第3話 カウンセリング室ー1

 なんだか昨日は寝付けなかった。苛立った顔をして俺を睨みつける転校生の姿が、頭から離れなかったからだ。あそこまで敵意を向けられたのは初めてかもしれない。いつになく沈んだままベッドから起き上がり、枕元に置いていたスマホのロックを解除する。誰かからメッセージが来ることはなく、無意味にゲームを開いたり閉じたりを繰り返した。寝起きでうまく頭が回っていないようだ。昨日は夕飯を食べる気力を失い一日何も口にしなかった。そうだ、今日は買い物に行かなければ。あと、部屋の掃除もしなければ。さっさと学校に休みの連絡を入れてしまおう。


 自室から出て階段を下りていると、インターホンが鳴り響く。時計を確認すると、昨日と同じ時間帯であったため、インターホンを鳴らした人を当てるのは容易いことだった。だからこそ、玄関を開けることを躊躇ためらいしばらく扉の前に佇んでいた。それが分かったからか、扉の先にいる人はインターホンを鳴らさなくなり代わりに声をかけてきた。


日月たちもりくん、今日は別室でもいいので行きませんか? 昨日先生が迎えに来てしまったせいで何も食べられなかったでしょう。今日は日月くんのお弁当も奥さんに作ってもらったんですよ」


 そう陽気に話す先生に釣られ取っ手に手をかけると、そーっと扉を開く。わざわざ俺の為にお弁当を作ってくれた先生の奥さんに、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。そこまでしてもらっているのに、「今日は行かない」なんて言えるはずがない。仕方なく俺は、昨日のように先生をリビングに通して待ってもらうことにした。部屋に戻ると、壁に掛けてあるズボンとベルトを取り箪笥の中からワイシャツを取り出し着替えていく。脱ぎ捨てた服を持って部屋を出るとき、勉強机に置いてある写真が目についた。二年前、高校の入学式で撮った写真。俺と母さんと、父さんが写っている。その写真になんとなく「行ってきます」と伝えて部屋を後にした。


 先生と一緒に家を出ると、日差しが眩しく目を細めて光の刺激を最低限に抑える。それを見た先生はけらけらと笑い「目つきが悪いですね」なんて言ってきた。目つきは元々悪い方だが、ちょっと目を細めただけで笑われるほどだろうか。多分、俺の場合は人相も悪いのだろうな。たまに近所の子供に泣かれることがあったから。顔は整形しない限り変えられないのだから、顔を見て泣いたり笑ったりするのは勘弁してほしいところだ。これを言ってしまうと相手の気を悪くするので、冗談でも口にしないけれども。


 光にようやく目が慣れてきたころ学校に到着し、先生に教室とは別の職員室側の建物に連れて行かれた。使っていいと言われたのは職員室の隣にあるカウンセリング室。小さな個室になっており、一人で過ごすには丁度いい広さだった。この学校のカウンセリング室は、教員と生徒が他人に聞かれたくない相談をする時にも使われるため、個室が二部屋設置されている。俺はその片方を使っていいことになった。机を挟んで向かい合うように設置されたソファーの片方に腰かけ、テーブルの上に鞄から取り出した筆記用具を置いた。


