第8話 苦痛ー3

 どさり。何かを落としたような音で目が覚めた。ベッドを囲むカーテンが揺れ、保健室の先生が入ってくる。俺と目が合うとにこりと笑いかけてきた。


「顔色だいぶ良くなったわね。気分はどう? 頭が痛いとか、吐き気がするとかはある?」

「いえ、ないです」

「そう。今おじいちゃんがお迎えに来たんだけど、起きれそう?」


 先生の質問にコクンと頷くと、俺はいつの間にかかけられていた布団をどかし体をゆっくり起こした。先生は俺が起き上がれるのを確認すると、閉めていたカーテンを開け保健室の入り口に立っていたじいちゃんと話をする。寝違えたのか首が少し痛むが、先生に言ったように寝る前の頭痛もめまいもなく少しだけ寝起きのだるさが残るだけだった。先生の声もクリアに聞こえるため、一時的な症状だったのだろう。原因が何だったのかは分からないが、今はだいぶ良くなったと思う。俺は自分の体調を確認すると、ベッドから立ち上がりじいちゃんの元に歩いていった。


「ごめんじいちゃん、仕事忙しいのに迎え来てもらって」

「何言ってんだ、病人が謝るな。俺は昌が心配だから迎えに来たんだ」

「うん、ありがとう」


 じいちゃんは俺の返事を聞くと、足元に置いてあった俺の荷物を持ってそそくさと行ってしまった。俺は先生にお礼を言ってからじいちゃんの後を追いかける。先生は笑って手を振ってくれた。静かな校舎を出ると、駐車場までの距離を歩いて行く。じいちゃんの腰が曲がる代わりに猫背になった背中を見ていると、なんだか水影みかげを思い出す。そういえば水影も猫背だったな。俺より身長が高いはずなのに、猫背のせいで周りには俺より低いと思われていた。今日、久々に口を聞いたが前と同じように接してくれて内心はホッとしている。一番仲の良かった友達に冷たくされたり変に気を使われたりするのは、やはり心がどんよりしてしまう。


 じいちゃんの背中を追いながら駐車場にポツンと置かれた車にたどり着くと、じいちゃんが荷物を後部座席に置きそれぞれ運転席、助手席へと乗り込んだ。じいちゃんは俺がシートベルトを締めたことを確認してから車を発進させた。


「今日はこのまま俺たちの家に止まっていけ」

「……うん、分かった」

「昨日はちゃんと飯食ったのか?」

「朝と昼は先生が持ってきてくれたお弁当食べたけど、夜は食べてない」

「そうか」


 じいちゃんはそれ以上何も言ってこなかった。それからは無言の時間が続いた。俺は外の流れる景色を眺め、じいちゃんは真剣に前やミラーを確認しながら運転している。俺もじいちゃんもあまり話をするのは得意ではない。何か話題はないかと運転をしているじいちゃんを見ると、どこか父さんに似ている、そう思った。運転をしているときに顔が険しくなるところとか、寡黙なところとか。


 そんなことを考えるのは別に初めてではなかった。ばあちゃんも母さんも好みは一緒なんだな、といつも思っていた。男として生まれた俺は、どういう人を好きになるんだろう。中学の時、休み時間になると友達はよく好きな女子の話で盛り上がっていた。だけど、俺は好きな人がいたことがなかったから話を聞いてもよくわからなかった。そして、好きな人がいることに対して羨ましく思っていた。今思えば好きな人なんていなくて良かったと思う。もし、好きな人がいたとして今の俺なんか好きになってくれるはずもなく、今以上に苦しむ羽目になるだろう。そんな思いをするのは嫌なんだ。姿を消した父さん、急に倒れた母さん、いつの間にか離れていった水影。これ以上、俺に失うものなんて必要ない。

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