服の裾をひっぱった。


「……続き、してもいい?」

「――まったく、しょうがないなぁ……」


 心を掴まれることを、別の言葉でなんと言おう?

 めぐみはそれを知っているから、彼女の申し出を受ける。

 お互いのことをまったくといっていいほど話していないのに。

 それでも、ふたりは両手を繋ぎ、寄り添い、抱きしめて、朝のキスをする。




 この世界で、生きる意味がどのくらいあるのだろうか?


 その理由は、たったひとりではなく、

 ふたりで生きるということなのだと、めぐみは思っている。


 きっと、彼女の微笑みに、なんども救われていきながら。

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彼方の花 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka

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