第8話


 住む町を変えるたびに雛女はなんとなくついてきたが、あえて積極的なかかわりを持たないで過ごしていた。事務所の電子レンジに隠していた俺のスマホの番号も教えてもいなかった。だから身柄を拘束されたときに取り上げられた雛女のが『本部』から俺に返却された後で登録して、衣服や時計、靴にベルト、酒瓶の底に仕込まれていたGPS端末と一緒に持っていかせた。

 自分のスマホからまず連絡したのは前に住んでいた町の仕立て屋。以前つくってもらったシャツとスーツを着て、胴周りが一掴み余るとか手首に指二本入るとか言って二着を急ぎで送ってもらった。東京でいったい何をしてそんなに痩せたんですかと心配されたが、やっと退院したんだと言ったらそれ以上の追及はされなかった。二着しか頼まなかったのはいつまでもこのままのつもりはなかったから。衣装箱の隅には店主の出身地、山陰名物の板わかめがそっと入れられて笑った。俺も食べたが出身が近い雛女がものすごく喜んだ。

 雛女が呼んだ美容師に俺も髪を切ってもらって、夜の十一時には寝ると家主に宣言する。子供の頃から規則正しい生活をしてきて、ホストと暮らしていた時期も早寝早起きの習慣は崩さなかった。生活時間がめちゃくちゃな大学生に付き合いきれない。あと、退屈しのぎに大学の教本テキストを読ませろ。

「ぼくの部屋の本、好きに入って読んでいいよ。電子テキストも多いけどタブレットあるから。……あの事務所、経営、してたんだよねあなた。すごいね」

 弁護士試験に十九で受かったガキが、下町の司法書士事務所をなんの嫌味だ。

「試験と実業って違うし。僕は他人の悩みの相談にのるとか出来ないと思う。長く話すといつも相手を怒らせるし」

 まあ、なにかと腹の立つ坊やではあるかな。

「教授にも言われているんだ。個人はもちろん法人相手の弁護士も務まらないだろう、って。学生のうちに接遇の修行をするか、対人スキルが低くても問題が少ない進路を真剣に考えろって」

 いまどきの大学のセンセイは大変だ。研究と授業の合間に進路指導もしなきゃならない。

「司法書士っていろんな合格うかりかたあるから卒業した大学とか何期の司法修習性かとか、詮索されなくていいなと思って。やり方が賢い。あなたがよければ東京でも開業しないかって所長が言ってた」

 将来的には悪くない。魅鬼との組織的な協定が成立するなら、戸籍や相続の手続きに賃貸契約の代行といったあたりに便宜を図ることは交渉条件になる。見た目がよく肉体的に個々の生き物として強い連中だが、人間社会の中では不法滞在の外国人や無戸籍児と同じくらい弱者。

「たすけてあげるんだ。ホントに優しいんだ。ぼくは同族にあんまり興味ないけど、事務所開くならバイトに雇って」

 優しくはない。魅鬼を助けることは獲物になる人間に対する裏切りだ。俺がに過ぎない。それはそうと、バイトで思い出した。なんか言ってたホテルはどうなった?

「建設中。来年の春にオープンする」

 でかいリゾートホテルならバーやクラブがテナントで入るだろう。雛女に一軒、経営させてくれないか。客商売に関してはやり手だ損はさせない。『人間』の生気はともかく肉は喰わないように言ってきかせるから。

「ぼくはいいけど、外に出たら仲間に狩られるんじゃないの?」

 それまでには連中と話して自由にしてやるさ。あいつも今度こそ懲りただろう。

「あなたに迷惑がかからないなら、彼女のこと、ぼくはどうでもいいよ。彼女があなたから離れるのは歓迎する」

 茶の煎れ方やシャツのアイロンがけといった基本的な家事をおそわったりして、少し親しくなったように見えたが薄情なことを言う。まあ魅鬼同士は同族であまり仲良くはならない。『人間』の集団コミニュニティに紛れて生きるには単独のほうが都合がいい。同族同士は潜在的に敵対関係でもある。獲物や縄張りが競合する。

 なるべく争わないよう、相互に意識しつつあえて距離をとる様子は熊や虎の雄同士に似ている。女性体でも捕食者という意味では同様で、美女ばかりなのに、雄の同族からは嫌われて追い払われることが多い。

 俺が長く一緒に居た相手は女の子に優しい性質で仕事や住居に困っていれば世話を焼いていた。雛女が俺たちから離れなかったのは、800年生きてる大物の庇護を必要としていた意味もある。あんなに気が強い別嬪でさえ独りでは生きにくい。

「あなたは油断しないほうがいいと思う。彼女が鬼化する前からあなたのモトカレは魅鬼だった。彼女が鬼になってまでのはあなたの方だよ」

 まあ、そうだ。雛女が残酷に食い殺したい本当の相手は俺。

 俺は人間だった頃の雛女に冷たくした。旦那にはなったが抱かず、別れ際も前借金を清算して落籍ひかしたが結婚はしなかった。俺は雛女の王子様じゃなかった。連絡先さえ教えず帰省や独立の世話もしなかった。

