十月三日(木曜日)

 朝、新海は新宿東署にいた。

 今殺人事件は、現場により近い新宿東署に捜査本部が敷かれることになった。警視庁刑事部捜査一課と新宿東署刑事課の合同捜査になった。もちろん指揮を執るのは捜査一課だ。

 全捜査員を前に、死亡推定時刻の特定が発表された。死体が発見された前日、一日の十四時から十五時の間ということだった。そこまで細かく限定されたのには理由があった。一日の正午ごろ、二村は宅配ピザを頼んでいたのだ。証拠として、防犯カメラに、宅配員の男とピザを受け取るために顔をのぞかせた二村が映っていたからだ。そして、ピザはすでに全て食べられた跡があり、死体のその消化物の状態から時間が割り出されたのだ。

 各人に役割が与えられ、捜査会議は解散となった。

「おい、新海。宅配ピザの件だが、ピザ屋に確認したんだ。すると二村は三枚頼んだって話だ」隣の席の大友がいった。

「三枚? 普通、女性だけがそんなにも食べますかね……」

「そうなんだ。怪しいな。現場に残飯はなかった」

 新海は何かを思いついた。「つまり犯人はピザを誰かと一緒に食べていた?」

「そうだと思う。そしてそれが二村を殺害した真犯人――。自然じゃないか?」

「そうですね。あっ――」新海は何か思いついた。「大友先輩、一緒に食べる相手、って誰でしょうか?」

「んっ。そうか」今度は大友が目を大きくした。「親しい人物ってことか?」

「そうでしょうね」新海は前を見たまま頷いていた。


 予定通り、新海と大友はまず第一発見者の古畑が勤めている出版社へ来ていた。

「彼女の就業態度と真面目な性格から、無断欠勤は考えられないと思ったんです。それで心配になって部屋に行きました」

 大友が口をはさんだ。「そこにマンションの管理人が偶然通りかかって、鍵を開けてもらった。そして入ったらすでに二村さんは亡くなっていた――」

「はい……」古畑は下を向いた。

 ここまでは事前調べ通りだった。

「一週間前、古畑さんは二村さんの部屋を訪れましたね?」

「はい、よく遊びに行きますから。それが何か?」

「その時、すでに誰かが部屋にいたということはありませんか。よく思い出してください」大友は鋭い眼光を向けた。

 防犯カメラには事件前三日間は、二村本人以外の出入りがない。では死亡前、誰が二村の部屋に最後に訪れたかというと、五日前に古畑が訪れていた。その時点で、すでに中に人がいたというなら、その人物が怪しいというわけだ。

「いいえ、誰もいなかったように思います。片付いている部屋ですから――。私があそこにいた数時間、ずっとクローゼットに入っていたなんてこともありえないと思います」

「ありがとうございます」犯人の侵入方法については、わからないままということだ。

「では、一応お聞きします。死亡推定時刻、古畑さんはどこにいましたか。疑っているわけではないんです。警察の規則ですから」

「出版社です。同僚に訊けば間違いありません」古畑の態度は堂々としたものだった。

「最後に、最近の二村さんの交友関係について何か特筆すべき点はございましたか?」

「ええ……。最近……、幸せそうだったんです。男性と付き合い始めたんだって――」古畑は目に力を込めた。すると何かを思い出したように声を挙げた。「そう――。だから余計に不安に思ったんです。あんなに楽しそうだったのに、急にどうしちゃったんだろうって」

「その付き合い始めた人物は誰か教えていただけますか?」大友は身を乗り出していた。

「確か……同じマンションの四宮しのみやさんとか言ったかな……。雑誌編集社同士の食事会で知り合ったと言っていました」

 事情聴取後、新海は『リーフ』に四宮という名前があるか調べ、白い歯をのぞかせた。なんと殺された二村の部屋の真上に四宮しのみやつよしが住んでいることがわかったのだ。


 午後、捜査員より有益な情報が入った。事件当日、つまり十月一日、防犯カメラが全館とも朝八時から十時まで点検修理のため、二時間だけ映像が存在しないというのだ。つまり、その間に侵入すればカメラに映らずに済むというわけだ。いくら知人でもバルコニーから侵入されたとなれば、二村も用心していたはずだ。よってこの時間帯に中に入ったのではないかという見方で捜査を進めることになった。ちなみにその情報は、マンションの住民全員に、事前にダイレクトメールで知らされていたことから、マンション内部の住民は防犯カメラに映らずに済む方法を知っていたことになる。

 すでに四宮には重要参考人として家宅捜索令状が取られていた。

 十八時、新海と大友は『リーフ』に向かっていた。仕事が終わって帰宅している四宮に、家宅捜索及び事情聴取するのだ。

「犯人の足取りについて整理してもいいですか?」東新宿へ向かう車中で、新海は言った。

「ああ」大友は新海に顔を向けた。

「被疑者は事件当日、カメラの映像が切れている八時から十時に侵入します。二村と関係のあるその人物は、昼に宅配ピザを一緒に食べ、十四時頃殺害を実行します。犯行時刻以降は、部屋から出ている人間がカメラに映っていないことから、窓を開けバルコニーから逃げたとみています」

