【十一.操り人形】

 柏木速人の家から出版社までは、車で一時間もかからない距離だった。

 事前のアポイントメントも取らず、社会人として些か失礼に値するが、それでも刑事という職業柄、そのような目で見られることには慣れている。

 だが、そんな私の心構えをしていた心内を裏切る形で、何の障害も無くすんなりと受け付けを通され、再びあの柏木速人の担当である編集部の男と会うことが出来た。

 彼はまるで私が来ることを待ち侘びていたかのように、以前と同じ場所同じ笑顔で私のことを出迎えてくれた。

 また私が質問を投げかける度、先の柏木速人に質問した時と同じく、何でも答えてくれた。

 だが、答えは一貫して抽象的なものばかりで、何の証拠も確信も得ることはできなかった。

 結局彼らも、出版社として、また会社として利益を生み出せれば、なんでもいいという考えの下で、自分の仕事と割り切っていたのかもしれない。

 それは柏木速人と同じ質問をしたとき、彼はこう答えた。

「今現在の日本の社会は矛盾に満ちています。それなのに誰も疑問に思わず、また広く世の中に定義することもなく、ただ現実から目を逸らすだけで自ら行動を起こしたりしなければ、声すらも上げようとは何もしようとはしない。けれども何か一つでも大きな事件が起これば、それまではどこか他人事だった感情が、まるで自分のことのように親身となって考え始める。だがそれでも、人は忘れやすい生き物。喉元を過ぎれば、次、次……と、その話題や思想、考え方まで移り変わっていく。果たして、そんなものに意味はあるんですかね? 困ってる人に手を差し伸べてまで、助けるべきなんですかね?」

 彼は柏木速人と等しく、今の社会……いや、国民が愚かしいなどと、本心から思っているようだ。

 それは知的にも振る舞っている言葉の端々から、嫌でも伝わってくる。

 そして彼はこうも言葉を続けた。

「また国も国で国民に対する口減らしという体裁を用い、民意を反映させた選挙などとい銘打ち、結局はその部下である官僚達の思うがまま、操られ、用済みとばかりにそれまで長年に渡り蓄積した不祥事が表に出て、失脚させられる。

 結局、彼らも自分に都合の良い社会だけを守りたい。そしてその恩恵を受けたい……だからこそ、不正や汚職なんてものが今もなお残っているんじゃないですかね? またその根本的な原因は国民にある。彼らもそれらを目の当たりにしつつ、海外の人々のようにデモをするわけでもなく、与えられるがままの現実を受け止めている。それにも関わらず、常に社会や政治家達に対する不満を口にし、自分は何も行動を起こそうとすらしない。

 私はそんな彼らに対して、本という媒体を通すことで、危機感を煽り、自立して欲しいんですよ。――と、まぁこれが私なりの仕事の在り方であり、仕事に対する社会的意義みたいなものですね。これでご満足いただけましたでしょうかね、“刑事さん”? 本は、また小説という創作物は、どこまでいっても著作者と、それを編集する担当者の空想の産物でしかありません。仮に帯やあらすじ等に『ノンフィクション』や『実際にあった事件』などと謳っていても、決して変わることがない普遍的なものなんですよ」

 彼は最後にそう一言付け加えることで、私がここへ来た本当の意図を示唆したうえで、事件の加害者であった少年達と自分とは何の関わり合いもない無関係を装うつもりのようだ。

 確かに確固たる証拠ないと言える。仮に裁判で彼を裁こうにも、状況証拠や心証だけでは罪には問えない。

 彼もまた柏木速人と同じく、狡猾であった。

 しかし、彼と違うところは今目の前に居る人物は何も失っていない、いいやむしろ会社として多大な利益を受けている。

 それは何もボーナス査定や昇給などという目に見える形だけではなく、会社内部での声が通りやすくなり、自分の思うがままにこれからもこの仕事をしていけるという信頼でもあった。