 けどそれは仕方がないだろう。100年前のあの子は、オマエとおんなじ顔した男の浮気相手だったんだ。あの頃はあれが気持ちの精一杯。

「意外とやきも……、情熱的だよね。そういえば、ぼくに初めて……、やさしくしてくれたのも、彼女を抱こうとしてるって誤解からだっけ」

 若い男が笑う。黙って笑わせておいた。あの頃と今じゃ事態の深刻さが違う。雛女は牡丹で人間の女だった。魅鬼の餌にとってことはかなりの確立で自由より死を意味する。慈悲で開放されたとしても傷口からにおいが漏れて別の魅鬼に捕まって、それが前のよりマシな相手という保証は何処にもない。

 生きにくいのはこっちもご同様だ。俺の『ひ孫』である現行の戸籍もあと十年ほどしか使えないし、そうしたら一世代分の時間は離れた場所で時を過ごすしかない。面倒な相続をするほどの財産はなくなったが司法書士の資格は試験を受けるところからとりなおし。まぁまぁ面倒かつ手間がかかる。

 オマエも、そうだ。

「ぼくが、なに?」

 オマエの方が若い分、俺より大変かもしれない。予備試験ルートで司法試験に学生合格してるなら卒業後に法科大学院には進学しないだろう。司法修習生から弁護士になるにしろ検察官を狙うにしろ、努力してこれから、ってところで行方不明にならなきゃならない。

 若すぎて魅鬼になった奴は男女ともに二十五歳前後くらいまでは『老化』するが、そこから年を取らないことを誤魔化せたとしても十年がせいぜい。男の人生じゃ出世コースの第一コーナー曲がってエンジンかかってきて楽しくなってきた頃に終了。時代の中で少しだけエリートだった俺には本来の人生に対する怨みが残っている。門地に対する未練もあって、そのせいでいまここで捕まってる。

 俺どころじゃないオマエはもっとだろう。

「ぼくのこと興味もってくれるの嬉しい。ぼくにも訊いて、なんで魅鬼になったのか、って」

 喋っていいが寝言を聞かせるなよ。

「あなた食べたかったから」

 おやすみ。

「ホントなのに。でも現生の未練は心配してもらわなくて大丈夫だよ。ぼくは早く、ぼくじゃなくなりたかった」

 監視カメラの死角に置いたソファは雛女に譲って、最近は紫檀を張った俺の部屋で過ごすことが多い。おかげで吸精も性交もシーツ被っての昔風になる。今も寝台ベッドで背中から抱かれているというか懐かれながら、告白を聞き流す。

「母親は出産可能な年齢を過ぎたけど、妹が居るんだ。まだ子供だけど。その子と交配させられる前に死ぬのも癪だし、かといってもちろんさせられたくはなくて、早く生殖能力がなくなりたかった」

 だいぶえげつない戻し交配バッククロスの話。

「近親交配は数が少なくなっていくから、交配候補のオスは僕しか居ない。僕が魅鬼になって子供できなくなったから100年の計画は終了だ。イイキミ……」

 なぁ。

 傷ついた様子で呟く若いのに、あまり残酷なことは言いたくないんだが。

 その『妹』がオマエの『娘』でもあるなら、その考えは、甘いんじゃないか。

「ご明察。クスリ打たれて朦朧としてたから、殆ど覚えてない」

 記憶がなくても子供が出来るようなことをしたなら、たぶん遺伝子、奪い取られてるぞ。

「……」

 俺がそのえぐい計画の実行者なら男性体が少なくなった時点でそれを考える。健康なオスなら採取できた数は億の桁だ。強いられたのがなのは、そういうことじゃないのか。

「……」

 顔は見えない。でも動揺は伝わってくる。

 オマエが自分と『娘』を守りたいなら一安心するのは早すぎる。母親からもかなりの数の卵子を確保できただろう。過去の話でも未来の話でもない、オマエの意思を裏切る実験はいま現在、進行中かもしれない。

「……ぼくどうしたらいい?」

 尋ねられる答えを、持っていないではなかった。

 ただしカメラとマイクに囲まれた場所で言える内容でもない。

 黙りこんだ俺の意図を賢いガキは察してぎゅっと、腕に力をこめてくる。たぶん答えも見当がついているだろう。計画の中止を決断できるのはその計画の実行者だけ。

「十年たったら一緒に外国、行こう。どこに行きたい?」

 さて。

 水が美味いところがいい。そうすると近場に雪の積もる山が必要だ。言葉は英語と独逸語が通じるならなんとかなる。中国語も呉語ならできないでもないが上海訛りがあるし、北京語が主流の本土じゃ役に立たないだろう。上海系の華僑社会でも、この外見で北京語を知らないことは不自然で、本土に滞在したことのある異国人としてしか受け入れられそうにない。それなら条件は日本人と同じだ。苦労して化ける甲斐もない。

