第30話 アイシア老化

「そう喧嘩するでない」

 集中治療室から出てくるアイシア。

「アイシアさん……」「アイシア……」

「お主らの愛は本物じゃ。だからどっちが悪いわけでもない」

 杖をついてしわくちゃな顔を見せるアイシア。

「どうしたんだ? なぜ老人に戻っている?」

「あの楔石はわしの身体に完全に取り込まれた。呪詛として、のう」

 呪詛。

 本で読んだことがある。

 理の埒外にある死の神。その中でももっとも恐れられている死神【アデス】。

 その名を口にするのさえ躊躇ためらわれる恐ろしい死の神。

 運命を切り開くノエルの反対側に立つもの。

「じゃあ、アイシアさんを襲ったのは死神ってこと?」

 波瑠が少し戸惑いながら訊ねる。

「違うのう。奴ならもっと濃い呪詛を投げかけるわい」

 老人としての呪詛。それは奇しくもランスロット王がかけた呪いと同列のもの。

 ランスロットごときでもできる呪詛を、死神が行うはずもない。

 となると――

「裏で何が起こっているんだ」

「この世界にはまだ秘密がある。それを解明していくのも一興」

 アイシアはふらつく足取りで寄ってくる。

「お、おい。無理をするな」

 俺はアイシアを支えると、ベッドに向かって歩き出す。

「お兄ちゃんのバカ……」

 波瑠は不満そうにふくれっ面を浮かべている。

「波瑠も来い。少し話をしよう」

「な、何よ? まったく」

 そう言いながら満更でもない様子で駆け寄ってくる波瑠。

「俺が間違いだった。不幸なお前を見て優しくしすぎた」

「え」

「甘やかし過ぎたんだ。お前は俺から離れろ。そしてこの領土を守ってほしい」

「どう、いうこと……?」

 目を見開き、今にも泣き出しそうな顔になる波瑠。

「俺は旅に出ようと思う。今はまだ誰と一緒に行くかは分からないが」

「どうして? どうしてアタシじゃないの?」

「波瑠は地球のことを知っている。正直、俺よりも頭がいい。だからさ」

「わかんないよ。そんなこと!」

「地球で学んだことをこの世界にも広めたい。そして弱者なき世界を目指してほしい」

 それが無理なのは分かっている。

 弱者のない世界なんてありえない。

 だが、それが希望の光になることもある。

 人の心のが人を救うのだ。

 だから波瑠の力は人々を幸せにする。そう思えた。

「アタシ、そんなことできないよ。連れっていって」

「無理だ。お前だけが頼りなんだ。頼む」

 俺は頭を深々と下げて波瑠に懇願する。

「俺はアイシアの呪いを解く旅にでる」

「そんな!」

 猛攻する様子で口汚く罵る波瑠。

 それはアイシアを傷つけるには十分な言葉だった。

「波瑠。分かってくれ。俺は帰る。帰りたい。だから旅をする。そのついでにアイシアの呪いを解きたい。これは理屈じゃないんだ」

「そんなのお兄ちゃんらしくないよ!」

「そうかもしれない。俺はアイシアに惚れているのかもしれない。だからこそ、本当の彼女と会いたい」

 俺はそう告げるとベッドで横たわるアイシアに視線を向ける。

「いやとは言わせないぞ。アイシア」

「ほほほ。そこまで言われたら、わしも腹をくくるかのう」

 アイシアは少し乾いた笑いで応じる。


 その日の夜。

 アイシアは病院で入院し、俺と波瑠はみんなと一緒に食事をとることにした。

「いやー。最近は土木業が盛んになりましたよ~」

 嬉しそうに呟くクラミー。

「そうですね。これもジューイチさんのお陰ですね」

 ソフィアが屈託ない笑みを浮かべている。

 料理は焼いた肉に特製ソースをかけたもの。オニオンベースの野菜スープ。パン。

 王族にしては質素だが、今は王宮のお金で学校や上下水道の設備などを建設させている。

 先代の王が隠し持っていた財産から削り出している。

 できあがりつつある道路も、俺のアイディアだ。

 コンクリート。

 それに鉄筋。

 それを可能とする反応炉の設営。

 他にもやることはたくさんあるが、波瑠の方がそこら辺は詳しい。

 しかもクラミー王女殿下を守る護衛としても活躍できるだろう。

