【十.虚無の真実】

「結局のところ、これまで挙がっていた被疑者も含めて、み~んな、死んでしまったわけか。あの警部も最後には……」

 公安部公安第二課で、若い刑事が書類整理をしていた。

 それは数ヶ月前まで、先輩と慕っていた警部とともにA-17事件を担当していた一人である。

 彼はその後、一人でA-17に関する事件を担当させられることになっていた。

 通常なら、事件を一人だけで担当するということはまずありえないと言え、異例とも言えるほどの大抜擢だった。

 公安に限らず、刑事が事件を担当する際に必ず二人一組のコンビとして、事件を担当することがこれまでの慣例だったからである。

 しかし、この事件にだけ関して言えば、今は彼ただ一人が担当することになっていた。

 それというのも、実は上からの命令で、この事件は“形だけの捜査をするように”と、厳に命じられていたからというのが本当のところなのだ。

 その禁を破ってしまったコンビを組んでいた元警部は担当を外されてしまい、その仕事に対する失意失望から長期休暇として有休を取って、今頃はのんびりとした国内の田舎町で妻子とともに温泉旅行でもしていたはず。

 だがそれも、彼が有休を申請してから数日後、家で寝ていた妻と子供を殺害するという事件を引き起こして、精神病院へ強制的に入院させられてしまうのは、誰も予想ができなかった。それは自分や上司はもちろんのこと、彼とその家族までも同様だったはず。

 一体何故、そんなことになってしまったのか?

 その真実は彼本人しか分かりえない。

 しかし、今ではもう、その本人すらこの世にはいないため、真実は闇の中にある。

 彼は裁判に出廷するという名目上、病院を一時退院して自宅待機していたのだが、家族を殺してしまったという罪から、安易にも首吊り自殺してしまったのであった。

 彼の何が最愛の妻と息子を殺めてしまうまでの動機を抱いてしまったのか、その捜査すらもこうした書類上、それも上司が言うところの『形の上』でしか成立していない。

 ふと、机の上に広げてある書類に目を落としてみると、自分が書いた文字で、彼の経歴や事件後にあった結果のみしか記されていなかった。

 その文字の裏に潜む彼の動機や心情なんてものは、一切書かれていない。あるのはただの結果論に基づく文字の羅列だけである。

 人一人の人生が、たった数行かそこいらの文字で言い表せてしまうことに対し、人としての存在意義や生きる目的などを考えずにはいられない。

 しかし、そうはいってもこれも仕事と割り切ることで、自らの迷いを飲み込むことにした。

 そうしなければ、自身の心が壊れてしまいそうになってしまう。

 自我を保つことができず、自分が自分ではなくなってしまうかもしれない。

 私の体だけはそこにあるのに、肝心の中身が別人の物となってしまう感覚に陥る。

 それは人として、何よりも恐怖を感じる瞬間の一つでもあった。

「形だけぇ~……形だけの捜査かぁ~……はぁーっ」

 自分の上司であったはずの警部が家族を残虐すると言うことだけでも不祥事なのに、そのうえ最後には自殺までされてしまえば、いくら公安という組織と言えども心中穏やかでない。

