二 気持ちの良いお天気ですね、と彼女は言った

 ラッシュさん、とウェイトレスに呼ばれて、彼は内心激しく動揺した。

 この店は現在滞在中のホテルにほど近いが、利用するのはまだ二回目で、前回は午後の眠たくなる時間にコーヒーを飲むためにほんの短い時間滞在しただけ。食事をするのは今日が初めてだった。

 彼に笑顔でテラス席を勧めた若いウェイトレスには見覚えがなかった。それなのに、彼女は彼の名がラッシュであることを知っていた。彼が自ら名乗ったはずはない。支払いは常に現金だ。こんなカフェで、必要もないのに無防備に個人情報を提示したりしないし、給仕係と名前で呼び合うなどという上っ面な関係を欲しない。

 だが、それは考え過ぎというものだ、と彼は自分に言い聞かせ、そうだな、そうしよう、とテラス席に着くことに同意し、歯の白さが人工的すぎて少々不自然な印象を与えるウェイトレスによって、通りを往来する人々との距離がやや近すぎるテラスのテーブルへと案内された。

 ようやく残暑が去り、日中降り注ぐ日射しは柔らかく暖かだが、風はひんやりして気持ちの良い季節だ。

 彼は散歩で汗ばんだ体を冷やそうと、上着を脱いで向かい側の椅子の背もたれにかけた。午後からも特に予定はなく、ワインを注文してもよかったのだが、彼は炭酸水を選んだ。バーを梯子して夜明けを迎える、なんてことができなくなって二十五年だ。単純な酒の強さの話ではない。

 二十五年前の彼は、世界的に注目される作家だった。活動拠点にしていた国で最も権威ある文学賞を受賞し、今思えば、あれが彼の人生の頂点だった。その文学賞は国外でも注目されるもので、受賞作は何ヶ国語にも翻訳され、世界中に配布されるのだった。

 過去には雑誌やテレビのインタビューにも頻繁に登場したから、無論現在でも彼の名前や顔を覚えている者がいても不思議ではない。当時はまだおむつをしていたと推測されるうら若きウェイトレスは、見かけによらず文学好きなのかもしれない。

 彼女が紙の新聞を読んでいた紳士にとって代わって暗い店内に居座るようになった肌の浅黒い若い男に目配せをしてから厨房に消えたような気がしたが、客と親密な関係に陥ることは、別に罪ではない。

 彼はコーヒーカップに半分ほど残っている黒い液体の表面から、騒々しい表通りに目を移した。

 車も人もひっきりなしに過ぎ去っていく。

 彼は都会の喧騒が好きだ。生まれ故郷を彷彿とさせるからかもしれない。身を潜めるなら、こういう雑多な国際都市がいい。あらゆる人種が入り乱れ、誰も老いぼれた彼に注意を払わない。彼の皮膚の色も、出身も、とりあえず問題にならない。観光客相手のカフェでは、人々は基本、通過していくだけで、長くは立ち止まらない。だから給仕係は、客の名前など覚える必要はない。

 初めのうち彼は、彼の妻と共に友人の別荘に身を潜めていた。

 これは言論の自由に対する冒涜だ。我々は、本を焼くような野蛮な連中には決して屈しない。

 彼の友人達は、皆勇ましくそう言ったものだ。パーティーを開き、浴びる程酒を飲んで、どんちゃん騒ぎをし、死の恐怖を笑い飛ばした。

 しかし、海外で彼の作品の出版にかかわった人々が実際に襲撃を受けるようになって、恐れ知らずの彼らも少々心持を改める必要が生じた。

 まさか、宗教的指導者による死刑宣告なんてものを、真に受ける輩がいようとは。


 いや、いるわけがない。

 いや、あちらの世界では、それが常識。


 世界各地で抗議の焚書が行われる程度であれば、彼も彼のエージェントも、かえって宣伝になり本が売れるとほくそ笑んでいられた。

 しかし、喉首をかき切られた翻訳者の遺体が世界のあちこちで発見されるようになってしまっては。

 神も政治家も風刺の情け容赦ない犠牲者たり得る国で生まれ育った知識人達は、そのような極限的抗議活動に慣れていない。人は毎日死ぬ。中には残酷な殺され方をする気の毒な被害者もいるだろう。

