第3話 手紙

「もうすぐ夏だねえ」

 青い絵の具を塗ったような空を食堂・銀猫ぎんびょう亭の一階と二階を繋ぐ踊り場の窓越しに眺め、青年はつぶやいた。

 空の下には青い陰を落とした雪山が連なる。その更に下には常緑の森が続いているのが建物の隙間から見え隠れしている。

「面倒くさ」

 いつもと何も変わらないホウロウ街の街並みから目を離すと、青年は手に持っていたモップの柄先に顎をついた。仏頂面、半眼でつぶやき、ため息もこぼれる。

 吹き抜けから見える一階を覗けば、どこの開店前の食堂とも変わりはなかった。等間隔に並べられた木の円卓の上には同系の木製の椅子が逆さまに並び、薄暗闇の中で眠っているようだ。床は掃除したてのわずかに残った水分が、光を反射し清々しい。

(掃除は面倒だが、悪い気分じゃないな)

 黒を基調としたロングコートとブーツ、右手だけに黒皮の手袋を着けた異国の青年は、長閑な街の店で働く人物としては、ずいぶんと違和があった。しかし、首と耳元を飾る紅銀こうぎんの細工は、清閑な顔立ちと青みがかった銀髪と海色の瞳によく映えていた。

 が食堂で開店準備をするために床を磨く姿は詳しい事情を知らない者から見ればさもとても不釣り合いだろう。自身も思っているのだろう。愚痴をこぼしては窓の外を眺め、店主から与えられた仕事をさぼるの繰り返しである。

もともと面倒くさがりで人に「使われる」仕事が得意ではないということもある。

「おーい。あずま~。二階は終わったか? そろそろ店開けるから、入口の鍵を開けてくれ」

 一階のカウンターの奥では、銀猫亭の主・空路くうろがフライパン片手に立っており、雷と呼ばれた彼に指示を出す。

「ああ。わかった。それより、 昼飯は先に食わせろよ!昨日みたいにへばりたくないからな!俺は!」

 一応、一時的な雇いとはいえ、雇い主であるはずの店主に向けて、雷は文句のような注文を返事ついでに返す。

「了解。味見も合わせて今作っている最中だ。ついでに看板とメニューも立てておいてくれな」

 蕪村な態度の雷に空路は気にもしなかった。友人でもある雷の対応など、空路にとってはいつも通りだからだ。空路がカウンター奥にあるキッチンに潜ると、食欲をそそる薫りが店内に充満した。今日も健在の空路の料理の腕前を見せつけられた雷は、

一階の入口横に繋がる階段を軽快に降りていく。モップは壁に立てかけ、床掃除のためにテーブルに上げた椅子を慣れた手つきで全て定位置に下ろす。次に入口横の窓越しにある「準備中」の看板を伏せる。隣に並んでいるメニューを開くと外から見られるように広げて窓越しに立てかけた。初めは面倒だと思っていたが、時折働くこの場は、何度か繰り返すことで、今では手慣れた手つきである。次に、雷は機嫌よく、客用入口の扉の鍵に手をかけた。

 ばたん!

「ぶっ!?」

 鍵が開くと同時に軽快な音と共に扉が勢いよく開く。余りの勢いに立てかけたメニューが落ちた。

「呼ばれて飛び出てこんにちは! 笑顔でお届けがモットーの運び屋代理・遊月ゆづきちゃんでーす。あれ?こんな所で仰向けになって何してんの?雷」

 遊月と名乗った少女の足下には、突然の来訪者の襲撃に避けきれなかった雷が仰向けになって倒れていた。扉がぶつかった額から血が流れている。その様子を気にもせず、遊月は雷をまたいで店内に入ると、背負っていた革鞄を手短な円卓に置く。

「そんな所で寝てるとお店の邪魔、邪魔。空路に叱られるよ~」

「ゆ~づ~き~……」

 わざとだろ。ゆっくりと立ち上がりながら、最後の言葉を雷は飲み込んだ。脳天気な彼女に、いちいち腹を立てていては無駄であるのを、彼はよく知っていた。現に遊月は雷の言葉など聞いちゃいない。無駄な動力は使うまいと怒りたいのを必死で雷はこらえた。

「今日も元気がいいな。お前は」

 その時、店内の騒ぎに気が付いて空路が片手鍋を持って厨房から現れた。

「空路!こんにちわ!お届け物だよ!サイン下さいな!」

 腰に下げた革鞄から取り出した手紙を振り回す遊月と血だらけの雷を交互に見、先刻の音の原因を空路は察知したようだ。呆れた顔で鍋をカウンターに置き、台ふきを雷に渡す。そして、赤茶の髪を肩まで伸ばし、猫のような大きな瞳をした少女へと、エプロンで手を拭きながら、寄って行った。

