第5話 祈りの時間 - 夕闇 -

「冷たっ」

 ぱちり。

 暖炉の木と火が弾き鳴らす音と共に、背に走った冷ややかな手の体温にせきは思わず肩をすくめた。

「すまない。手が冷えていたようだ。驚かせてしまったね」

 小声で言ったつもりがどうやら聞こえてしまったらしく、白銀しろがねが心配気にこちらを覗き込んできた。自分の背に触った手を放し、眉を寄せて己の手をすぐさま目の前にある暖炉に当てた。そんな白銀に隻は首を横に振った。その度に髪飾りが髪と共にふわりと揺れる。

「ちょっとだけびっくりしただけなので、大丈夫です」

 柔らかく笑う隻の表情は母・花南かなんによく似ていた。白銀は小さく肯くと再度隻の上着を脱ぎ顕わになった背に手を触れた。今度は暖めた手でそっと触れたため、隻は特に反応はしなかった。少し神妙な面もちで後方の白銀の様子を覗き見ようと必死に首を回している。北国故にあまり強い日差しにあたることのない隻の肌は白く、まだまだ少年の域を脱せない華奢さがあった。そんな白磁の肌を遮るように、隻の背には幼い頃から大きな「痣」があった。

 「痣」というよりは「刺青」と言っても差し支えのないような複雑な紋様と図形が背中一面に、である。それが生まれつきのものであるのは、母親の花南が証言している通りであるし、漱舟そうしゅう花船かぶねと共に、生まれて間もない隻に対面している白銀は疑う余地もない。

 大鳥が翼を広げた形によく似た図形を中心に、背に這うように小さな文字が方陣を組む「痣」は、皮膚を透かしたように赤…紅のように鮮やかな色で、隻の成長に合わせて大きくなっており見せ、彼が十五歳になった今では肩までに及んだ。

 それは「痣」と呼ばれるほかに、「印」や「神宿し」などとも呼ばれ、世界中で何人もの所有者が発見されている。その内の大半は種ほどの大きさで、大きくても拳大であるが、隻のように大きいものは珍しいらしい。

 と言うのは、隻と同じく「痣」の所有者であり、その道の研究者である白銀の言であった。尊敬する白銀から教えられたものの、隻にとっては、鏡に映しても己の痣の全容を見ることが出来ないので半信半疑である。

 を専門に研究する学者は白銀を含めて複数いるが、これが何であるかを明確に説明できる者はいなかった。病気、遺伝……宗教面からは神の使い、悪魔の印など、ピンからキリまで、様々な説が混在している。どれも憶測の域を出ることはなく、その土地土地によって印象や処遇は随分と違った。

 そんな中、隻としてはこれ以上「痣」が広がらないで欲しいと思い、メア城を訪れる機会があると白銀に様子を診てもらっている。

 白銀も研究者ではあるが医者ではない。ただの気休めにしか過ぎないのだが、普段見慣れている隻や母の花南より、時折会う白銀や花船の方が、何か気が付くかも知れない、という理由だけの気休めでしかない。それにも関わらず、彼らは快くいつも応じてくれた。だから、いつも特に「変わった所」はない。その筈だったのだが、今日は白銀の沈黙は妙に長かった。そのことに気が付いた隻は不安げに首を捻る。

「白銀様?」

「うむ……」

 何か思考を巡らせている白銀の両脇を見ると花船とぜんが真剣な面もちで王の様子をうかがっていた。花船は身を乗り出さんばかりであるし、禅は隻から預かった服を握りしめている。

(二人とも心配性だなあ)

 まるで自分のことのように緊張を顕わにする二人に隻は嬉しく思いつつも呆れてしまう。そんな思考を巡らせていた所、白銀がゆっくりと口を開いた。

「隻も随分と大きくなったものだ。昔はこんなに小さかったのにな」

『え?』

 思いも寄らぬその言葉に三人の声が重なる。どうやら、沈黙が長かったのは昔を思い出していたせいのようだった。あの頃はこんなに小さくて可愛らしかった、と手を座ったまま腰のあたりに止め、笑顔の白銀はまさに子供の成長を喜ぶ親そのものだ。