 公務員という組織において、身内の不祥事は何を持っても防がねばならず、またその落とし前は必然的に管理責任として直属の上司へと向けられる。

 世間から見れば公安という一組織ではあるが、内実では派閥争いや同期に対する足の引っ張り合いはもとより、部下に対する無茶な命令なども日常茶飯事であったのだった。

 そして組織とは外からの攻撃に対し、絶対的な力を見せるが、実は内部から崩壊することがある。

 それが職員の不祥事であり、殺人や自殺などという決して世間には隠しきれないものこそ、何よりも嫌う性質なのだった。

 だからこその形だけの捜査という命令が下されているわけだ。

 そんな上司の意図や思いなども、自分は十分に理解している。

 ……理解はしていたが、それは頭だけのことで感情としては、未だ納得はしていなかった。

 もし本当に捜査を打ち切るならば、一言「そうなった」と言えばいい。

 なのにそれをせずに、形だけの捜査をしろと命じるのには、もちろん理由があった。

 それは世間から見た、彼らの面子である。

 いくら公安という独立組織と言えども、外面を気にする。それも一般人が考えている以上に、だ。

 つまり事件を任されているのに解決できずに捜査を打ち切ってしまえば、自分達の能力が劣っていることを証明してしまうことと同義なのだ。

 そのため、上は長年に渡り形の捜査だけ、また必要最低人数だけを捜査に当てることで、見た目的には捜査は続けていると対面を保つことが出来る。

 また実際にあった三億円事件のように、真相が闇の中になったとしても、十五年を過ぎれば凶悪な刑事事件と言えども時効を迎え、捜査義務を解かれる。

 これは一瞬の事件に対する区切りでもあり、捜査をする刑事にとってみれば、何にも勝る屈辱的な結果であると言える。

 きっと公安上層もお手上げとなってしまい、また継続的に事件が発生している手前、国民にまだ捜査は続けていることをアピールしたいのだろう。

 結局は、彼らも他人からの評価の上でしか成り立つことの出来ない、存在なのだ。

 最初から理解していたが奇しくも自分も、その組織の一部として禄を食むイチ国家公務員職として、甘んじてそれに従う他なかった。

「あ~っ、もう~っ、どうすりゃいんだよ、ほんとに……」

 様々な考えが後から後から頭の中で浮かび上がっては、消えていく。

 刑事として、また男として、一体何が正しいのか、またどうあるべきなのか、答え無き答えに必死で悩み苦しんでいた。

 先輩だった警部は、事件の核心に迫ったから担当を外された。

 しかもそれに自分も近しい立場で、同じく接触していたのだ。

 つまり、裏を返せば警部がした行動は強ち見当外れや間違いだったというわけではなくなってしまう。

 最後に彼とともに聞き込みをしたのは、あの出版社の男である。あの男に会いに行ってからというもの、すべてが悪い意味で変わってしまったのだ。

 今でもどこか意味深で軽薄そうな笑みを浮かべていた、あの面構えが脳裏に焼き付いて離れてくれない。

 彼は見た目から、外面の印象も幸も薄そうではあったが、あの不気味な笑みだけはやけに印象に残っていた。それも刑事の勘として、“何かある”と思わせるまでに。

「このA-17事件において、一番得をした人間、それは……加害者だった未成年の少年達でもなく、また本を執筆した著作者でもない。つまるところ、その人物は――」

 頭の中で一体、誰が真犯人なのか、そして十数人にものぼる少年や警部を自殺するまで追い込んだ人物に対し、既に検討はついていた。

 だが、それを口にすることは上司の手前、憚れている。

 メモ帳代わりに、いらなくなった書類の裏地に、関係者の名前や相互関係、そして何があったのかということを適当に書き込んでいく。

 誰に見せるでもない、ただ思いついた物事を書き留めるだけなので、字は当然の如く汚かった。

 既に亡くなった人物には、名前にバツ印を付け、残ったものは二つしか記されていない。

 一人は著作者であり、柏木速人なる人物。

 もう一つは人ではなく、会社の名前だった。

 その二つを別々に囲い込む形で、ボールペンでグルグルグルっと、何重にも円を重ね合わせる。

 単純に考えれば、この二つのうち、どちらかが真犯人になるのだろうが、この二つと事件とを結びつける具体的な証拠はまだなにも無かった。

 あるのは、ただ感情論と状況証拠、そして何より刑事としての使命感だけである。

 日本では疑わしきは罰せずという言葉があるとおり、公安である自分が強硬な手で逮捕したとしても、すぐに証拠不十分で釈放されるのがオチなのだ。

 もちろん思想警察を掲げる公安としては、それだけも十二分な価値はある。それは公安と言う性質上、事件を起こすであろう組織を未然に防ぐのが主目的であるからして、有無を言わす間もなく逮捕することもできる。仮にその後の裁判で不起訴となったとしても、事件抑止力としての言い訳と面目は十二分に立つ。

 それはこれまでもこれからも、決して変わることのない思想警察としての権力の象徴。しかし、だからといって何ら証拠も根拠も無しに逮捕を強制すれば、当然が如くその反動は組織へと返ってくる。

 逆にそんなことをしてしまえば、今度は自分が狙われる番かもしれない。よくて減給か停職、最悪の場合には懲戒免職も視野に入ってきてしまう。それでも刑事としての本分から言えば、なにも無かったという結論を出せれば満足と言えるだろう。それが延いては、起こり得る事件から未然に国民を守るという、利益にも繋がってくる。

