第29話 ドラゴン

 翌日、国立中央魔法病院に俺とアイシア、それに波瑠が訪れた。

 波瑠曰く、こちらで兄がお世話になったのだから妹がついてきてもおかしくない、とのこと。

 検査室で熟考する医者。

「これはね。取り除くと死んじゃうね」

 眉根を曲げ、困ったようにため息を吐く。

「取り除けないのですか?」

 俺は慎重に言葉を選ぶ。

「これね。すでに臓器のいくつかをのっとって、自分のものにしているね」

「自分の、もの……?」

「いや、逆か。生命力の高さか、呪具を自分の臓器として扱っている。そうでなかったら、とっくに呪具が臓器を破壊して死んでいるからね」

「そ、そんな……!」

 取り乱した俺は、立ち上がり、声を荒げる。

「お兄ちゃん、落ち着いて」

「……ああ。すまん」

「わしのことは気にせんといて」

 アイシアはそう言い、立ち上がる。

「そうは言うがお前の力ならこの国の未来を託せる、そう思ったんだぞ」

「それは嬉しいかのう。でもわしにはもう未来はあまりなさそうじゃ」

「アイシアさん。そんなこと言わないでください」

 波瑠も悲しそうに呟く。

 病院を出て王城に向かう途中。

 アイシアが苦しそうに胸を押さえて道ばたで転げ回る。

「アイシア!」

「アイシアさん!」

「わ、わしに近づく、で……ない!」

 瘴気がアイシアに取り巻き、周囲を暗闇に呑み込んでいく。

 アイシアの身体が膨れ上がり、ドラゴンのような形になっていく。

 そして手には鋭いかまを握っている。それがまるで死神の鎌のように禍々しく見える。

『我を地獄より召喚したのはお前らか?』

「なんだ? 声が響く?」

「お兄ちゃん。これってマズいよ!」

「波瑠、あれをやってくれ!」

 俺は慌てて波瑠に指示を出す。

「うん!」

 波瑠が手をかざし、周囲の魔力を奪い始める。

 と次の瞬間、俺たちのいる世界が切り取られる。

 隔離空間アストラル・フォース

 外界と内界、その狭間はざまに生きる空間。

 絶対領域。

 隔絶された空間に落としこむと、アイシアが声を荒げる。

『なんだ。これは!』

「波瑠の力、空隙の魔女だ」

『くうげき。聴いたこともないのう』

 ドラゴンは瞬膜を閉じ、怒りを露わにする。

 その猛々しい顎門から炎が吐かれる。

「させない! 空間転移」

 波瑠が前に出て空間をねじ曲げる。

「さすが波瑠。俺と違っていいもの持っているな」

 俺は頷くと、波瑠の後ろで詠唱を始める。

 氷柱針。俺にとって唯一の遠距離攻撃。

 発射された氷柱はドラゴンの喉元に突き刺さる。

『ふん。この程度の攻撃!』

「ち。やっぱり無理か」

 しかし、この状況、どう分析すれば。

 恐らく楔石が暴走してこうなっていると考えるのが自然だ。

 楔石の殺したい力と、アイシアの生命力が生んだ奇跡の個体――ドラゴン。

 災害級の化け物。力の根源。その存在証明。

 なんとでもいい。

 だが、この力は禍々しく邪悪だ。

空間転移ディメンション・アウト!」

 波瑠が叫び、ドラゴンの身体を蝕む。

 空間と一緒に持っていかれた右腕。その手に握られた鎌ごと。

 ドラゴンと人間の狭間はざまを生きる彼女にとってそれは代えがたい苦痛だったかもしれない。

 闇落ちした彼女など見たくもなかった。でも仕方ない。

「俺が攻撃をしている間、波瑠に任せる」

「分かったわ」

 俺が氷柱針で注意を引きつけると、ドラゴンは予想通り、俺ばかりを狙う。

 その間に魔力の整った波瑠が、空間転移ディメンション・アウトで肉を持っていく。

 肉塊を次々と奪われていく。その柔らかな内側に氷柱針をたたき込む。

 尻尾で波瑠を攻撃し、顔で俺を攻撃する。

 同時攻撃に波瑠が吹き飛ばされる。

「波瑠――っ!」

 俺は駆け寄り、その痩せた身体を受け止める。

「大丈夫か? 波瑠!」

「うん。大丈夫。でも魔力を使いすぎたみたい」

 俺の能力【無尽蔵】がない波瑠にとっては、魔法に上限がある。

「だから、ちょうだい。その魔力」

 そう言って波瑠は俺の唇と唇を重ねる。

 粘膜接触。

 これがこの世界で唯一の魔力供給ができる方法だ――。