「なあ?花船」

「え?ああ、そうですね。今でも十分可愛いですけどね」

 振られた花船はつられて笑みを浮かべた。

「えーと、禅。これって、どういう意味?」

 王と護衛騎士の会話にまったくついて行けず隻は思わず直ぐ傍らに来ていた禅を問うた。

「よかったな、何も無くて。私も安心した」

 優しい笑みを浮かべた禅は預かっていた隻の上着を彼の肩に乗せる。「いつも通り」特に問題なしということらしい。先刻とは打ってかわって安心した笑顔が禅に戻ってきていた。

「そういう意味なの?」

「そういう意味」

「ふ、ふーん」

 あまり理解はしていないようだ。返された上着に袖を通しながら隻は曖昧に言葉を返す。隻にとって物心つく前から白銀や花船、禅らとは接点があるが、未だに彼らの会話は解らないこともある。親しいが故に時折、不思議な会話を繰り広げる時がある。反面、長年の付き合い故に皆まで言わず、冗談の言い合いでさえからも相手の意思をくみ取るのは流石だと隻は感心した。

 「さて、隻。今日はこれでおしまいだ」

 話が隻自身さえも覚えていない幼い頃の隻のことで盛り上がっていた白銀がふいにこちらを向く。暖炉の火にあたる柔和な表情はどこまでも温かい。

「お疲れさま。もう行っても良いよ。先刻の勝負が気になっているのだろう?」

「本当ですか?!」

 白銀が言う通り、実は席は談話室でのゲームの続きが気になっていた。白銀の言葉を反動にして嬉々と立ち上がり、扉に手をかけるのはあっという間だった。隻は扉を開ける寸前で立ち止まり見送る白銀達を振り返る。

「白銀様。今日はありがとうございます。おやすみなさい。花船と禅も。おやすみなさい」

「ああ、おやすみ。良い夢を」

「おやすみ」

「おやすみ、隻。明日はゆっくり起きればいいからな!」

 三人の就寝の挨拶も聞き終えるか終えないかも確かめないまま隻は廊下へと出て行ってしまった。そんな隻を白銀たちは廊下から彼の足音が遠ざかり無くなるまで見送った。




「はは。隻はまだまだ子供だな」

 一人前に遠慮や謙遜したり、恐縮したりと大人びた態度が多い隻なのだが、子供の片鱗が見え隠れする。

白銀は思わず笑ってしまう。

「隻だってまだ十五歳です。まだ遊びたい年頃ですよ。私たちの時だってそうだった」

「そうだな……」

 昔を懐かしんでいるのだろうか己の幼なじみでもある騎士はゆっくりと暖炉に一番近い窓枠に腰をかけた。

「で、結局の所どうなんですか?隻には"ああ"言いましたが、あまり……」

 花船の声色が変わる。それを転機に白銀が目を細めたのを二人は見逃さなかった。

「白銀様……」

 花船は先刻の隻との会話に何か違和を覚えたようだ。眉根を歪ませる彼に禅も合わせるかのように眉を歪ませ、王を見た。禅は先刻の会話に違和は見いだせなかったのだが、幼なじみである花船が言うと疑う余地がない。加えて、近頃、王から出る隻の痣についての話で、良い話はあまり出ない。

「印の"気"が異常に濃くなってきた。隻が負担に思わないのが不思議なくらいだ」

 神妙な面もちで、誰にも、花船や禅にさえも聞かれたくないかのようだった。静かに白銀はぽつりと述べた。

「隻は十五。あと五年もすれば身体が耐えられるだろう。それまでに何もなければ黙ってこのままやり過ごせる」

 何が何を。主語のない会話だったが、二人の騎士は王の言わんとするところを心得ている。決して軽くはなく、だからと言って重苦しいだけではないため息を白銀はついた。静かに立ち上がると花船が立つ窓際により、外の様子を伺った。

 あたりはすっかり闇に沈んでいた。教会の尖塔より高い位置にあるここの部屋からは城壁と城の裏側に広がる森と山々が存在感を主張していた。夜空よりも暗い深緑は奥に行けば行くほど濃厚になり、遠目から見ても気味が悪い。今見えている森の半分が「神隠れの森」であると考えると白銀は寒気を覚える。

(隻は「神隠れの森」に受け入れられている……。でなければ、あの森の中を通るなんてことはできない。それより気になるのは……。いや、答えを性急に出すべきでないな………)