 それでもやはり、今の仕事と社会的立場を思えば、動揺は心だけではない。そう考えただけで、ペンを持っていた手が震え、机の上に落とそうになってしまう。

 さすがに人の目のあるところで、そんな弱音を吐くわけにもいかず、書き留めた相互関係図の紙をグシャグシャに丸め、机下にあるゴミ箱へ力なく落とす。

 暗い穴へと吸い込まれる形で、音もなく紙くずが落ちたが、ゴミ箱本体の淵側にぶつかり、外れてしまった。

「あっ……クソッ」

 その様は、まるで売れっ子小説家や漫画家がせっかく考えたアイディアをボツにして、丸めてゴミ箱回りにいくつも佇む様子とよく似ていた。

 またそれは私の心を映し出した鏡のようでもあった。

 世間から、公安という組織からも爪弾きされてしまい、私は地べたを這う。

 だが果たして、ゴミ箱の中に未来はあるものなのだろうか?

 私自身がその中に入ってみるまで、真理の程は知ることも出来ない。

「んっ」

 さすがに自分の机の真下にあるゴミ箱が汚れていれば、上司に怒られてしまうかもしれない。

 自分も大学を出たばかりの若造ではなく、三十に手が届きそうな年齢なのだ。

 そのような些細なことで、人から注意されるというのも格好の悪いものだと、自ら椅子に腰掛けたまま屈み、丸まった紙くずを拾い上げ、ゴミ箱に入れ直す。

 今度はちゃんとゴミ箱の中で手を離したので、外れることはない。

 きっと明日にはゴミ焼却場へと送られ灰となるか、古紙としてリサイクルされ、再び私の戻って来るか、そのどちらかでしかない。

「……売れっ子の小説家か」

 ふと、それが何かに似ていると、何気なくそう呟いてしまう。

 だがそれも大昔、パソコンもワープロもない時代の作家でもなければ、ボツとなったアイディアを丸める機会すら得られない。

 なんとも味気ないことだが、時代の流れを感じずにはいられない。

 自分の仕事場である公安部でも、そのようにすれば書類仕事も幾分楽になると思ったが、情報漏洩の観点からいえば、致し方のないことなのかもしれない。

 またパソコンなどでは文字は打てても、こうしたちょっとした思い付きや略式図のようなものを描くのは苦労する。

 その点、手書きならば如何様にもできるし、もしいらなくなればゴミ箱に処分すれば、それだけで事足りる。

 またデジタルの記録では、一旦消してしまえばそれまでだが、手書きの場合には手元にそれが残っている限り、いつでも元に戻すことが出来るのだ。

 そう……何かを思いつく、その度に……。

「そうか……そういうことだったんだな。事件を解決する手がかりの共通点はこれだけじゃない。事件後にだって、彼らには共通する点が多かったはずだ。なんでこんな簡単なことに気づけなかったのだろうか……?」

 私は事件前と事件直後の被疑者のことばかり考えていたが、彼らにはその後の生活があったはずである。

 しかも全員が全員、必ずといっていいほど、裁判、そしてその後にある精神鑑定という過程を経ていたのだ。

 もちろんそれには専門家の協力が不可欠であり、それこそが事件を解決できるきっかけになると、刑事の勘が自分の耳元と脳裏で囁いていた。

 不思議と先程まで感じていたはずの、まるで頭の中にかかっていた霧が晴れ渡り、一つ一つの物事が見えるようになっていた。

 一つ疑問が紐解ければ、今度は別の疑問への繋ぎ目となる。

 それはまるで点と点とが結びつく、しるべなき導き手であるかのようにも。

「だが、このまま何の策も無く、本丸に突入してしまえば、以前の出版社の時と同じく、邪魔が入ってしまうかもしれない。ならば……」

 私は周りの目もあるからと、とりあえず彼らが望む形で仕事をするフリに徹することにした。

 でなければ、また余計な邪魔が入って、自分まで疎まれる存在に仕立て上げられる可能性があったからだ。

「課長、ちょっと外をぶらつくついでに、聞き込みに行って来ます」

「……どこへ聞き込みに行くんだ?」

 自分が今の直轄の上司である課長へ外出許可を申し出ると、予想どおりどこへ行くのかと聞き返されてしまった。

 通常ならば、こうした邪魔が入ることはまずないと言える。

 しかし、過去の警部の事件もあり、また上からこの事件、A-17事件は形の上で捜査をすると命令が下されている手前、変な行動をしていないかと度々行動を監視されていたのだ。

