第14話 こぼれる雫

 八雲さんに傘を借りた俺は二人を見送った後、校内放送で谷口先生に呼び出された。職員室に行くと、先生はカウンセリング室の鍵を持ってこちらにやってきた。


「帰るところを引き留めてしまいましたよね、すみません。まだ残ってくれていて良かったです。話が長くなるのでカウンセリング室に行きましょうか」


 穏やかな笑みを浮かべそういった。谷口先生の後をついてカウンセリング室に行く。中はかなり蒸し暑かった。先生が窓を開けると、いくらか涼しい風が入ってきはするものの雨の音がうるさく感じた。谷口先生とは向かい合う形で座ると、話を切り出してきた。


日月たちもりくん、学校を辞めたいという話は家族とできましたか?」

「......いえ、まだできてません」

「そうですか。では、日月くん自身に心境の変化はありましたか?」

「ありません。今も辞めたいという気持ちは変わりません。ただ......」

「ただ?」

水影みかげや紫崎さんと、ちゃんと向き合って話をしてみてもいいんじゃないかっていう気がするんです。俺が学校を辞めたいと思った理由は、父さんのことだけじゃなくてこの二人のこともあるんです。谷口先生でも噂は耳にしたことぐらいあるんじゃないですか?」

「もちろん知っています。ですが、その噂に関して先生が介入することはできないでしょう。というより介入してもあの二人が嫌がるのは目に見えています」


 かけている眼鏡を直しながら先生は言い、俺はそれに苦笑いを浮かべた。谷口先生は生徒に厳しく、その分自分が受け持った生徒をどの先生よりも大切にしてくれている。先生の様子から、きっと二人にこっそり話を聞いていたのかもしれない。内容をどこまで把握しているのかは知らないが、少しでも知っているなら話は速いだろう。


「それで、日月くんはどうしてそういう風に思ったんですか?」

「前にあの二人と、俺と八雲さんが空き教室にいた時のことは覚えてますか? 先生の授業の休み時間なんですけど」

「もちろん覚えています。なかなか珍し組み合わせでしたからね。その時に鎗本くんと八雲さんが何か言い合いをしていたように見えましたけど、それと何か関係が?」

「はい。言い合いというには少し大げさかもしれませんけど、話していた内容が俺のことだったんです。水影は、八雲さんの俺への対応が気になってたみたいで。その時に、紫崎さんはともかく、水影は今でも俺の心配をしてくれているんじゃないかなって思ったんです。都合のいいように解釈しているかもしれないけど」


 谷口先生は真剣に俺の話に耳を傾けてくれた。


「......なるほど。八雲さんはお人好しなところがあるようなので、日月くんを見てお節介を焼きたくなっただけだと思いますけどね。できるだけ視覚以外からも情報を得ようとしているんでしょう。他人の人間関係は見ただけでは分からないですから」

「だからもう少し、水影と話をしてみる必要があるように感じたんです。もちろん紫崎さんとも」

「なら、夏休み明けに二人と話してみてください。放課後なら空き教室を確保できるので。必要であれば先生も立ち会います」

「! いいんですか?」

「もちろんです。生徒には充実した学校生活を送ってもらいたいですから。その代わり、夏休み明けは先生が迎えに行かなくても学校に来てくださいね。精神的に辛くなるようでしたら、カウンセリングの先生が来ない日とかは声をかけてもらえれば、ここを開けますから」

「ありがとうございます」


 谷口先生の配慮に感謝を伝えると、優しく笑って「どういたしまして」と言った。


「家族のこともあって色々大変だとは思いますけど、よい夏休みを過ごしてください」

「はい」


 そう言って谷口先生は立ち上がり、これで話は終わりだと言って俺とカウンセリング室を出た。職員室の前で先生と挨拶をして、俺は学校を後にした。



 昌を置いて学校を出た朝葵あさぎ柊真とうま。大通りにでて学校が完全に見えなくなると、朝葵は自身の鞄から黒色の折り畳み傘を取り出した。それを、柊真の肩に押し付ける。柊真が受け取り傘を開くのを確認すると、傘を持ったまま距離を取った。


「ったく、めんどくせえ......わざわざこんなことしなくても、無視して帰れば良かっただろ。谷口に傘まで借りてまでよ。嫌いな奴に優しくする必要なんてあるか?」

「......」


 朝葵は傘をくるくる回し、水色と白色の花を作った。傘についていた大量の雫が周りに飛び散り、柊真は顔をしかめる。朝葵の顔をのぞき込む上の空といった感じで、ぼーっとどこかを見つめていた。その様子を見た柊真はこれ以上話しかけることを諦め、黙って朝葵の歩幅に合わせて歩くことにした。ぼーっとしている人間に話しかけても、すぐに返事が返ってくるはずがないと分かっているからだ。


 先程昌に渡した傘は谷口先生の物で、朝葵が柊真を連れてくるときに借りたものだった。だが、その行動に何の意味があるのか、柊真には分かりかねていた。隣を歩く朝葵を盗み見る柊真。今、朝葵は何を考えているのか。どんな感情を抱えているのか。想像を働かせてみたけれど、彼女をあまり知らない柊真には分かるはずもなかった。


 道路を走る車が大きな水しぶきを上げる。柊真の履いているズボンに水がかかり、隣を歩いている朝葵のローファーにも水がかかった。朝葵はびくりと体を震わせ、立ち止まり濡れた自身のローファーを見つめる。柊真は立ち止まった朝葵を振り返る。


「日月くんは何で私に気付かないんだろう」

「何でって、お前自分の苗字が変わったこと忘れたのか? それに、相手はお前の母親の名前しか知らない可能性もあるだろ。お前だって、谷口に言われて初めて知ったんだろ?」

「............それもそっか」

「何でそいつのこと気にかけてんだ?」

「......これ以上、苦しめることに意味はあるのかなって。父親が事故を起こして、母親は知らないけど友達とは疎遠になって、一人になることを当然の報いだと思ってるの。罪の意識があるのは被害者の私からしたらいいことだけど、一人の人間として彼を見たら何をそんなに思いつめているんだってなるんだ」

「ふーん」

「本当は、私が被害者の遺族だってことすぐに言うつもりだったんだよ。近くに遺族がいるって知ったら、もっと反省して自分を苦しめればいいって思ってたの。でもさ、日月くんの目を見るとどこか虚ろな目をしててさ。生気を感じないというか......もう十分、苦しんだんじゃないかなって」


 朝葵の傘から零れ落ちた雫が、水たまりに波紋を広げているのを柊真は話を聞きながら見つめていた。

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