「そう考えて間違いないだろう」

 そうなってくると、方法はわからないものの、脱出先はその部屋の真上の可能性は自然と高まる。住居人であり、付き合いの深い人物、四宮を睨まずにはいられないというわけだ。

 新海は一気に事件を締めれる気がして、高鳴った胸の鼓動を抑えられそうにない。

 四宮の部屋の前でチャイムを鳴らした。すぐにドアが開いた。

「はい、お待ちしておりました。どうぞ」長髪で鼻筋の通った男、四宮が笑顔で出迎えてくれた。細身で背も高い。三十五歳、敏腕雑誌編集長として、同業社にも名が通っている有名人であることは抑えてある。

 大友が令状を示すと、四宮は快く部屋を案内してくれた。

 しばらく二人は部屋の物色に入った。発見されていない凶器である縄を探すためだ。

 しかしそれらしき物は見つからなかった。また七階のバルコニーから、ここ八階まで上がって来られるような機械も見当たらなかった。

 その間四宮は二人の刑事を、腕を組んで見ていた。新海は、しばしばその姿を目の端にとらえていたが、すべての所作に淀みがなく、爽やかな表情を崩すことが全くない。この男は、女からモテる才能のある人間だと考えていた。

 室内には何も見つからず、そのまま事情聴取に入った。

「失礼ですが、一日は何をされていましたか?」

「一日は仕事を休みました。久々に体調を崩してしまい、寝ていたんです」

「ずっと部屋にいたということですか?」新海は瞳をそらさずに訊いた。

「いいえ。その日の晩、部屋を出ました。ええっと……晩ご飯を買いにコンビニに行きました」

 すでに調べてあった通りで、その映像は防犯カメラに映っていた。

「ここにいた時は、誰か他にいましたか?」

「いいえ、一人でした。看病してくれる人がいたらいいんですけどね」四宮は一瞬笑っておどけて見せた。

 嘘くさい芝居のようだった。とにかく事件当日のアリバイはないわけでますます怪しい。

「二村さんとは親しくされていたのですか?」

「付き合いがあるのは認めますよ。去年の暮れ、都内の出版社の合同懇親会で出会い、それから付き合うようになったんです」

 すでにカメラには、お互いの部屋を何度も行き来する映像が確認されている。

「もう一度確認しますが、事件当日は晩に出かけるまで、ずっとここにいた、ということでよろしいですね」新海は真正面から睨みつけた。

「ええ、熱でうなされていて、それどころじゃありませんでしたよ」

「では、最後にバルコニーを見せてください」新海は立ち上がりながら言った。

「ええ、どうぞ」四宮は鍵を開け、大きな窓を開いた。どうぞ、という風に外に向けて手を差し出した。

 バルコニーは、もちろん七階の二村の部屋と同じ構造だ。

 しかしそこには、目を見張るものがいくつもあった。一輪車が二個、壁に立てかけられているのだ。それは少し特殊で、黒のタイヤラバーが無く、シルバーのフレームがむき出しの状態なのだ。

「これはどうして置いてあるんですか?」新海は怪しむ目で尋ねた。

「昔から好きでね、たまにここで乗っていたんです。今はパンクしちゃいましたが……。もう捨てなきゃいけませんね」

 布団を干すための金属の手すりには、何やら擦れた跡が二つあった。新海は、その何かの摩擦跡を証拠用のカメラで撮影すると、一輪車も撮っておいた。

 最上階だけあって、天井はやや低く、三メートルほどの高さだ。そこには下の階と同じく、天井からコンクリートが溶接される形で、頑丈な物干し竿専用の輪が、三メートル程の間隔で窓と平行に二個ぶら下がっている。

 新海はいきなり、素早く振り返った。すると四宮が一瞬、こちらを見下ろすような冷たい視線を投げかけているように見えた。

 その物干し竿用の輪をよく観察すると、最近できたような幾重にも重なったこすれた跡があった。それも同様に写真に収めた。

 では、犯人が四宮だとしたら、一体どうやって、下のバルコニーからここに上がったというのか――。

 その場では何も思いつかず、二人は礼を言って四宮の部屋を退散した。

「怪しいですね」

「ああ、あいつは何か隠してるよ」大友は一点を見つめていた。大胆不敵な四宮を想像していた。「何か、気を張っている気がした。あいつは黒だな」

「なんでそう言い切れるんですか?」

「それは――長年の勘だ」

「それは大きな証拠になりますね」大友はおかしなことは言わない。それに新海も同様の印象を持っていた。睨みつけた時に返してきた視線には、受けて立つという強気の姿勢がうかがえた。トリックを暴くことが事件解決の鍵を握る気がしていた――。

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新宿高層マンション殺人事件 (限定公開) 塚田誠二 @Seiji_Tsukada

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