「あ~っ、いちおう上の手前は何かしらの仕事していないとアレなんで、A-17事件における最初の容疑者と思しき、本の著作者である柏木速人氏に話でも聞こうかな、と。……やっぱり駄目っすかね?」

 変に警戒心を煽らぬよう軽い言葉を用いるとともに、後ろ手にそこらの喫茶店で暇を潰すような軽い仕草で、上司に外出の許可を求めてみる。駄目なら駄目で次の手を考えればいい。さすがに勤務時間外で行くのが不味いことは誰の目から見ても明らかだが、それでも必要ならばそうせざるを得ない。

「……そうか。気をつけて行って来い。最近、物騒な事件ばかり起こるからな。間違っても巻き込まれたり、逆に事件を起こすような立場になんかなるんじゃないぞ。そこのところを、ちゃんと理解しているだろうな?」

「はい。もちろんです!」

 一瞬、ギロリとした目が二つ、疑いの眼差しで私の両目を捉えた。

 だが、私が書類仕事に飽きて喫茶店でサボる口実を模索しているとでも思ったのか、すんなりと許可は下りる。

 それでも数ヶ月前、部下であった元警部が不祥事を仕出かしていたため、自分もそのようなことをするなと釘を刺されてしまう。

 きっと、課長も上からの突き上げに業を煮やしているのか、それともまた不祥事が起きないよう、暗に牽制してきたのかもしれない。

 それからすぐに都内にある柏木速人の自宅へと向かった。

 幸いにも過去にあった事件のように、マスコミが張り込みをしていることはなかった。

 尤も、既にあれから数年が経っているため、別の追っかけで忙しいだけなのかもしれないが。

 呼び鈴を鳴らし、お目当ての人物が在宅していることを願う。

 本来なら事前にアポイントメントを取るべきなのだろうが、我々のような公安の刑事が事前予約のようなアポを取ることはまずない。

 少し間を置いて、ガチャリッと施錠が外され、玄関ドアが開いた。

柏木速人カシワギハヤトさんですか? 私は公安二課の刑事で……」

 まず最初に相手の本人確認の有無と、自らの身分と名を明かした。

 こうしなければ、もしもトラブルが発生した際、それがこちら側の弱みとなってしまうからだ。

 また家を訪ねてきた人物名乗らなければ、直接会うことすら困難なのは言うまでもなかった。

「どうぞ……」

「お邪魔します」

 頷きも返事すらもせず、開かれた玄関から彼が顔を出すと、家の中へと招かれる。

 家の中は極々普通の中流家庭の家であり、特別な贅沢をしているような雰囲気は垣間見えない。

 むしろ昭和の年代を感じる風貌で、実家に帰って来たかのような安心感を覚えてしまうくらいである。

 リビングに案内されると大きめのソファーに座り、家の主である少年は愛想良くもお茶かコーヒーかと、来客に対する定番を聞いてきてくれた。

 さすがに厚意を無下にすることも出来ず、普段休憩所や出先で飲んでいるコーヒーではなく、お茶をもらうことにした。

 程なくすると、お盆に二つの湯飲みを持った彼が姿を見せ、自分の目の前に置いてくれる。

 どうやらお湯は電気ポットを常備完備しており、普段使いしているのかもしれない。

 出されたお茶には敢えて口を付けず、正面から少し外して、さっそく本題に入ることにした。

「本日、私がここへ来た目的は、あの事件について少し気になることがあり、失礼とは承知していましたが、そのお話を聞きくてアポもなしに伺いました」

 私は嘘偽りもなく、素直に尋ねて来た目的を彼に告げる。

「僕なんかで、お役に立てればいいのですが……」

 彼とはこうして面と向かって初めて会うのだが、書類上の記録からは読み取れぬ、その見た目に相応しい年相応の言葉と素直さが受け取れた。

 また私の身分が警察ではなく公安というのも、少なからず利いていたのかもしれない。

(嫌がられて何も話さないのかと思っていたら……なんだ、どこにでもいる普通の少年と同じじゃないか。こんな年端もいかぬ彼が被疑者と成り得るのだろうか?)

