さざなみクリニックのドクター

高峠美那

第1話 お手並み拝見

 遠く地平線の彼方で星が瞬く…。 

 眩しいまでの輝きを放つ星空が、打ち寄せる波に、光を惜しむよう反射しては、海に飲まれて消えていく…。

 やがてゆっくりと空に星が溶け込むと、朝焼けが、波打ち際でたたずんでいた青年の顔を照らした。


「まったく……」 


 振り向いた青年は、槇村まきむらの小言に、フッと形の良い眉をあげて笑う。

 

 青年の名前は、市ノいちの かい

 この見た目麗しい色男とは、親友だと思っていた。少し前までは……。 


 何も言わないで消える気だったのだろう。


 いなくなるのも突然だが、出合いも強烈だった…。



 * * *



「きゃあぁぁぁ――――――!!」


 耳をつんざく女の叫び声が、料亭に響いた。

 槇村が客として、この店にいたのは本当に偶然だった。個室の戸をそっと開くと、奥の部屋から転がり出るように、仲居の女が飛び出してくる。


「きゅ、救急車! 救急車!!」


 血の気が引いた真っ青な顔。

 槇村は女の手をとり、自分が医師であることを伝えた。


「お、お客様がっ。お客様が…っ」 


 女は気が動転していて、言葉が続かない。しかし、客が食事中に倒れたと聞けば、医師として放って置くわけにはいかなかった。


 仕方なく連れに断りを入れ、奥の騒ぎの部屋へ赴いた。  


 そこは和室10畳ほどの個室。

 槇村が会食していた個室とは、あきらかにグレードが上がる上質な空間に、同席者から「先生!」と、呼ばれている身なりのいい男が、腹を天井に向け、すでに意識がない状態で転がっていた。


 テーブルにはもがき苦しんだのか…、ワイングラスが倒れ、綺麗に盛られていたであろう刺身の舟盛りが散乱している。


 まずいな…。


 ここでも医師である事を告げた槇村は、首筋の脈を確認するが、本当に微弱ながら反応を感じた。


 しかし、喜べる状況ではない。呼吸もかろうじてしているが…、今にも止まりそうな脈と一緒でかなり危うい。


「断定はできないが…、毒物による反応だと思われます。同じ食事をとられているようだが、この人の他に具合の悪い方は?」


 槇村は同席者の三人の様子を伺う。恐らく議員とか、知事とかのおえら様方だろう。

 言葉はそれなりに丁寧だが、槇村を見下したような態度につきあえるほど、悠長に構えている状態でない事はあきらかだった。


 救急車が到着するまで、もつかどうか…。


 すぐにでも胃の洗浄をするのが一番良いのだが…、そう思い、テーブルの隅におかれた水の入ったデキャンターに手を伸ばした。


 その時、すらりとした青年が槇村のすぐ横に腰をかがめた。

 青年は自分も医者だと言い、落ちついた声で全員部屋の外へ出るよう促す。


「どうぞ、部屋の外へ。あんたは…、悪いが誰も入らないよう、扉の所で見張っててくれるか?」


 槇村が、どういう事だと訝しげても、今は一刻を争うから従って欲しい…と、言われてしまう。


 一刻を争うのは、重々承知している。

 多分この状態だと、救急車は間に合わない。しかし…。


「君なら助けられると?」


「ああ。…たぶん酒だろ。違うか?」 


 毒の混入元であろう白ワインシャブリを指差す。それを調べるのは警察の仕事だが、会食していた者たちから聞くに、槇村も同意見だった。


 「たぶん…」と、頷く槇村に、流し目を向けた青年は「失敗しても、あんたも共犯だ…」と、唇の隅を持ち上げる。

 一瞬見せた挑発的な顔に、槇村は思わず目を見開いた。


 だが直ぐに医師の顔に戻った青年が言った言葉に、槇村の医学の知識からは疑問符しか出てこない。


「あや…つる?」 


「ああ。毒とはいえ…、水の形状をたもっていればあやつるのに、問題はない」


 単純に…医者として、彼の処置方法に好奇心が駆られた。しかし、自称医者だと言った美形の青年は、患者に触れるわけでもなく、今まさに死ぬ間際の人間を無表情に見下ろす。

 そうして、ゆっくりと左手をかざすと、途端転がっていた男がもがき出した。


「…少し、我慢してくれ」


 青年は苦しんでいる男には構わず、かざした繊細そうな細い指を、小指から一本づつと握っていく。


「グホッ!!」


 男の口から水状の液体が噴き出した。血液まじりのそれは、まるで青年が支配しているように、宙に長い帯びをつくリながら、浮かんでいる。


 ぐっう――…と、唸る男は毒の要因である胃の中のものを吐き出されていった。


 そうして蒼白の顔ながら、ゼーゼーと手を畳につけ、息を吐いた男を見れば、彼が命を助けたのは明白だった。


 ――だが、どうやって? 


 槇村の目には毒が抜けた…という事実だけしかわからない。


 命を救ったはずの青年は、たいした事をした素振そぶりも見せず、この場を立ち去ろうとする。 


 あわてた槇村が、自分は東都医療とうといりょうセンターの医師だと告げれば、彼は振り向いて同じように名乗った。


「海岸沿いの…、病院。市ノいちの かい…」


 それだけ言うと、ふすまを少しスライドさせ、細く開けた隙間からするりと出て行ってしまった。



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