「今日はカウンセラーの来校日ではないので、一日ここで過ごしていてもかまいません。体調が悪くなったり何かあったら職員室の先生に声をかけてくださいね」

「はい」

「あと、これが日月くんの朝とお昼のお弁当です。どちらも違うおかずが入っているので好きな順番で食べてください。もし教室に来たくなったらいつでも顔を出してください」

「あ、ありがとうございます。教室には行きたくないので大丈夫です」


 谷口先生からそれぞれ青色と白色の包み、二つのお弁当を受け取る。谷口先生は俺の返答に苦笑いを浮かべ、SHRショートホームルームがあるからと言って足早に去っていった。谷口先生がいなくなり、俺は受け取ったお弁当の青色の包みの方を広げた。お弁当箱は水色の二段タイプ。お当箱にもいくつか種類はあると思うが、俺はその知識を持ち合わせていないためこれ以上の情報を引き出すことはできなかった。谷口先生の奥さんに感謝しながら、お弁当箱の蓋を開けてみる。一段目には白米にわかめのふりかけがかかっており、二段目には煮卵を半分に割ったものとミートボール、きゅうりの酢の物にきんぴらごぼう、それにアスパラの肉巻き。見るとどれも手作りで冷凍食品は入っていなかった。夕飯のあまりも中には入っているかもしれないが、谷口先生の奥さんはマメな人だなと思う。俺がお弁当を作るとなると、ごはん以外は冷凍食品で野菜の数も少なくなる。今まで料理を手伝うことはあっても自分で一から作ることはしてこなかったのだ。そうだ、母さんが入院しているうちに自分で料理ができるようになろう。そうすれば母さんが退院したときの負担もいくらか減るだろう。母さんが入院してからというもの、家事というものにからっきしな俺は料理はおろか掃除もまともにできなかった。今も散らかっている自分の部屋やキッチンだけは、どうにかして片づけないといけないな。


 ご飯を口に入れながらあれこれ考えていると、不意にカウンセリング室の扉が開かれた。入ってきたのは転校生の八雲さんだった。彼女は入ってくるなり無言で扉を少しの隙間を残し閉めると、外の様子を伺うように隙間をのぞき込んだ。一体何の用でここを訪れたのだろうか。始業のチャイムはまだ鳴っていないものの、後一分で鳴るところだ。


「えーっと、八雲さんここに何の用?もうそろそろ始業時間だけど」


 俺がそう問いかけると彼女は視線だけをこちらに向け、すぐに扉の先へと戻した。訳が分からぬまま俺は彼女が何かを喋り出すのを待っていると、静かな空間の中にチャイムが鳴り響く。そして、ようやく彼女は立ち上がり俺と視線を交わらせる。互いに無言の時間が続く中、先に口を開いたのは彼女の方だった。


「あなた、同じクラスよね。何でここにいるの?」

「何でって......」


 俺の質問をスルーし、自分の疑問を投げかけてきた八雲さん。なぜと聞かれてもどう答えるのが正解なのだろうか。教室に居たくないから? 俺がいるとクラスの空気が悪くなるから? おそらく彼女の疑問はそうではないだろう。昨日は教室にいたのに、今日は何でここにいるのかをきっと聞きたいんだろうな。それなら俺はこう言うしかない。


「俺、学校をやめるつもりでいるんだけどまだ谷口先生とちゃんと話せてなくて。とりあえずここでしばらく考えるように言われたんだ」


 随分下手な言い訳をした。だが別に間違ったことは何も言っていない。それにこういっておけば、彼女と関わる機会もなくなりすぐに俺の存在は忘れてくれるだろう。それでいい。俺なんて最初から居ないものとして扱ってくれる方がいい。なんせ俺は、「人殺しの息子」なんだから。別に父さんが相手を殺したくて殺したわけではない、不運が重なって起こってしまった事故だったんだ。そうだ、運が悪かっただけだ。だが、周りと遺族はそう思わない。人が死んだのに運が悪かった、で済ませられるわけがないのだから。けど、加害者側からしたらそう思わないとすべてに耐えられなくなるんだ。それを彼らは、事実を事実として受け入れろ、というのだ。こっちの気も知らないで。


「ふーん......」

「八雲さん、教室戻らなくていいの? もう朝学始まってるよ」

「あー、すぐ戻るから大丈夫。それより、貴方の名前を聞いてもいい?」

「日月昌、だよ」

「日月くんね、覚えた。後で連絡先交換しよ。スマホ教室に置いてきちゃって手元にないからさ。じゃあ、私は教室に戻るから、またね」

「あ、うん、またね」


 結局なにがしたかったのだろう。嵐のようにやって来てはすぐに立ち去って行った八雲さん。来た時に扉をのぞき込んでいたけど、誰かに追いかけられていたのかな。だとしても、誰に? 転校してきたばかりの彼女に、付きまとうような人がもういるのか? 八雲さんが出ていった扉を俺は少しの間見つめていた。まだ残っていたお弁当の残りを口に入れ、包みなおしてテーブルのわきに置いた。

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