 自分と年が十も離れていないため、なんだか弟のような存在にも感じ始める。

 だが、いつまでも私的な感情に浸っているわけにもいかず、私は事のあらましを最初から聞いてみることにした。

「事件を最初から聞いていきたいのだが、君は本が好きなんだよね?」

「そう……ですね。昔はそれなりに……」

 私の質問に対し、彼は途切れ途切れに言葉を紡ぎ始めた。

 それは何か裏の考えを持っているというよりかは、過去を振り返っている……そのような印象を受ける。

 そして事件が起きる前、事件が起こった直後、それから今現在に到るまでを、事件の時系列に沿って質問していった。

 彼はこれといって特に拒絶する風もなく、最初に受けた印象どおり、年相応な言葉使いと態度で、それに答えてくれた。

 さすがに両親が自殺した話に差し掛かると、若干ではあるが、言葉の間が開いたりしていたが、それも致し方のないことだったと思う。

 それでも職業柄、そうしたことにも躊躇することなく突っ込んで聞かなければいけない。でなければ、事件の本質に迫れないのだから、これも仕事なのだと割り切るほかなかった。

「ちなみになんだが、今はどんな生活をしているんだい? さっきの話だと、保護観察という名目上、週に一度は担当者が尋ねてくると言っていたけれども……」

「ええ、なんてことはない、ただの様子伺いです」

「というと?」

「今週は何か異変はなかったとか、ってそんな感じですね……」

「ふむ。なるほどね」

 私は情報としてそのことを事前に知ってはいたが、それでも改めてこうして本人と面と向かい話していると、より“そうである”と実感することが出来た。

 それは事件の加害者ではなくて、むしろ被害者側であるとの印象を抱いてしまうほどに。

 彼は自分が書いた小説を現実に模倣された挙句に、痛ましい事件が次々に起こってしまう。

 それが原因で、罪もない両親が責任を感じて共に首吊り自殺してしまった。まだ十八歳になったばかりの彼にとって、何より辛い出来事だったはずである。

 創作物はどこまでいっても創作であり、仮に殺人モノの小説を書いた著作者が現実に犯罪を起こしたわけではないのだ。

 それなのに、彼らは否応なしに追い詰められ、そして一家は物語と同じく加害者達の少年により、バラバラにされてしまった。

 また皮肉にもただ一人生き残ってしまった彼は、生涯を終えるそのときまで、ずっと後悔の念とともに両親の記憶を心の中で思い留めて生きていくことだろう。

 今日こうして彼と面と向かい話せすことができたのは、私にとっても良かったことなのかもしれない。

 これまで真犯人は彼か出版社の人間、あるいは別の誰かだとばかり思い込んでいた。

 それは数ヶ月前まで共にコンビを組んでいたあの警部も、そうであるとの疑いをかけ、彼が残した書類メモには記載されていた。

 結局、彼も今目の前に居る少年が頭の中で描いた物語に感化されてしまい、自分の妻や子供を殺害するまでに到ってしまったのだろう。

 その点だけで言えば、目の前に居る少年を真犯人と呼べるが、それでも犯行を示唆したわけでも事件を引き起こすよう導いたわけでもない。ただ暗にも物語としての道筋を示したに過ぎない。

 もしもそれが罪だと問われれば、小説家や漫画家、それに脚本家やシナリオライターと呼ばれる職業の人々も、すべて罪に問われなければ不公平というもの。

 彼らの仕事は、人々の感情という心を揺り動かし、時に感動を、時に笑いを、そして時に恐怖を提供するのが仕事である。

 仕事である以上、ある程度は割り切ってはいただろうが、それでも現実に模倣する人間が出てしまえば、後ろ指を指されてしまう。

 それが今回はまだ年端もいかぬ少年だったというだけで、その因子や原因、それにきっかけと呼べるものは誰もが持ち合わせているに違いなかった。

 だから本やドラマの冒頭または終わりにおいて、『この物語はフィクションです。実在する人物・団体・企業などとは一切関係ありません』などという注釈が必ず取り入れられている。

