04.結婚

 ダンスパーティーの日の失態は、学校中……いや、高貴貴族の間中に知れ渡ってしまった。フランチェスター高校創立以来、前代未聞の出来事だそうだ。

 紳士淑女の集まりで逃げ出そうとしてド派手に転倒するなど、後にも先にもロレッタくらいのものだろう。

 時間を巻き戻せるなら巻き戻したかった。そうすれば、ダンスパーティーに出席したいだなんてもう言わないのだが。

 当初の思惑とは正反対に、スカルキ家には最悪な印象を与えて、ベルルーティの令嬢の名は地に落ちた。

 もうこんな令嬢など、誰も相手にしてくれないに違いない。それは元からであったはずなのに、胸が引きちぎられそうなほどつらい事実でもあった。


 それから一週間も経たずに、ロレッタは父親のオリンドに呼び出された。

 お小言だろうかと気が重くなりながら書斎に向かうと、意外にもオリンドは嬉しそうな顔をしているではないか。


「お父様……? どうされたのですか?」

「いいニュースだ、ロレッタ。まぁ、座りなさい」


 促されたロレッタは、首を傾げながらソファに腰をおろす。すると嬉しそうだった顔を、無理やり不満げな表情に変えていた。


「先のダンスパーティーではスカルキ家の無礼のせいで、酷い目に遭ったな。ロレッタ」

「いえ、先に無礼を働いたのは私の方……」

「言うな、わかっておる。しかし、こちらの方が貴族としては格上なのだ。このまま見過ごすわけにはいかん。責任は取ってもらう」


 オリンドの言葉にロレッタはぞっとした。父親はスカルキ家に制裁を与えるつもりだ。ベルルーティ家に利のある、なんらかの賠償を求める気だとわかり、ロレッタはふるふると首を横に揺らした。


「おやめください。私が悪かったんですから、スカルキ家にはなんの非もありません!」

「時にロレッタ、お前は流暢に話せるようになったなぁ」

「え?」


 急に話の腰を折られたロレッタは、ぽかんとしてオリンドを見上げる。


「以前は私ら家族にも、どもることがあったが……最近ではほとんどなくなった」

「それ、は……」

「あのジアードという男のおかげだろう?」


 そういわれて、ロレッタはこくんと素直に頷く。もちろん、イデアやセノフォンテらのおかげでもあるが、一番はジアードで間違いない。


「彼と結婚しなさい」

「……え?」


 にっこりと微笑む、優しい父親の顔が目に入った。

 ジアードと結婚……それはロレッタがなにより望んでいたことだが、いきなりの降って湧いた話に頭がついていかない。


「うちは、スカルキ家に辱められたのだ。そのくらいの責任は取ってもらって当然だろう」

「で、も……」

「心配はない、こちらの方が格上なのだ。あちらには負い目もあるし、まず断らんよ。というより、もう話はついていてな」


 オリンドはまたもや嬉しそうに笑い始めた。


「え、それは、どういう……」

「責任を取ってロレッタを娶るといってくれたのだよ。できれば婿としてうちの分家に欲しかったが、あちらは本家の一人息子。お前がスカルキになることで合意してくれたよ。もちろんジアード本人にも了承済みだ」