「ああ、ありがとう。今日は隻じゃないんだな」

 いつも銀猫亭がある地区の運び屋を務めており、空路にとっては年下の友人である隻を思い浮かべる。遊月にとっては、友人であり隻は義理の兄のようなものだった。隻と遊月は同い年のため、両者、相手の兄と姉を主張しているが、空路にとってはどちらも弟と妹のようなものであった。

「うん。サインはここね。あたしは隻くんの代理。隻くんは王都に行ってる」

 赤みがかった黒髪が印象的な人当たりの良いあの少年が空路はとても気に入っている。と言っても、隻という少年を知っている者で彼を悪くいう者などはいなかった。

彼の職業上、広いホウロウの中でも多くの者達が隻と顔見知りで、なおかつ慕われているのを空路は知っている。今日は彼に会えないと寂しがる者もいるだろうなと空路は思った。

花船かぶねさんの所に行っているのか?」

「うちの領長から王に届け物だとよ」

 空路の疑問に答えたのは雷だった。まだ根に持っているのか遊月を睨んでいる。

「街を出発したのは三日前だから、隻の足なら、今頃はもう王都だな」

 雷にとっても友人である隻は"普通"の運び屋の免許とは別に王室や領長相手の荷物を扱うことのできる『特使』という免許も持っている。それを持っていると決められた管轄の公共施設には手続きにも手間を取らせない。その上、隻は城に血縁者がおり、王とも浅からぬ関係がある。

「なら、一緒の事だ。城なら家族に会うんじゃないか」

 時折、のろけた顔で隻に会いに来る伯父・花船を思い出すと空路はため息をつかずにはいられなかった。隻の父親・漱舟そうしゅうとその双子の兄・花船かぶねは王隊の者で、二人の故郷であるホウロウを離れて今は王都にいる。隻とその母親の花南かなんはどういうわけか、ホウロウで暮らしているため、時々会うと息子・甥に親・伯父馬鹿ぶりを発揮しているのだった。加えて、漱舟に至っては、愛妻家でも有名だった。ごく稀に会えない所為で「ああ」なるのは解るが、流石に恥ずかしそうな隻を見た時には同情する。

 空路は受け取った手紙をエプロンのポケットに入れると、自分の額の血ばかりを拭き、テーブルを拭かない雷から台ふきを取り上げて流し台に投げ込む。そして、新しい台ふきでテーブルを軽く拭きだした。

「ん? 待てよ? 三日前ってことは、そうか!だから、お前、僕の所に来たのか!」

 謎が解けたと言わんばかりに目を見開く空路に、雷はびくりと動きを止めた。その様子を見た遊月は空路が言わんとすることに気が付いたようだ。

「そっかあ!隻くんがいないとごはん“たかり”に行くところがないもんね!」

「三日前に僕のに来て、『働く代わりにメシ食わせてくれ!』って、突然日雇いを頼んできたんだな」

 隻がいないと駄目人間だなあ。

 空路は哀れみの目で雷を見た。遊月はいたずらが成功した子供のように目をきらきらさせている。そして、示しを合わせたかのように、な雷に率直な感想を述べた。

『これだから、嫌だなぁ。売れない占い師は』

 すでに止血した額を無意味にこする雷には痛恨の一撃だった。

 普段から雷にからかわれている二人は、ここぞとばかりに言いたい放題であった。二人が言ったことはほぼ事実だが、言って良い人間と悪い人間がいる。遊月と空路は、雷にとって、後者の部類に入る人間である。さらに言えば気にしていることを指摘されて黙っているほど彼は紳士ではないし、短気で血の気が多い部分があった。

「おまえら…。言わせておけば、人のことを“メシをたかる”だの駄目人間だのヒモだの、言いたい放題に」

 元々、雷はこの国の人間ではない。占いを業としながら街を転々とする異国の者だ。本人曰く、遠い東大陸から流れて来たのだそうだ。最初に雷と親しくなったのは隻であった。そして、隻の紹介で空路、遊月と、街の人々と交流ができ、宿暮らしであるが、ホウロウに居ついて、二年近くが経過していた。雷曰く、ホウロウ街を含んだ都市領王国メアは、冬は雪深くなる北国であることもあり、住む環境としては厳しい所もあるが、土地や住む人々の人柄が良いらしい。

