🗡🐺狼駄(ろうだ)@ともあき

 『桜』

 僕は今、2022年の散り行く桜を見ながらこれを書いている。

 誰よりも早く春の知らせを届けて、そして散ってゆく桜。


 正月、僕は四年ぶりに実家鹿児島へ帰った。家族四人で千葉から帰るのは実に大変で、ついつい気持ちが遠ざかっていたのだ。


 皆が揃ってテレビを見ながら談笑する中、母がぼそりと呟いた。


「今年は桜が見れるかなぁ」

 その顔には少々寂しげな雰囲気があった。


「そんなのちょっと見に行けばいいじゃないか」

 僕は実に気楽な顔でそう言った。


 実家から見える所に桜はないが、少し足を延ばせば見に行くのは実に容易い。

 一体何を言っているのだろう?

 僕はそう思い、いつかその言葉すら忘れた。


 その半年後、母の大腸癌が見つかった。肺や肝臓にも転移したその癌は最早、完全に治る見込はなく、医師からは、四年を目標に頑張って行きましょうと言われた。

 ここ最近調子が悪かったらしい。しかし家業が忙しく、なかなか病院に行かなかった為、早期発見に至らなかったのだ。


 正月の時、既に発病していたのかは、今となっては分かり様もない。ただ、なんとなく呟いた一言であったのだと思う。 

 しかしもう六十六歳、母にとっての桜とはそんな存在であったのだという事を、僕は今更理解し、そして愚かだと思った。


 その後、僕は母の様子伺いに、年に二回、実家に帰った。

 彼女は自ら車を運転し、病院に赴き抗がん剤による延命治療を受けていた。

 家業も家事も今まで通りにこなし、趣味のパッチワークや社交ダンスの練習にもせっせと通い、まるでこれまでと変わらない様に振る舞って、僕が帰ると必ず笑顔で迎えてくれた。


 しかし抗がん剤の副作用で大した食事も取れず、癌は確実に彼女の身体を蝕んでいった。

 そして癌発見から四年目の春、遂に彼女は病院のベッドの上の人になった。


 僕は桜に限らず、街で花を見つけては写真を撮り、何度も送り続けた。しかし同年六月、母は僕が最後に送った紫陽花の写真を見る事無くこの世を去った。

 医者の余命宣告がこうも明確に当たるとは思ってもみなかったし、正直思いたくもなかったのだが、遂にここに至った。僕は涙が枯れる迄泣き、後は自分の胸の中に生涯、母を抱く事を決意した。


 2022年3月25日、僕はうちの目の前の公園に生きる桜の最初の花を見つけた。


 桜咲くこの季節、大抵は何かと忙しい時期であり、今年も例外ではない。

 最早、桜に出会いと別れを重ねるセンチメンタルな意識は、正直言ってあまり無い。


 僕は思う、ただひたすらに思う。


『ありがとう』


 その一言に尽きる。

 咲いてくれてありがとう。

 自分の健康にありがとう。

 これまで僕に関わってくれた全ての人にありがとう。

 そして何より……


『生んでくれてありがとう』

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