 ジアードがロレッタとの結婚を了承してくれた。その言葉を聞いた瞬間、脳内が沸騰したかのように燃え上がる。


「ロレッタも、今度は断りはせんでくれよ?」

「は、はい! もちろんです……ありがとうございます、お父様!」

「お前のそんな喜ぶ顔が見られて嬉しいよ」


 オリンドも嬉しそうに笑い、ロレッタは喜びで打ち震えた。

 結婚なんてできるわけがないと思っていた自分が。一番好きな人と結婚できる。それだけでもう、天まで舞い上がれそうな気分だった。


「まぁこれは確約ではあるのだが、一応形式として、今度の日曜にお見合いをしてもらうからな。二人でゆっくりと楽しんできなさい」

「はい、わかりました……!」


 オリンドの計らいに感謝して、るんるんと踊るように書斎を出た。

 胸は高鳴る。自分は、最愛の人と結婚できるのだと。

 ロレッタは最高の幸せを噛み締めながら、日曜を迎えることとなった。


 お見合いというと着飾るのが定番であるが、お互いに着飾るのが苦手な二人は、『失礼な格好でなければいいよね』と学校にいる時にすでに相談していた。


 というわけで、ロレッタはスマートエレガンスな膝下丈のワンピースを、ジアードは公式の大会の時に着る、藤色の剣術着を着ていた。

 場所は王都でも有名な料理屋の一室で、広い部屋にたったの四人がテーブルの前の椅子に座っている。

 ベルルーティとスカルキの当主同士が挨拶を交わしたあと、オリンドがジアードに話しかけた。


「挙式は、君が十八になったすぐにでも挙げてもらうつもりだ。かまわないかね」

「はい。私もそう心得ております」


 ジアードは正式な場所のためか、一人称を『私』と改めている。

 十八になったすぐというと、高校三年になったすぐのようだ。セノフォンテたちと同じ学生結婚になるだろう。

 学生結婚という言葉にちょっと憧れを抱いていたロレッタは、顔がにまついてしまうのを抑えられなかった。


 そうしてしばらく話していると、両当主は「じゃああとは二人で」と部屋を出て行った。


 すでに結婚は決まっていて、このお見合いは形式上のものだ。嬉しくはあるが、緊張はしていない。それは目の前のジアードも同じようだった。


「ロレッタ、なにか追加で頼もうか」

「いいえ、大丈夫。そんなにお腹すいてないから……ジアードさんは?」

「私もこれだけで十分だよ」


 大食らいのジアードが、ほんの少しの茶菓子程度で満足できるとは思えないが、本当に食べたいとは思っていないようだ。

 それよりも、二人っきりになったというのに『僕』に戻っていないのが気にかかった。


「ちょっと外に出ないか? ずっと部屋の中にいても、時間がすぎるのは遅いし」

「え? ……うん」


 お見合いの時間というのは決められているわけではないが、あまり早くに解散するのは縁起が良くないとされている。最低でも三時間は一緒に過ごすのが礼儀だ。


 外に出て街を歩くも、あまり会話は弾まなかった。学校にいるときより、ジアードの元気がないように感じるのは気のせいだろうか。


「どこか、行きたいところは?」

「じゃあ……ジアードさんの家のお庭でも?」

「うちの? ……かまわないよ。行こうか」


 ジアードの庭といえば、セノフォンテがイデアにプロポーズした場所である。

 あの時の光景は鮮烈にロレッタの記憶に残っていて、なによりの憧れだ。


 私もあのお庭で、ジアードさんにプロポーズされたい……っ


 きっとそんなロレッタの気持ちを、ジアードはわかってくれるはずだと、ロレッタは思った。

 お見合い結婚でも、プロポーズの言葉がほしいのだなと気づいてくれる。そんな期待を抱いて、ロレッタたちはスカルキの庭に足を踏み入れる。

 手入れの行き届いた庭は季節の花が咲いていて、とても心地よい空間だ。ここでプロポーズをしてもらえたなら、どんなにかロマンチックだろうか。

 わくわくとロレッタの胸が高鳴る。


「あの、ジアードさん」

「ん?」


先を行くジアードが振り向き、ドキドキとする胸を押さえながらロレッタは切り出した。


「ふ、夫婦になるのは確定なんだし……ジアード、って呼んでもいいかしら……」