 その中には、隻や遊月、自分たちも入っていると空路は思っており、こんな馬鹿なやりとりも日常の一部だった。故に、遊月と空路も彼が怒ると面倒なのもよく知っている。

「うぉっ!ちょっと、待て!駄目人間と“たかる”はともかく、“ヒモ”とは誰も言ってないぞ!?」

「そ、そうだよ!雷!ちょっと表現が違うだけで同じなんだから付け足さないで!」

 いつも冷静な空路でさえ慌てるし、普段から落ち着きのない遊月はさらに落ち着きがなくなる。

「それに、売れない・当たらない占いは雷の良い所じゃない!!」

「遊月っ」

(阿呆…)

「あ」

 今更、墓穴を掘ったことに気が付いた遊月はもうしゃべるまいと口をふさぐ。その様に空路は頭を抱えた。

「口は災いの元…」

 普段、ストッパー役の隻がいない雷を二人が止める術を持つはずがなく、空路は乾いた笑みを浮かべ、遊月は涙目だ。そうこうしている間に、雷は手短な椅子の淵を片手でつかむ。無言なのが怖い。

「あわ、あわ、空路ぉぉ。どぉしよう~~~~」 

「お前らには言われたくないわーーーー!」

『ぎゃー!!!』

 椅子を頭上まで、軽々と持ち上げた雷を見た二人の断末魔が続いた。

「こんにちは」

 しかし、それは心地よい呼び鈴の音と共に入ってきた声に遮られた。

「あら、雷くんに遊月ちゃんじゃない。こんにちわ、今日も良いお天気ね」

 腰まである赤銅色の髪を揺らし、赤みがかった黒の瞳を三人に向けるとその来客者はにこりと微笑んだ。

花南かなんさん!」

「花南さん、いらっしゃいませ!」

「あ、隻くんのおばさまだ~!」

 十人十色ならぬ、三人三色な反応を返す彼らに来訪者-花南は笑みを返す。

「雷くんは空路くんの所で仕事してたの?お金がないのなら私に言えば、占いの仕事が入るまでごちそうしたのに。隻がいないから頼み難いかもしれないけれど、遠慮しないで良いのよ」

 彼女は雷を心配げに見やると、近くの椅子にゆっくりと腰をおろした。

 白いブラウスと落ち着いた紅いロングスカートを着、肩には花の刺繍が入ったショールをかけた花南は、どこにでもいる農婦や庶民のような見た目だったが、一挙一同が上品で、どこか貴族を思わせる花南に雷は頬を赤らめた。

 「は、はいっ!ありがとうございます」

 ごとりと雷は軽々と持ち上げていたイスを元に戻した。というよりは落とした。

(うわ、敬語!花南さんと隻にはいい顔するんだよな、こいつ。まぁ、仕方ないけど)

 普段の横柄な態度はどこへやらの雷に空路は引きつった笑みを浮かべた。彼女が既婚者で子供がいようが、どこか世俗離れした美しい笑顔を向けられれば雷でなくとも大人しく、彼女に見とれるだろうから仕方ないと、空路は思う。

 雷の場合はそれだけでなく、無二の親友であり弟のような存在の隻の母――花南には金銭に困っていると、家事を手伝うかわりに食事や床を提供してもらう等、生活面や精神的な面両方に返しても返しきれない恩があるからでもある。雷にだけでなく、母子そろって、他の誰にでも親切で人当たりが良いのも有名だった。それでいて、恩着せがましくもなくお節介でもなかった。


 「花南さん、今日は何のご用で?」

 雷が大人しくなった隙を見て逃げ――仕事の続きと外へ出て行った遊月に手を振っていた花南に空路は笑顔で話しかけた。

オリィ食用油とコール産のチェリー酒を一本ずつ、いただけないかしら?」

「いつもの奴ですね。ちょっと待ってて下さい。昨日やっと届いたばかりでまだ裏の倉にあるんですよ」

 この銀猫亭は店主である空路がほぼ一人で切り盛りしており、それなりに繁盛している。その理由は彼が味にうるさく、材料には特にこだわりを見せ、遠方からわざわざ時間とお金をかけて珍味や特産品を取り寄せているからだ。

 一部の食材を格安な値で売っており、その相手の一人が彼女ー花南である。お互い趣味が料理と言うことで仲が良くなったのだ。作った料理を吟味しあい、勉強しあうほどである。甲斐あって銀猫亭には常連客が多い。雷も金銭に余裕が出ると欠かさず食べに来ているぐらいだ。

 注文品を取りに厨房へと消えた空路がいなくなり花南と雷は二人きりになってしまった。特に彼女と話すこともなく、窓のその外を雷は眺めた。大通りには昼が近いせいか地元の者の他、昼食をありつける場所探す観光客や旅人の姿も多く伺えた。