 それは企業としての要らぬリスクを排除するという、名目を保つほかに真似する人間を排することが主目的。

 もし模倣する人間が事件を起こせば、非難の矢は自分達の組織は愚か自らの経歴までも悪戯に傷つけてしまう。

 目の前の少年の場合、それを『ノンフィクション』という体で銘打つことにより、世間を賑わせ、その結果として謂れのない差別や罵声、そして両親が自殺するまで追い込まれてしまった。

 彼こそ、加害者であるという一面を持ち合わせると同時に、この事件における一番の被害者であるとも言えるわけだ。

 そしてそれは既に自殺し亡くなっている警部も、そう思いながら捜査に当たっていたはず。

 今ならその当時の彼と同じく、自分も彼は被害者であると思わざるを得ない。

 そこで以前、警部が訪ねて来たであろうことを彼に直接聞いてみることにした。

「以前、君を訪ねてきた公安の警部のことを覚えているのかい? 見た目、私よりも二回りほど年上の」

「公安の警部……ですか? ああ……あの人のことですね。確か、見た目は五十過ぎで、髪の所々白髪混じりの大柄の人でしたよね? タバコの臭いがキツかったのをよく覚えています。そういえば以前、今の貴方と同じようにいくつか質問をされましたね。でも確か数ヶ月ほど前に自殺したと、ニュース番組で見ましたけど……」

 私が元先輩だった警部の話を振ってみると、彼は覚えていてくれた。

 これまで警察の刑事など、それこそ何人にも同じような質問されたというのに覚えている。

 もしかすると、私もその中の一人として、既に覚えられているのだろうか?

「あの……失礼ですが、貴方は公安の刑事さんと言われてましたけど、その警部さんと同じ部署だったりするのですか? もしくは先輩後輩の仲で、一緒に仕事をしてきたとか?」

「うん? あ、ああ、そうだよ。私は以前、彼の部下だったんだ。よく一緒にコンビを組まされて事件を担当したこともある。数ヶ月前、不幸にも自殺してしまったが、今でも刑事として警部のことは尊敬しているよ」

 少し考え事をしていて、意識が飛び、彼の問いかけにより、ふと我に返ることが出来た。

 自分でも何で警部の話を持ち出したのか定かではなかったが、一応目の前の少年よりも年上で、しかも公安の刑事という見栄も手伝い、慌てながらにそう言い繕った。

 きっと、何故自分が慌てているのかと、彼は思っていただろうが、それでも私は未だに自殺した警部のことを慕っていた。

 いつも独断専行で事件に立ち向かい、上司からは疎まれる存在であったが、それでも同じ刑事としては尊敬できる。それは間違いない。

 そして話はいよいよ、確信へと迫る。

 私は意を決して、こう彼に問うてみることにした。

「君は……君の作品を通して、殺人事件や自殺する人が出てしまい、どう思ってる?」

 つい、聞かなくていい余計なことを口にしてしまったと後悔してしまうが、既に賽は相手へと投げられている。

「もし何か思ったり感じたりしたことがあれば、聞かせてもらえば助かるよ」

 どうせならと思い、更に言葉の歩を進めることで目の前の少年から何かしらの言葉を引き出そうとする。

「そうですね……」

 彼は少し考えるような仕草をしてから、私の質問にこう答えた。

「きっと事件を起こした人々はみんな、元々社会や周りの家族に対して何かしら不平不満を抱いていたのではないでしょうか? 私の本をその“理由たる切っ掛け”にすぎない……言葉悪いですが、言い訳のダシに使ったと思います」

「……君は“そう”考えているんだね。じゃあ、彼らに対して申し訳ないとか、そんなことは思ったりしたことはないのかい?」

 私は彼の言葉を聞き、つい続きを促す形で、再び問いかける。

 なんだか自分が尋問官にでもなった気分になりつつあった。

「うーんっと、そう……ですね。確かに私の二冊の本を読んだことにより、いくつもの事件が起こりました。それだけで言えば、事件を引き起こす切っ掛けや引きトリガーになったのかもしれませんね。ですが、それでも犯行へと到る最たる動機や原因は、本人が“最初から”持っていたのだと思います。だから、それが遅いか早いか、また別の何かを切っ掛けとして起こる事件……言うなれば、起こるべきして“引き起こされた事件”だと考えています」