「ああ、かまわないよ。私も会ったその日から、ロレッタと呼んでいたしね」

「ありがとう、ジアード」


 名前で呼び捨て合うなんて、奥さんみたいだ……と喜ぶと同時に、不安が濡れた布のようにまとわりつく。

 浮つくロレッタとは裏腹に、ジアードにはいつもの明るさが見られないのだ。

 全体的に落ち着いているというべきか。やはり少し緊張しているのだろうかとロレッタはジアードを見上げる。


「ん?」


 それに気づいたジアードが優しく微笑んでくれて、杞憂だったかとロレッタは胸を撫で下ろした。


「えと、結婚式楽しみね」

「……そうだな」

「なにかやりたいことってある?」

「うーん、そういわれてもパッと出てこないな」

「私はね、イリス教会で挙げたあとは、ここのお庭へお友達を呼んで立食披露宴パーティーをしたいの。あ、お友達っていっても私はセノフォンテさんとイデアくらいしかいないけど……でもジアードはお友達いっぱいだから、とても楽しいんじゃないかなって。それに私もそういう席なら緊張せずに済むと思うし、ジアードとのお友達とも交流を持……ジアード……?」


 どこか遠くを見ているジアードに、ロレッタは眉をひそめた。ロレッタの視線に気づいたジアードは、ハッとして眉に力が入ったまま笑っている。


「あ、ああ。そういうのもよさそうだな。ロレッタの好きにしてかまわないよ。私はそれに従おう」

「そんな、従う、なんて……」


 つきんと胸に痛みが走った。優しく笑ってはくれているが、喜んでいる顔ではないことくらいはわかる。


「いや、だった……?」

「そんなことないよ。とても楽しそうだ」

「うそ!」

「本当だよ」


 しんしんと降り積もる不安。

 心臓がばくばくと、変な音を立てている。


「私たち……結婚するのよね……?」

「するよ。それは確定事項で、私たちがなにを言っても覆りようがない。だからロレッタは、なにも心配しなくていい」


 いつものように優しく頭を撫でてくれるジアード。

 しかしロレッタはまったく安心できなかった。降り積もった不安で足が動かない。


「結婚、してくれるのよね!?」


 再度同じことを確かめずにはいられない。ジアードに縋るように彼の胸に手を置いて、その目を見つめた。


「お願い、約束して……私をちゃんと娶るって……」


 プロポーズなど、自分からお願いするものではないと思っていても。ロレッタは不安から懇願した。


「約束するよ。必ず責任はとる」


 その言葉を聞いた瞬間、ロレッタの目からはぽろりと涙がこぼれ落ちる。


 ジアードにとって、これは望まぬ婚姻だったのだ。浮かれていたのは、自分だけだったのだと思い知って。


 思えば、当然の反応だった。

 スカルキよりもベルルーティの方が貴族の格は上だ。さらにスカルキはベルルーティに恥をかかせた負い目がある。婚姻話を出されては、絶対に逃げられない状況なのだ。

 なんのことはない、これはただの政略結婚だったということに、ロレッタは今さらながら気づいた。

 恋愛結婚であるセノフォンテとイデアとは、決定的に違うのだと。


 プロポーズの言葉が……これ……?


 悲しくて涙が止まらない。

 相思相愛で結婚できるものだと、なぜ思い込んでしまっていたのだろうか。

 セノフォンテがイデアにしたような素敵なプロポーズを、自分も受けられるものだと思っていたことが恥ずかしい。


「ジアード……私のこと……好き……?」


 嫌いだといわれたなら。

 この婚姻はなんとしても断ろう。

 ベルルーティからの断りなら、角は立たないはずだから。


 はらはらと流れるロレッタの涙を、ジアードはゆっくりと親指で拭き取ってくれる。


「…………好きだよ」


 冷たい海の底に沈んだような瞳と、悲しい笑み。苦しみを奏でるような音の言葉に、ロレッタは崖の上から突き落とされたような気分になった。


 うそつき……


 ジアードの優しさが好きだった。しかし、こんな優しさは……。

 しかしロレッタはジアードを突き放すこともできず、そのまま流されるように二人は結婚したのだった。

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