 己が持つ考察を巡らせるが、明確な答えを出すことはできず、白銀は静かに頭を横に振る

「はは、問題が山積みだな。すまない、皆にも迷惑をかけている」

 不甲斐ない王で申し訳ない。

と、困ったような苦笑いを浮かべる。その碧色の隻眼の奥が悲しげに揺れるのを花船も禅も見逃さなかった。

「迷惑なんて……。陛下の所為ではないです。こうなることは弟も花南さんも了解しての上だ。何よりも隻のためになるのだから、尚のことだ」

 花船は静かに首を横に振った。口調が所々、昔の、子供の頃に戻っているのに、本人は気が付いていないようだった。

「そう言ってもらえると有り難いよ」

 白銀は優しく微笑んだ。

「しかし、隻のことを置いても、課題が多い」

「セレスレッドの事ですね、陛下」

 意を汲んだのは禅だった。

「その周辺国も様子がおかしいと聞いたぞ。おい、禅。そこん所はどうなんだ?」

「今、第六部隊と第三部隊が多方面で調べているそうです。何かあれば直ぐ連絡が入るでしょう」

「第三部隊はともかくとして、第六部隊は不安だな」

 禅の説明にずっと真剣な面もちで聞いていた花船だったが「第六部隊」と聞いた途端に頬を引きつらせた。メア国軍には大きく分けて六の部隊がある。その内、第六部隊は国内外を問わず活動しており、花船率いる第一部隊・護衛騎士隊に次ぐ戦力を持っている。

 主な仕事は内外の保安であるが、情報収集・密偵などに長けている者も多くおり、諜報部も含まれている。その実力は白銀や他の部隊や他国からも一目も二目も置かれている隊である。

 そんな彼らに何が不満があるのだろうか。花船は渋い顔をする。

漱舟そうしゅうなら大丈夫だよ。たまには弟を信じてやれ、花船」

「“あいつ”だから心配だ…。漱の性格を知っているでしょう?陛下」

 花船と白銀が幼なじみであるなら、その双子の弟である漱舟も幼なじみであった。

花船も白銀も、漱こと漱舟の性格をよく知っていた。

「まあ、昔から厄介事を起こすしやすい性格でもあるが………」

 もともと正義感が強く、我が道を行く性格の幼なじみであるのは間違いなかった。しかし、なんやかんやありながらも、隊長まで上り詰めた人物である。のだが、兄である花船にが言うと、白銀としても口籠ってしまう。

 そもそも子供の頃、漱舟の正義感からの暴走で振り回されたのは一度や二度ではない。ただ、その時は花船も共に暴走していた気もするが、今や二人ともいい大人で地位もある立場なのだ。白銀は実体験と実の兄の真実味の強いもの言いに強く否定もできず、結局第三者に意見を求めた。

「花船が心配するほどじゃないだろう。なあ?禅」

「ええ。大丈夫ですよ。」

 助け船を求めた禅はにこりと笑う。

「ほら、な?」

「御三方とも良く似ておいでですから」

 勝手に仕事を抜け出すところが。

『………………』

 それは暗に臣下に内緒で姿を眩ます王や、勝手に非番をとってしまう護衛隊長がいるのだから、大丈夫ということを言っていた。

 禅の知的な笑顔が非常に怖い。真面目で律儀な性格な禅は怒ると怖い。

さらに言うとそれが表面に表れないのが怖い。今日(だけではないが)の談話室での一軒を引きずっているようにも暗に聞こえた。流石の白銀と花船も黙る。

『……すみません。以後気を付けます』

 今、謝らなければ一生根に持っているような気がし、白銀も花船も思わず声をそろえた。そんな所も二人はよく似ている。

 それに満足して頷く禅を讃えるかのように、暖炉の火が薪と空気を弾かせた。

((当分、気を付けよう))

 彼らの手腕を認めた上で禅がそう言うのだから、よほど溜まっていたようだ。

彼が口うるさく言うのはどれもメアを思っての事であるが、居心地が悪いのも確かであるので、白銀は禅から視線を逸らした。

 その先の窓からは闇夜に穴がぽっかり空いたように白い月があった。まだ少し欠けており、後数日で満月であることが伺える。天頂にまだ達しないそれはメアの夜がまだ長いことを告げている。心なしに白銀はそれに意識を映す。

(守るべきものあるのは良いことだが、辛いことでもあるな)

 誰を、何を、指しての事かはわからない。

 ただ、そう言った“誰かの言葉”が白銀の耳の奥へと幻聴のように残る。それは遠い遠い潮騒の音に似ていた。

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