全知全能の力を手にした主婦 私だけが毎日特売セール

そらどり

全知全能の力を手にした主婦 前田香織

前田香織まえだかおり(四十四歳)主婦はスーパーの入り口で悩んでいた。

特売セールを聞きつけて町内外から集まったヒョウ柄のピッチピチな服を着た猛者の集団行列が待ち受けていたからだ。


いくら咎めてもタバコを止めず、家事手伝いをしない昭和の価値観に染まったままの非正規労働者の夫(四十六歳)。

反抗期のくせして一丁前に受験生を名乗るが、スマホをいじってばかりで一切勉強をしない息子(十八歳)。

夜帰って来るのが遅く、なにを血迷ったのか日焼けサロンに通うと言い出したギャルの娘(十五歳)。

家族の生活を守るため、主婦である香織は日々奮闘していた。


僅かな収入、それに反比例して増加する教育費と娘の豪遊。

どんなに家計簿を切り詰めても足りないものは足りない。

パートを始めても得られる収入は雀の涙程度。電気代水道代光熱費等々、節約しても全く足りない。

こうなると食費を抑えるしか家族崩壊へ突き進んでいる現状を打破する術はないのだった。




「キャベツ一玉五〇円に、あら、もやしが一円。これは手に入れておきたいけど、この行列だと私が手に取る頃にはとっくに完売ね……」


今日は諦めよう、そう思い踵を返した瞬間、視界を覆うほどの眩い光が現れる。

それと同時に現れたのは、上半身裸の白いひげを生やした男だった。


「我が名はゼウス…天界を統べる神である。そこの麗しい女性よ、天界より貴方をずっと見ていました。自己犠牲を厭わず家族に尽くすも誰も貴方の頑張りを評価してくれない。貴方には死相が見えます。崩壊しかけている家族を支えるために、貴方の身体は蝕まれているのです…貴方は自らの人生を犠牲にしようというのですか――――――」


「あら? 外国人の方? 公衆の場で裸は駄目ですよ。あ、もしかしてスリにあったんですか? それは大変……! ……はい、私の上着貸してあげますから羽織ってください」


「あ、ありがとうございます……って、私は貴方にしか見えませんから平気なんですよ! それよりも貴方には死相が――――――」


「あら、靴も盗られちゃったんですか? ふふっ、うっかり屋さんなんですね。ちょっと待ってください……今、私の履いてるスニーカー貸してあげますから」


「ちょちょちょっと待ってええええぇぇぇぇぇ!!! 脱がなくていいんですよ! ほら、どうみても足のサイズ違うでしょう!? あ、ちょっと…だから中敷きを取っても大して変わりませんから!! と、取り敢えず私の話を聞いてください……!!」


ゼウスと名乗る外国人の方がそう言うので、私は話を聞いてみた。


「ごほん…では気を取り直して……香織さん、貴方には死相が見えます。このまま自己犠牲を続けていれば、善良であるはずの貴方に不幸が襲い掛かるのです。それでは神である私の監査不届きとなってしまう、そこで考えたのが貴方との契約です」


はて、契約……?


「もしかして新手の訪問販売ですか? それでしたらまた日を改めて……」


「だから違いますよ! 契約と言うのは、私と香織さんとの間で結ばれる対等な権利関係のことです! 私の持つ全知全能の力を授ける代わりに、貴方には幸せになってもらう義務が発生するんですよ!」


へえ、すごいのね――……


「この様子……香織さん、私が言ってること全く分かってませんよね?」


「ふふっ、テレビに疎い私でも分かりますよ。空を飛び回ったり、手の平のランプが光るやつですよね?」


「それ、ア●●ンマン! 手からビーム出すヒーローですよ! か、香織さん……いくら私が浮いてるからって……まさか私のこと未だに神様だと信じてないんですか?」


「え、外国人の方じゃないんですか?」


「違いますって!! 異国の方全員がア●●ンマンなわけないでしょ! ホームに入って来た電車の車両内にいる外国人全員がア●●ンマンだったら、それこそ世紀末ですよ!」


あまり電車に乗る機会がないから、想像ができないけど……


「なんだか楽しそうね!」


「大乱闘ですよ。ヒーローたちが職質受けてる姿、私想像したくないですよ」


なるほど、警察のお世話になるのは良くない。


「ほんと脱線ばかりで本題が進みませんよ……」


「なるほど、電車だけに。ゼウスさんも冗談がお好きなんですね」


「……もう無視しますよ。とにかくこの契約に則り私の全知全能の力を香織さんに………………」


ゼウスさんが両手を私に向けて、なにかぶつぶつと言い始めた。


「――――――はあぁぁぁぁぁぁああいいいいッッ!!!」


あら、どこかで聞いたような締め方。お笑い芸人のどなただったかしら?