 否、合意がなければできぬ行為。そして【無尽蔵】を持つジュンイチだからこそできる芸当だ。

 他の者ではすぐに魔力切れを起こし、その身は砕けるだろう。

「ありがとう。これで戦える」

 満足そうに呟く波瑠。

 俺はというと、目の前が真っ白になった。実の妹とのキス。それがどれだけ刺激的なのか、どれだけおかしいのか、分かっている。だからこその思考停止。

 分からない。

 分からないぞ、波瑠。

 空間を転移し続ける波瑠。

 その肉塊を奪われていくドラゴンは怒りで波瑠に堕天使の焔ブレス・マリアを吐き続ける。

 波瑠は空間ごと焔を切り取り、ドラゴンの柔らかな肉にぶつける。

 悲鳴に似た断末魔を上げるドラゴン。

 アイシアの苦しみと思うと、俺は悲しい。

「死なせないでくれ!」

 俺は必死に波瑠に呼びかけた。

「大丈夫よ。この程度で死ぬアイシアさんじゃないわ」

 そう言って再び空間転移ディメンション・アウトを使う。

 消えていく生命力。

 その巨躯を維持できなくなったドラゴンは地に伏せる。

 振動で粉塵が舞い上がり、砂煙を上げる。

 力尽きた、その顔には赤い双眸が見える。

「アイシア! アイシア。俺の声が聞こえるか?」

「お兄ちゃん。危ない!」

 俺はドラゴンの顎門の目の前にくると必至に呼びかける。

「俺はお前を信じている。こんなドラゴンにならずとも戦える。人の役に立てる。アイシアはそんな女の子だ。意地の悪いことをしないで、さっさと戻れ!」

 その鼻っ面に蹴りを入れると、収縮を始めるドラゴンの身体。

「え。そんなバカな……」

 波瑠が信じられないものを見るように呟く。

 みるみるうちにドラゴンから女の子へと姿を変えるアイシア。

 アイシアになり、その傷口がひどいことになっている。衣服はドラゴンになったときにはじけ飛んだのか、裸である。

 波瑠は気を遣い、布を取り出すと、襤褸ぼろを着せる。

「もっといい服はなかったのか?」

「アタシだって完璧じゃないわよ。しかたないでしょ」

 とはいえ、波瑠は空間操作の能力者だ。いつでも、いくらでも空間に隠しておける。最高のチート能力だ。

 とはいえ、ドラゴンを倒せるほどとは。

 空間を戻してもらうと、俺と波瑠はアイシアを抱きかかえ、病院へ急ぐ。

 王宮内にも治癒術士がいるが、病院の方が近い。

 しかし、空間転移か。

 ドラゴンの血肉はどこに転移したのだろうか。

 気になるが、あまり気にしてもいけないのかもしれない。

 病院に行くと、すぐに治癒魔法を受けるアイシア。

 集中治療室で全身のケアを行うそうだ。

「波瑠。ちょっといいか?」

「……なによ?」

 俺は人気ひとけのないところに来ると、深刻な面持ちで訊ねる。

「お前、アイシアを殺そうとしたな?」

「!!」

 驚いたような顔をする波瑠。

 だが、すぐに表情が変わる。

「…………ええ。そうよ。悪い?」

「お前は!」

 かっとなった俺に冷笑を浮かべる波瑠。

「だって目障りだったんだもの」

「だからって殺していいことにならないだろ!」

「それに、ドラゴンは滅ぼすべき悪よ。あいつが悪いんじゃない!」

 冷静さを失った波瑠に、俺は驚きを隠せない。

「お前、自分が何を言っているのか、本当に分かっているんだろうな?」

「分かっているわ。アイシアさんがいなければ、アタシが純一のそばにいられたのよ」

 違う。そういう意味じゃない。

 俺は波瑠にそんな子になって欲しくない。

「違う。違うよ。俺はそんなこと望んでいない」

「でもアタシは望んでいる。悪い?」

 こうしてしまったのは俺のせいだ。

 俺が甘やかしすぎたせいで、過度のブラコンになってしまったのだ。

 それは地球にいたときから。

 波瑠が性的暴行を受けてからいっぺんした。男を見る目が変わってしまったのだ。

 でも、俺だけは違う目で見てきた。

 俺は他の男とは別の存在として、彼女に光を与え続けてしまったのだ。

 波瑠だけが悪いわけじゃない。

 ぐっと握りこぶしを作る俺。

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