「買っとこうか。今から、家とか、戸籍とか」

 囁くついでに耳たぶを舐められる。

「ピアス、あけてた?」

 穴はとっくに塞がってるが痕跡があったらしい。不思議そうに尋ねられる。誰かを殴る準備万端で生きている俺はアクセサリーを身に着ける習慣がない。ひとには買ってやりたがる時計さえ自分は軽い革ベルトのセイコー。ただむかし、必要があってピアスはあけていた。

「必要?なんの?」

 戦時中は大陸にいた。時代もあって衛生的に万全じゃなかったから、首筋を噛まれると時々、細菌性の熱を出した。新しい傷をつけなくても、耳たぶの一番薄い場所に金のピアスをつけていた。

 ……あけるか?

「え?」

 いちいち牙尖らせなくていいから便利らしいぞ俺はわからないが。もっとも日本に帰ってきてからは首に齧りつかれてばっかりだったから、たぶんそっちが味はいいんだろうが。

 オマエは首から喰わないから、吸いやすいところにアナあけていい。法務関係の仕事するし面白いのにもてたくもないから耳たぶは勘弁だが。

「ドキッとすること、言わないで」

 食事の利便性の話をしているだけ。もしかしたら長い付き合いになるかもしれない。お互い性癖のすりあわせは必要。

「ど、っちか、っていうとそれより、キスさせて欲しい、けど」

 却下。

「ケチ。……噛まれるよりピアスあけてたほうがラク?」

 ラクというか、安心感はある。

「ぼく噛み付くのへた?」

 前の相手がうま過ぎたんだ。牙を針より細くしてするっと刺し入れる800年の経験値キャリアと比べるのは酷いだろう。おんなじ顔のヤツよりはだいぶマシ。アイツは上手い下手どころじゃない、わざと痛くして威嚇してくれた。

「あなたの好きなようでいいけど、もうちょっと元気になってからにしよう。ピアスって傷が固まるまで痛いんでしょう?なんか、それ、考えただけでぼくがイタイ。乳首とか、局部とか」

 後者は却下だ。ナンてこと口走りやがる。

「ちょっと考えさせて」

 好きなようにしろ。おやすみ。

「……うん」

 縋るみたいに腕をまわされながら目を閉じる。寂しがりなところのある俺には不愉快じゃなかった。



 翌朝。

 目が覚めて、腕を解いてシャワーを浴びているうちに家主が起きて、自分の部屋で身支度をしているうちに雛女がデリバリーを頼んだ朝食を食べる。和食だったり洋食だったり、どっちにしろ必ずヨーグルトと果物がついてるのが彼女の好みらしい。食後、大学に行く家主を居間から見送って、雛女は俺が自室に引き上げるまで食事室に閉じ込められてる。

「高志、いま話せないか?」

 天気予報とニュースが流れるメインモニターに向かって喋る。暫くしてから画面が切り替わった。

『申し訳ありません。所長は治療中です。午前中はご対応できません』

 画面に映ったのは旧友でなくてその秘書。

「いや、ちょうどよかった。貴殿に用がある」

『わたしにですか。何事でしょう』

「昼を一緒に食べないか」

 俺の発言が思いがけなかったらしい。見るからに切れ者の秘書が一瞬、言葉を失って強張る。

『お誘いいただく理由をうかがっても?』

 立て直しは早い。でも動揺した事実は消えない。

「貴殿と話しをしたい。機密に関することを喋れないのは分かってる。雑談で構わない」

 それは理由ではない、と反論されるより、一瞬だけ早く。

「俺が最高顧問とかに就任したとしてだ、最初に高志から依頼されるのはあいつの後継者選定だろう?」

『……どうでしょう』

「馬を知らずに馬券は買えない。できるならケツと足首をなでまわしたい」

『蹴りますよ。お食事のリクエストは?』

「横浜の聘珍樓ってまだあるのか?」

『手広くやっていますが横浜本店は閉まっています。都内の支店でよろしければ』

「まかせる」

『個室を予約しておきます。ご希望なら豪華なコースも』

「次は頼む。今回は薬膳にしてくれ」

『十一時半にお迎えに上がります』

「よろしく」

 答えて通話を切る。画面が沈黙する。だいぶたってからニュースが復活した。監視用の広角カメラを切り替える忘れるくらいには驚いたらしい。

 緒戦はこんなものだろう。家主の承認を、と言い出さなかっただけでも十分に脈あり。鼻先に提げてみせた餌に気がありそうなのが演技フェイクでも、それはそれで手ごたえがあっていい。相手の力を利用するには相手にある程度の力量が必要。ここの家主は若すぎて逆に動きを読み切れないから剣呑だ。

 部屋に戻ろうとソファから立ち上がる。自分の足首の細さが目に付いて、高志をがっかりさせないようにしなきゃなと、少し気を引き締めた。

 

 

 

 

  


 






 

 

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