 会社は利益を生む社員を最も大切にする。仮に少々問題を起こしても、結果として会社の利益となれば、疑わしくともそのままにする。

 きっと彼はこれからも、本を出版するという形で、国民へ問いかけ続けるつもりなのかもしれない。

『自分達はいつまでそうしているのか? 国を、また生活を良くするには、社会を、政治を、そして何よりも自分達が変わらなければ永遠に変わることはない。だからこそ、自分は事件を引き起こす因子を小説に埋め込むことで、広く定義し続ける』

 ――そのように、今の私には思えてならなかった。

 彼の話を聞き、そう思ってしまった時点で、私は刑事として負けてしまったのだ。

 もう私には何もできることはないのかもしれない。

 上からは形だけの捜査を取るよう指示が下され、事件を引き起こす大本と言える著作者と、その担当の男からは確固たる証拠を見つけ出すことができなかったのだ。

 唯一、私にできることといえば、これから起きるであろう事件の詳細を書き止め、事件報告書として書類にまとめることくらいしかできないことだろう。

 それがあと十年以上という月日を超える、刑事としての日々の仕事と移り変わっていく。

 きっとそれは私が考えている以上に、つまらなく、何の刺激も生まれることない、寡黙な日々となり得るはずだ。

 毎日を無駄に机の上で過ごし、宛てもないまま、暗闇の中を歩かされている気分を抱くはずだ。

 それは先輩で既に亡くなっている警部がそうであったように、私もまたその道を辿るのかもしれない。

「失礼……しました」

 私は編集部の男に、別れを告げると出口へと向かい、歩いて行く。

 もうここには用はない。

 また、ここへ来る用事も意味も見出せなかった。

 死人のように、私は何の表情も浮かべないまま、出版社を後にしようとする。

「ああ、そうそう、今度新しい本を柏木先生が出版されるのをご存知でしたか?」

 彼は今にも死にそうな顔をした“私”とは裏腹に、無邪気な子供のような笑顔を浮かべ、そう私の背後から声をかけてくる。

 私はその声を耳にすると、振り返る。

 すると、彼は一冊の本を差し出してきた。

「はい。これです。是非、読んだ感想を聞かせてくださいね。ああ、まだ出版する予定は未定で、それは見本なんです。だからネットなんかにあらすじや本の内容を流すなんてことはしないでくださいね。ま、刑事さんですから要らぬお世話かもですけどね。それでは……」

 などと、彼は私に対して釘を刺し、強引に私の右手を掴み、見本だという彼の新刊を握らせる。

 私は呆然としたまま、その本の表紙へと目を向け、驚いた。

 そこにはなんとタイトルとして、こんな文字が収められていたのだ。

『A-17事件の真実』――と。

 私はきっと、この本の著作者である柏木速人とその担当の男達に馬鹿にされていたのかもしれない。

 いや、むしろ『馬鹿にされていた』というよりかは、人ならざる者達によって『化かされていた』というほうが正しい。

 なんせその本の中身は事件の切っ掛けとなった、二冊の本『完全犯罪者の作り方』と『ただ一人だけの完全犯罪者』の著作者である柏木速人がどのような心理状況や考え方で執筆し、出版社のコンテストで受賞、また出版後に起こった事件について、当時はどう思い考えたかまでが事細かに記されていたのであった。

 その他にも先輩だった警部のことや、今日私がここへこうして聞き込みをしてきた未来の出来事までが、イチ登場人物としての描写として詳細にも描かれていたのである。

 それは一種のエッセイのようでもあったが、ちゃんとした一つの物語として完成されていた。

(私はただ、彼らに踊らされていた操り人形の一つに過ぎなかったのかもしれない。それはこの本に出てくる公安の一人の刑事として、そのように扱われていることからも汲み取れる。彼らは私や亡くなった警部、それに他の加害者である少年達の心理までも事前に予想して、こうした物語として落とし込んだ。まるで気味の悪いマジックショーを見せられている気分だな……)

 既に私の心は彼らに侵されつくされているのかもしれない。

 彼らの言葉一つ取ってみても、私が考えられる範疇を軽々と超えている。

 それはただの予想や予知なんて、安い言葉で言い表せるものではない。

 想像上ではない、神か何かのお告げでも聞いているのではないか?

 だから自分達の心内までも、こうして本に書かれているのではないのか?

 “私”は、そう思わざるを得なくなっていたのである。

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