(こんな北国の田舎町によく来るな)

 あと、数十分もすればこの店も戦場と化すだろう、と考え雷はぞっとした。その真ん中に一昨日から雷は身を置いているのだ。自然と顔も引きつる。雷は、料理人と占い師と種は違うが、同じ商う者として空路のことは尊敬していたりするのだった。くだならい言い合いもあるが、弟のような友人である隻の次には気が合う相手なのは間違いなかった。本人は言う気はないが。

「そうだわ!雷くんに渡す物があるの」

「俺に。ですか?」

 思い出したように声をあげた花南に、雷は肩をぴくりと動かし反応した。

 花南は持ってきた籠にかかった布を捲ると、白魚のような細い指でそれを雷の前へと差し出した。

「遊月ちゃんが配達に出た直後に雷くん宛に来ていたらしくて、運び屋所の所長さんに頼まれたの。どうぞ、雷くん」

 花さえ衰えてしまう笑顔で彼女が取り出したのは、一封の封筒だった。


「俺に……」

 古めかしい黄色がかった羊皮紙の封筒を受け取ると、雷は訝しげに表を眺め、裏返す。途端、雷は形の整った眉を右側だけ跳ね上げた。それを花南は見逃さなかった。

「雷くん?何か悪い知らせ?」

 差出人の名はなかったが、裏には紅い蝋で何の変哲もない印がなされているだけだったはず。と、花南は細い眉根を寄せた。もしかしたら雷にしか解らない相手の癖でもあったかもしれない。ただ言えることは手紙の封を見た途端に彼の表情が変わったことだ。花南は自覚がある程度には勘が冴えていた。困惑や驚き、焦燥の交じったその一瞬の表情を彼女は見逃せなかった。

「雷くん、どうしたの?」

「あの、花南さん。隻は三日後に帰ってくるんですよね?」

「ええ、その予定で出ていったわ、あの子」

 律儀で生真面目な性格の息子のことだ。きっと寄り道せずに帰ってくるに違いない。メア国内でも特に治安が良いホウロウでも、家に一人となる花南や隣の教会でやはり一人きりで暮らしている遊月を心配して、早く帰ろうと街があるのに野宿をしているのではないかと不安も混じる。

(白銀陛下と花船様のおっしゃることを聞いて、一日だけでも宿に泊まっていると良いのだけど)

 魔物や夜盗、迷いの森に入り込むことよりそちらの方が心配なのは、一般的な母親だからというより「隻」の母親だからだろう。ともかく、野宿しようが、宿で泊まろうがホウロウ街から王都メアを往復するには最速で七日はかかる。

 冬ならば豪雪にはばかれもっとかかるが、初夏のこの時期にはその心配はない、雪崩の要因になる雪もほとんどないだろう。雷もよく知っているはずなのに「今更何を」と思ったが、どことなく真剣な眼差しを向ける彼に彼女は肯いた。

「そうですか。それなら良い」

 声は小さく、よく聞き取れなかった。隻が三日後に帰ってくることに彼が安堵した事だけははっきりと解った。その理由に思考を巡らす間もなく、彼は花南の前を横切って、店の扉に手をかける。

「雷くん!どこへ、お店は…?」

 奇行とも取りかねぬ彼の行動に慌てて花南は咄嗟に彼の黒いコートの袖裾を掴んだ。予想していたかのように、雷は二頭近く低い彼女を振り返り見た。蒼い澄んだ瞳がこちらを静かに見据える。鼻梁が整った中にある鋭い眼差しや、日焼けではない肌の濃さは、彼が北国にはいない民族出身であることを花南に改めて思い出させる。

「隻が帰るころに戻ります。その時には、家に居……、いえ、会いに行くと伝えて下さい。お願いします」

「……」

 沈黙を諾と取ったのか、彼女が袖をつかむ力を抜いた隙に雷は店の外へ出た。

「雷くん!」

 何が何やら分からぬまま、あっという間に通りの人混みに掻き消えた雷の背を見て、花南は店の前で立ち尽くした。

「雷くん、お店、空路くんに叱られるよ……」

 論点のずれた彼女の言葉もまた青空へと掻き消えた。

 青空と樹海の上に寝そべる山々の雪が太陽で酷く眩しく感じ、雑踏が他人事のように遠くに響く。それらに悪寒を花南は感じ、自分自身を抱きしめた。山々から吹き下ろす冷たい風が赤銅色の長い髪を遊んでは通り過ぎていく。

 「あまり、良い風じゃないわね」

 小さく呟いた言葉さえも、山風がうち消していった。

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