 しかし、作り事だとわかっているお話の本を店頭に並べただけで書店が焼き討ちされたり、大規模なデモ行進が発生したり、高く積み上げられた本に火をつけられるとは――二十世紀の終わりにそんなことが起こり得ると、誰が想像できただろう。

 連中は時代遅れだと笑い飛ばす「進んだ」人達のように、彼は鈍感かつ楽観的ではいられなかった。彼は元々「遅れている」側の人間で、少なくとも彼自身はそう思っていた。

 なるほど、少しスパイスの利きすぎた表現があったかもしれないが、あれは単なる寓話、風刺、呼び方は何でもいい。禁断の宗教問題に触れたからには、かなり問題視され、批判を受けるだろうとは思っていた。しかし、まさか死刑宣告を受け、彼の首に高額な賞金を懸けられるとは、出版社も彼も予想していなかった。

 高額賞金首となった彼は、初めは活動拠点としていたかつての偉大な帝国において、更にはその国を脱出し、移民が築き上げた新興大国で国家権力の手厚い庇護を受けることになった。


 サーモンはいかがでしたか、とウェイトレス。やはり白すぎる歯が気になる。

 ありがとう。おいしかったよ。

 デザートにガトーショコラはいかが。アイスクリームを添えて。


 コーヒーのお代わりと共に追加注文をした彼は背徳的かつ自傷的気分に浸っている。体形を気にすることはとうの昔にやめていたが、見た目だけではなく、血圧とか血糖値とか、他にいくらでも気にするべきことはあった。だが、この目抜き通りのカフェで、二十五年振りにテラス席でランチを楽しんでいるのだ。このぐらいは許されるだろう。

 当初は国による二十四時間警護でどこに行くにも武装した警官が付き添ってきたものだった。友人作家の別荘で彼らが飲んだくれていても、ボディガード達はにこりともしないで「警護」をしていた。友人も彼もはじめは勇ましかった。作家にとって、表現の自由を失うことは死にも等しいのだから。

 それからホテルを数日おきに移動する日々が何年か続いた。彼と一緒に死刑宣告を受けた、件の作品を世に送り出した世界各国の出版関係者が、実際に襲われる事件が勃発したからだ。

 神を冒涜した者共に制裁を加えた敬虔な信者は、神の祝福と高額な報奨金を得られることになっていた。

 いくつもの出版社が襲われ複数の死傷者が出たし、個人で襲われた一人目の翻訳者は一命をとりとめたが、別の国の二人目の翻訳者は不幸な結末を迎えた。

 それから、更にもう一人。

 無論、最も狙われていたのが彼だ。あの著作を記した彼。フィクション作家の彼。だが、彼は異教徒によるテロ行為を許さない国家による庇護を受け、表舞台から姿をくらましていたから、より無防備な人々が標的となった。

 ポストコロニアル文学の台頭とマジックリアリズム、それが彼を文壇の寵児に押し上げた。問題となったのは彼の四作目だった。

 彼自身は旧植民地出身といえども裕福な医者の家庭に生まれ、十三歳で旧宗主国の寄宿学校に送られた。名門大学卒業後は広告代理店に勤務、処女作を書き上げるのは三十代になってからだ。旧植民地からの移民である彼に対する差別は当然あったが、あくまでも現地の名士の息子、裕福な医師の息子としてアッパークラスの子女の通う学校に潜り込めるようなスーパー移民だ。他の多くのポストコロニアル作家のように奴隷の子孫であることを売りにできない出自であることが、彼の弱みでもあり強みでもあった。

 彼のようなスーパー移民ではない普通の移民が旧宗主国でどのような扱いを受けるか、彼はニュース以外でも遠い親戚や知人を通して、より生々しい状況を知ることができた。

 彼は自作の中で、そのような移民の窮状をマジックリアリズムの手法を用いて痛烈な皮肉と共に訴えた。インタビューでは移民の代弁者として待遇改善を強く求めた。彼自身は、自分を移民の中でも格別に大きな声を持った移民だと自負していた。

 しかし、それは明らかに彼の驕りだった。


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