第5話 最強の楯
「お疲れ様、槇村センセ」
槇村が東都医療センターの一階にあるカフェで、つかの間の休憩をしていると、コーヒーカップを持った
総合病院となると、カフェテリア、売店、図書室、食堂などもある。
もちろん、病院で働くスタッフの為の食堂はあるが、昨日あんな事があったから、外の空気をすいたかった。
「傷…、大丈夫なの?」
まぁ…と、答えた槇村の左腕には包帯が巻かれている。
昨日、静まり返った『さざなみクリニック』の診察室で、市ノ瀬が巻いてくれた包帯。傷は思ったよりも深くなく、二〜三日で包帯も取れると思う。
菜々は「大したことなくて、良かったわ…」と、優しく笑う。
槇村の傷を、本当に心配してくれているようだった。
もしかして、彼女は昨日のゼウス襲撃事件を知っているのだろうか?
「ふふん。アテナさんは、千里眼なのよ」
槇村の考えなどお見通しで、菜々は
「キミは顔に出るタイプだから、気をつけなさい」
そう言って、持っていたチョコレートを差し出しながら、自分も一粒口に入れる。
チョコレートの甘さに自然と和らいだ口元を、少しつぼめた菜々は、内緒話をするような仕草で口に手を当てた。
年齢より、随分可愛らしく見える仕草。
「…昨日、力の波動は感じ取っていたのよ。これでも私は、ティターン
「…人間?」
「そうよ。同じ人間。ただちょっと…人と違う力を持っているだけ」
そうは思わない人もいるみたいだけど…と、槇村の傷を見る目は、どことなく市ノ瀬に似ている。
「
「花束? まさか、
「ふん。違うわよっ。送り主は『さざなみクリニック』のドクターね」
「え?!」
思わず反応してしまった槇村に、菜々は冷やかすようおどけた顔で、にんまりと返した。
ぱっと、槇村の目尻が染まる。急にドクドクと激しくなる心臓の音が、聞こえてしまいそうで恥ずかしい。
でも、自分ではどうしようもないのだから、しかたがない。それに、昨日会った市ノ瀬が、彼女に花を贈る素振りなど無かった。
それとも俺が気付けなかっただけなのか…?
わけもわからない苛つきを覚えた槇村は、何も言えないで押し黙った。
槇村の反応を楽しげに堪能した菜々は、『さざなみクリニック』を強く強調して、話を続けた。
「…宛名は書いてなかったけどね。ハマナスの花束を送ってくるのは…ふふふ、世界中探しても彼くらいでしょうねぇ」
眩しくて目を細めてしまうのは、彼女の笑顔か…、太陽の光のせいなのか…。
彼女の事を、ほんの数ヶ月前までは、先輩で…同僚…。他の見え方なんて無かったのに、今、目の前にいる菜々を神々しいと感じる。
十四の娘がいる年齢だが、誰の目から見ても美人だ。
市ノ瀬が…彼女に花束を贈るのも不自然な事ではない…。
菜々はというと、全てはお見通しで、手をひらひらさせながら笑う。
「キミからヤキモチを向けられるのは、悪い気分ではないわねぇ。ましてや相手は海王だもの」
「っ。えっと…」
「残念だけど、キミが思ってるような意味はないわよ」
「…なら、何かわけがあってわざわざ花を?」
「ふふ。そうね。たぶん…、海王は自分との関わりを、誰かに気づかれないようにしたんだと思うんだけどねぇ。これでバレないようにしているって言うんだったら…、以外と抜けているわよね?」
花束の送り主に、呆れた素振りで又一粒チョコレートを口に放り込む。
そうして、今度は手帳に挟んでいた赤い花びらを一枚、槇村のコーヒーカップの横に置いた。
「ハマナスの花びら?」
「ん。そう。
槇村は、言われた通りに太陽の光にかざしてみるが、空に傾けた頭を、ペチ!と菜々に
「もう! 透かした方の影を見るのよ」
痛くはないが、なんとなく叩かれた頭を触りつつ、言われたとおり、光に透かした花びらの下を見た。
木目のカフェテーブルには…、文字が浮かび上がっていた。
『身を隠せ。申し訳ないが槇村医師も一緒に』
ガタン!!
槇村は文面を理解した途端、立ち上がっていた。
「……どうする?」
そんな槇村を、菜々は可笑しそうに見上げる。
どうする…と、言われても、どうしたら良いのか分からない。
身体はどうしたいか知っているが、昨日も
自分が側にいても、足手まといになるだけだろう。
それでも……。
「行きたいんでしょ? いいわよ。私も彼にかりがあるし、できるかぎりキミを守ってあげる」
菜々の声は明るい。どこに行きたいかなんて今更だし、何に巻き込まれたかもわからない程、彼等を理解していないつもりもない。
菜々の「守りたい人がいる人間は、強いわね…」と、柔らかく笑った顔は凛々しい。
心底尊敬できる菜々は、やはり頼もしい槇村の先輩だった。
さざなみクリニックの診察室では、市ノ瀬が、心地よい潮風に身を委ねていた。
昨日…槇村の傷の治療を終えると、早々にタクシーを呼び、追い出すように帰してしまった。
市ノ瀬自身、最初の頃は、槇村の事を煩わしく感じなかったわけではない。だが、今ではすっかり受けいれていた。
槇村は頭が良いくせに馬鹿正直で、おせっかいで、図太い。
昨日も、とりあえずびしょ濡れでいさせるわけにはいかないので、服に含んでいた水分を飛ばしてやれば、いちいち市ノ瀬の手の動きに驚いて見せる。
自分と関わらなければ、こんな災難に巻き込まれることはなかったはずだ。しかし槇村から
ただ、黙ったままでいる市ノ瀬を気遣うよう、包帯を巻いた腕をきっちり着込んだシャツで隠していた。
あまり人とは深く関わらないようにしていた市ノ瀬が、槇村にはスッと馴染んでしまっている事に戸惑いもあるものの、波風のような温かさも感じていた。
市ノ瀬がその日の診察を終えた時間は、八時を過ぎていた。
看護師長と、数人のスタッフへ今後の引き継ぎと、明日から来る
看護師長は、お帰りをお待ちしています…と、冷静だったが、他のスタッフは動揺しているようだった。
…無理もない。
たいした疲れはないのに、一人になると、自然と溜息がでてしまう。
患者のデータや、経営など細かな片付けを終え、ようやく帰宅しようとした時だった。
ガッシャーン!!
轟音とともにガラスが割れ、扉が崩れ、建物全体が大きく揺らいだ。
強風に煽られた白いカーテンが、バタバタと揺れる。しかし、それもつかの間…、閃光が走り、狂った風が大気を切り裂きながら、市ノ瀬にぶつかった。
バリッ! グシャ―――――!!
パラパラと、建物の残骸が市ノ瀬の頭上から降ってくる。
元々いた場所は、建物ごと吹っ飛び崩れていた。
耳鳴りで頭が痛い。
辛うじて避けれたか…?
ようやく闇になれた目で周りを見渡せば、――菜々がいた。
市ノ瀬に
淡い光を放つ楯。
「
夜の闇に、ゼウスの身体が浮かんでいた。
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