「よし……これで貴方は全てを掌握する力を得ました……右手を宙にかざしてみてください」


言われた通りに手を上に向ける。すると、


「あら、なにかしら? 手の平から光が。これって……」


「もちろんビームではありませんし、奇天烈な懐中電灯でもありません。その状態で香織さんが願い事を口にすると、全て叶います」


「す、全て……!?」


「おや、ようやく香織さんも理解してくれましたか。そうですよ……貴方が望めば世界を征服することも意のままなのです。それもただ言葉にするだけで。はぁ……やっと香織さんが分かってくれました。全く…なにが天界を統べる神ですか……ただの責任者になった覚えはないんですがね……」


途中からゼウスさんが独り言を呟いていたが私にはよく分からない。それよりも衝撃な事実に思わず息を呑む。


ということはつまり、私の思い通りに現実を変えられるってことだよね……?


それってすごい……!


「さあ!! この力を使って、夫を改心させ、息子のやる気を出させ、娘を更生させるのです!! さすれば貴方を取り巻く不幸は消え、私の責任問題も解消されます!! では、行きましょう、香織さん!! 夕飯を作る香織さんを労うことなく、さも当たり前のように料理が出てくるのだと誤解している家族らの待つ自宅へと!!」








「あ、あの……香織さん? なにをしているんですか?」


「きゃあ―――!! キャベツが一玉二十五円!? え、もやしも一円!? まあっ、これなら今月の食費が浮くこと間違いなしだわ……!」


レタスもニンジンも白菜も、特売セールのチラシに書いてあった値段よりも安くなっている!


「あの……香織さん? ちょっと無視しないで……あれ、急に姿が見えなくなってます? 私の気のせいですよね? こんな上半身裸のひげ面おじさんが視界に入ってたら流石に気づきますよね?」


え、キムチ鍋の素が百九十八円!? 二百円も安くなってる……!


「よし……今夜はキムチ鍋ね!」


「ちょっと待ってください! え、なんで!? 『今夜はキムチ鍋ね!』じゃないですよ、香織さん!」


「もう、ゼウスさんったら……大丈夫ですよ。ちゃんと人数分用意しますからね」


「そういう心配はしてないんですよ! というか食卓に突然私が居合わせたら気まずいどころではありませんよ! 美術館内でキムチ鍋食べる家族なんて見た事ありません!」


ゼウスさんが凄く慌てふためいている。どうしたのかしら。


「だから話が違いますって……! 全知全能の力を手にして最初にやることが香織さん専用特売セール開催て……ちょっとスケールが小さすぎません? 世界征服とか恥ずかしげもなく言っちゃいましたよ、私?」


「大丈夫よ、ゼウスさん。なんとこの特売セール、毎日開催なの! しかも私だけ!」


「しょーもない……しょーもないですよ、香織さん……」


そう言うとゼウスさんは両手で顔を隠していた。そんなに驚かれると、ちょっと恥ずかしくなる。


「……あ、でもね、ゼウスさん。この力を使って私、ちょっとだけ悪いことしちゃったの。つい魔が差して……」


私が溜めながら言うと、ゼウスさんがゴクリと唾を呑んだ。


「な、なんです……? なんでもできる力を得たものたちは時に暴走してしまいますが……まさか入口で行列を作っていたヒョウ柄の方たちになにかしたんですか……?」


「うん……驚かないでね? 実は……」


賑わいを見せるスーパーの店内で、ゼウスさんの目を見て、私を重い口を開いた。


「二キロ先のスーパーで歯磨き粉の特売セールやってるって嘘ついちゃったの!」


「…………いや、しょうもないなあ!? 四十代の主婦ですよね、貴方!? 今更小学生みたいな悪戯しないでくださいよ!」


「そ、そうよね……! 毎回特売セールになると雌豹のように現れて全てを奪っていく悪い人たちだけど、やっぱり歯磨き粉セール開催してもらわないとあの人たちが可哀そうよね……?」


「なんかカッコよく言ってますけど、その方たちがやってるのって要は買い占めですよね? 普通にお店側に苦情を入れたら良いのでは……」


「それは駄目よ! 苦情を入れたら、お店の人たちの仕事が増えちゃうもの!」


物騒な雌豹集団に一人立ち向かう店長……うん、南無三。


「でも香織さんがやってることも大分お店泣かせですよ? 僅かな買い物とは言え毎日香織さんセール開催してたら、お店側の売り上げが少し減っちゃうんですから」


ちらりと店長さんを見る。眼鏡の隙間から哀愁の籠った虚ろな瞳がこちらを覗いていた。


「た、確かに店長さんに迷惑よね……」


「罪悪感があるなら初めからそんな願い事にしなければ良かったのに。キムチ鍋の材料を出せとか、プロが料理したキムチ鍋を自宅に届けてくれとか、全部香織さんの思うがままなんですから」


確かにゼウスさんの言う通りだ。やはり外国人の方は物知りなんですね。


「うん、私決めました! やっぱりやり方を変えないと!」


せっかく全知全能の力を手に入れたのなら、もっと賢く使わなければ。


「私、店長さんと仲良くなってきます―――!」


「…………それは洗脳では?」


私は数メートル先から哀愁の籠った虚ろな瞳で見つめてくる店長さんの元へ走って行った。


「…………あれ、本来の目的ってなんでしたっけ?」


残されたゼウスさんは一人そう呟くのであった。

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