「つまり……それは自分の本が原因ではない。そのように君は考えているんだね?」

 彼のその言葉を受けた私は、事件の核心に迫っていることを実感し、そして思わず息を飲みながら、彼から続きの言葉を引き出そうとする。

「逆に現職で、毎日事件を捜査している刑事さんに質問したいのですが……。現実問題として、動機無き動機による犯行は起こり得るものなのでしょうか? また過激な小説や漫画などが原因で、そのような事件性が直接的にも成立するものなのですか?」

「それは……」

 今の今まで質問する立場だった私が、逆にそう問われてしまい、反論できずに言葉を詰まらせてしまう。

 彼が何を言いたいのか、私が刑事という仕事柄、嫌でも瞬時に理解してしまった。

 事件と呼ばれるものの裏には、必ずといっていいほど、犯人の動機が存在している。

 それは一見無差別に思える通り魔的犯行においても同じであり、犯行に到るまでの動機や原因は必ず存在すると断言できるのだ。

 それが一体何なのか、その都度の事件により程度の差こそ違えど、基本的には社会に対する不満、もしくは家族や友人などが原因だと言う事が出来る。

 ある者は失業や職場の嫌がらせで、またある者は学校でのイジメや受験の失敗などなど、ありとあらゆる現代社会における物事が不平不満として蓄積していき、ある限度を超えてしまうと何かしらの切っ掛けにより爆発、事件を引き起こすまでになる。

 ほとんどの人の場合は、内に抱えている問題が解決するか、あるいは自らの中で自己完結することで、消化される。

 だが、世の中には潜在的犯罪などと呼ばれる『因子』を犯行以前から持ち合わせている者も存在している。

 彼らは意識的に、また無意識的に社会に対する不満を抱えており、その中でテレビや新聞などで報じられる事件を切っ掛けとして、事件を引き起こす立場に回ることがある。

 総じて事件を起こした後、彼らが口にすること、それは『自分に当てられたメッセージ』だと述べていることだ。

 実際、彼らにピンポイントに当てて語られる物事なんてものは存在し得ない。

 しかし、彼らはそれが自分に対してだけ語られたメッセージであると勝手に思い込み、似たような事件を引き起こしてしまう。

 これが潜在的犯罪などと呼ばれるものであり、社会に対する危険分子などとも呼ばれることがある。

 またそれらまだ犯罪に至らない者達を監視し、未来で起こり得る出あろう事件を未然に防ぐのが、私の仕事でもある公安という職務でもある。

 だからこの世の中において、動機無き動機などという原因においての犯罪は成立しない。

 もしそれがあるとするならば、虚偽の供述、または自分自身にそう言い聞かせるか、あるいは本心から“そう思いこんでいる場合のみ”と言える。

 もちろんそれらの目的は、その証言や証拠が裁判において自分達の有利に働き、最後には罪を問われることもなく無罪を勝ち取る……それしかなかった。

 結局のところ、裁判と言えども証言や証拠が罪の有無を決める切っ掛けであると同時に、罪の重さまでも決める決め手となっているのだ。

 だから事件においても、加害者が何かしらの動機を持ち合わせていると判断することができる。

 それはどんなに小さくとも、捜査している人間のこじ付けだとしても、“そうである”と扱われてしまう。

 またそうでなければ、捜査をしている以上、書類に記すことも上司へと報告することもできないからである。

「君は社会における犯罪が起こることは、仕方のないことだと考えているのだね? それで自分から今のこの社会に対して、小説という創作作品を通すことで広く問いかけようとした。その認識で合っているかな?」

「ええ、まぁ……つまりは“そういうこと”です。私が書いた本二冊は、犯行を起こす切っ掛けに過ぎない。だからこそ、こうして何の罪にも問われず、自宅待機という形で毎日の生活を送っていますよ。まるで出口なき監獄のような生活を、ね」