 俺はみんながいる前で、アイシアと旅に出ることを告げる。

「私はここで学びたいわ」

「アイラ、行ってもいい?」

 ソフィアは首を横に振り、アイラは期待に胸を膨らませ挙手する。

 他のメンバーは否定の色を見せる。

「よし、じゃあ、アイラとアイシア、それに俺の三人で出かけるか」

 波瑠が未だに不服そうな顔をしているが、どうやら呑み込んでくれたらしい。

 食事を終えると、俺は用意された部屋で眠る。


 まどろみの中、俺は目の前にいる女神に話しかける。

「これで良かったのか? ノルン」

「ええ。これも運命の導き。おそらくあなたの示唆するとおり」

 言い方に引っかかりを覚えるが俺は白い丸机に置かれた紅茶に口をつける。

「しかしなんだ。なぜあのワインは人を陰魔物スキアに?」

「それについては私からは話せません。禁則事項です♪」

 どこかで聴いたような声音だ。

 まるで、地球の言葉のように。

 女神に与えられた能力や語学力は嬉しいことだが……。

「なんで波瑠を連れてきた?」

 ドスのきいた声音で訊ねる。

 波瑠は日本で幸せに暮らせば良かったのだ。それを、なぜ?

「それは申し訳ないことをした。私の失敗で彼女も死んでしまったのだ。だからその前に転移させた」

 眉根がつり上がる。

「死んだ? なぜ……?」

「お主をかばうようにして車にひかれた。ずいぶんと兄思いな子だのう」

「俺の、せい……?」

「あ。いや、そういうわけじゃないわ。ただ……」

 確かに俺にばかり懐いていた波瑠だからな。

 口ごもるノルンの言いたいことも分かる。

 俺に気を遣ったのだろう。

「波瑠は……。いやいい」

 二人して沈黙すると、ノルンが先に口を開く。

「でもお陰で世界を変えることができました。やはり先進国はいいですね。人らしく死ねる」

「人らしく……?」

「そうでしょう? 人は人らしく生き死にを迎えられるのが一番です」

「そういうあんたは神だが」

「ふふ。そうですね。でも死も老化もない、我々にとって情報を蓄積し、分析、世界に働きかけることが使命であり、生きがいなんてないんです。ただのコンピュータと同じ」

 悲しげに目を伏せるノルン。

 神様も色々と悩みを抱えているようだ。

 それもそうか。

 複雑化した今の日本社会。そこに善悪はない。ただより良い明日を望んで生きている。

 それだけなのだ。それだけなのに……。

 人はなぜこうも傷つけ合う。かくも他人を支配しようとする。支配されようとする。

 みなが自由に、そして安らかに生きていければそれでいいのに。

 戦いは非情なものになっていくばかりで、地球は悲惨だった。

 それはこっちの世界でも同じかもしれない。

 なぜ戦うのか、なぜ憎しみ合うのか。違う者、己と違う者。だが、愛せようも在るはずの者。

 他人がいなければ、自分の存在さえも曖昧な自分。

 自分の対義語は他者・他人。なら他人がいなければ、自分は存在しないのか? そうかもしれない。会話をできる他者がいることで、ようやく俺は俺らしくなる。

 他人がいなければ言葉の持ちようもない不定形な存在。

 だから他人を大切に思う。思える。

 生きている限り、他人と触れあうのだから。

「きみ、いい面構えになりましたね」

 ノルンがクスクスと静かに笑う。

「ああ。お陰様で。で、本来の目的はなんだ?」

「あなた、最近死んでいないでしょう? だから忠告です」

「忠告……?」

「ド、ゴン……にき、つけ、……」

 ザザッとノイズが走るように耳鳴りがする。

 けたたましい音が鳴り響く。

 鳥のさえずりを聞き、カーテンの隙間からさす陽光が激しいものに変わりつつあった。

 俺は起き上がると、夢を見ていた。でも内容までは覚えていない。

 すべては遠い記憶の彼方。

 忘れてしまった夢。

 もう引き返すことはできない別離だった。

 それも運命の女神ノルンの導きだったのだろう。

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