 今、彼は私の言葉を認める発言をした。

 それは自ら潜在的犯罪者に対して、社会正義を呼びかけ、事件を引き起こすまでの犯行へと誘導したと言っているようなものだ。

 私はその先を聞きたくて、こう問いかける。

「じゃあ君は自ら望んで、今の生活を謳歌しているというのか?」

「…………いえ、違います」

 彼の言葉に反論するよう言葉を投げかけると、彼自身一番よく理解しているのか、ハッキリとした言葉で「違う」と否定して見せた。

 きっと本来、彼の頭の中で描かれていた未来はこうではなかったはずだ。

 本が売れ、小説家として有名になりたいなどとは思えども、事件の首謀者として、また両親が自殺するなんて思いもしなかったはず。

 彼は自ら進んで社会問題を世に知らしめようとした結果、道を踏み外してしまった、言わば加害者の立場でもあり、それと同時に被害者の立場なのである。

「最後に聞きたいんだが、君と出版社が意図して社会に対する不満を持つ潜在的犯罪者達に対して、今の日本が抱える問題を世の中に定義しようとしたのか、それとも意図せず結果として偶発的に次々と事件が引き起こしてしまったのか、それだけはA-17事件における“当事者”である君から直接聞かせてくれないか?」

 既に確固たる証拠もなく、状況証拠という捜査における証拠とも言えぬ心理的捜査状況において、これはただの私なりの事件に対する自己満足でしかない。

 こんなことを聞いたからといって、彼を罪に問えるわけはない。

 それでも刑事として、また事件に対する探究者の一人として、これだけは彼に直接聞いておきたかった。

「その刑事さんの推理・推察は半分は当たり、もう半分は外れ……というところですかね」

「……半々というわけか」

 つまり私の推察は強ち間違いではなかったということになる。

 そしてそれは彼本人が認め、確かなものとなり得たが、それでも続きが気になってしまい、ついこんな言葉が口を付いて出てしまう。

「もう半分は一体なんだい? もしよければ教えてくれないか?」

 私は自分が刑事であったことも忘れ、彼の言葉を欲するだけの探求者となっていた。

 そんな私に対して彼は、続けて言葉を紡いでくれる。

 きっと彼なりの慈悲や優しさなのかもしれない。

「意図して……という部分は合っていますが、私と出版社との間には共通する意思の疎通などは存在していません。あるのは互いの思惑、利益が合致した事実……ただそれだけのことです。また結果論ではありますが、僕も出版社も単なる事件の切っ掛けにすぎず、事件は起こるべくして起こった……ただそれだけのことですね。貴方が“私”に対して、望む答えはこれで良かったですか?」

 最後に彼はそう口にすると、席を立ち、私の目の前に置かれていた、一口も口を付けずすっかり冷め切ってしまった湯飲みを下げ、部屋を出て行ってしまう。

 つまり私ともう話すことはないと、さっさと家から帰るようにと、暗に示しているのである。

「お邪魔しました」

 私はその意思に逆らうことなく、玄関を出る際、礼儀として声をかけたが、生憎と彼からの返事は返って来なかった。

 これで彼とこうして直接会うことも、また言葉を交わすこともないと、何故だか肌で感じ取ってしまう。

 きっと彼の声や容姿など、数日のうちに私は忘れてしまうかもしれない。

 彼はそれほどまでに、印象が薄い少年だったと言える。

 だが、そんな彼に対する印象も、その数ヶ月後、彼が駅前のビルの屋上から飛び降り自殺するということで思い出してしまう。

 彼はきっとこの世に対し、何の希望も見いだせていなかったのかもしれない。

 いや、もしかすると、既に彼は己の願望を叶えており、それに満足して自ら人生の幕を下ろしてしまったのかもしれない。

 今となってしまっては、その事実は彼本人でしか分からないことになってしまった。

 彼の家を後にした私は、その足で次なる当事者である出版社へ向かうことにした。

 本来ならば、彼の印象を保ったまま、彼の担当医である精神病院の医師に話を聞きたいところなのだが、ここからは出版社の方が近いため、先に出版社へ赴くことにした。

 なにも病院には足のようなものが生えているわけではない。だから後に回しても逃げやしない。

 仮に都合悪くも担当の医師が休日を取っており、今日出勤していなかったとしても、明日病院に窺がえばそれで済む話だ。

 私には捜査としての時間がたっぷりと残されている。

 一日二日、なんてものは誤差の範疇でしかない。

 これというのも、上から形だけの捜査を命じられたおかげなのかもしれない。

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