三十七話 無理をさせてほしい

「――はぁ……はぁ……」


 息が上がる。

 ずっと身体を動かしていたせいで、至るところが痛い。


「……そろそろ、上がるか」


 熱が引いてから数日後。

 俺は学園近くの公園で、修学旅行先で行われる「組対抗ドッジボール大会」の練習をしていた。


 まだしたいところではあるが……芹崎さんに「無理をしないで」と言われてしまったからな。

 ここらが潮時だろう。


 俺はベンチにかけていたハンドタオルを手にとって、それを顔に押し付ける。


 ……いつ、芹崎さんに告白しようか。

 ちゃんとした場所とは言ったものの、それがどういう場所なのかは自分でもまだ答えが出せていなかった。


 一つ挙げるとするなら……やっぱり修学旅行の時だよな。


 最終日に行われるキャンプファイヤー。

 特に何かをするわけでもなくただみんなで焚き火を囲むだけ。

 きっと混雑しているだろうし、先生達の目も行き届く範囲に限りがあるはず。


 自由行動時の班も芹崎さんと一緒になれたし、告白時の雰囲気もきっと問題ないだろう。


 芹崎さんとは毎日一緒に帰っているからその時でもいいかとも思ったが、やっぱり告白は印象付けたい。

 それに、帰り際は俺的にちゃんとした場所じゃないからな。

 人目を盗んで芹崎さんを連れ出したりすれば印象付くだろうし、きっと想い出にも残る。


「……それでいくか」


 計画立てが一段落つくと、急に心臓がドキドキしだした。


 告白ともなれば、いつも一緒にいるのとは訳が違う。

 故に、こうなってしまうのも必然だろう。


 ……とりあえず、今は家に帰って学園に行く準備をしよう。

 悠長としていたら、芹崎さんを待たせてしまう。


 俺は汗が引いたのを確認すると、帰路を辿ろうとした。


 その時。


「……あれ? 祐也君?」


 公園に、俺ではない一つの声が響き渡る。

 聞き慣れた声が俺の名前を呼んだため、俺は思わず声のした方に視線を向けた。


「……せ、芹崎さん? こんな朝早く、どうしてここに?」


 そこには、案の定芹崎さんがいた。


「私、今日は日直の日なので。祐也君とLINEも交換していませんでしたし、マスターにそのことを祐也君に伝えてくださいと言って、CATSを出てきたんです」

「そ、そうなんだ……」


 突然の登場に、落ち着いてきていた心臓がまたドクドクと鼓動し始める。


「というか、祐也君こそどうして朝早くからこの公園に?」

「あー……それはね……」

「もしかして、この前私が言った『無理をしないでください』って話に繋がりますか?」

「うぐ……」


 流石は芹崎さん。

 いつも通り勘が鋭い。


 見ると、彼女は目を細めて俺のことを睨んでいた。

 もう、隠せないか。


「……分かった。全部吐くから、もうそんな目で俺を見るのはやめてほしい」


 俺は両手を上げて降伏した。

 まさかこんなところで出くわすとは……不覚だった。


 そうして俺は芹崎さんにを説明するために、彼女共にベンチへ移動するのだった。






「――そういえば芹崎さんは熱を出してる時の俺がいいって言ってくれたよね?」


 ベンチに腰を掛けて一段落すると、ふと思い出したそれを話題に出した。


「あっ……まぁ、そうですね。出来るなら」

「そっか……じゃあ普段もなるべくそうするよ」

「……出来るんですか?」


 俺の言葉を聞くなり、芹崎さんは目をキラキラと輝かせながら身を乗り出してきた。

 その気迫に気圧されてしまって、俺は思わず仰け反ってしまう。


「あれは、俺のだったからね。しようと思えば、多分出来ると思う」

「それじゃあ……よろしくお願いします」


 そう言って、芹崎さんは深々と頭を下げてきた。


 彼女の前で素を出すのは少々勇気がいるが……もう一回見せてしまっている手前不安になる必要もないし、彼女だってそれを望んでいる。


 俺は「分かった」と言うと、話題を元に戻す。


「……芹崎さんは体育祭の時、俺の運動神経がいいって言ってくれたよな」

「っ……はい。確かに言いました」


 僅かに頬を赤らめる芹崎さん。

 その様子を見て少し安心した俺は、さらに言葉を続ける。


「実を言うと……俺はそんなに運動神経がいいわけじゃないんだ」

「そうなんですか?」

「あぁ。俺が何でも出来るように見えているのは、さっきみたいにここで練習をしてるからだ」

「じゃあ体育祭でのサッカーも『授業で少しやった程度』って言っていたのは嘘ってことですか?」

「そうだな。本当はここでサッカーの練習をしてた」


 隠し通していくつもりだった。

 だって、こんなことは自分から周りに言うものでもないし、言ったらただの「痛い奴」になってしまうから。


「だから、すぐに何でも出来る芹崎さんが本当に羨ましいんだ。俺は練習しないと、人並みには出来ないから」

「そう、だったんですか……」


 そうつぶやいて、芹崎さんは視線を落とした。


「そうとも知らずに、私は祐也君に運動神経がいいって言ってしまいました」

「気に病む必要はない。むしろ、そう言ってもらえて嬉しかった。今までの頑張りが全部報われたような気がしたから」

「祐也君……」


 芹崎さんは俺の名前を口にして、上目遣い俺を見る。

 本来ならここで微笑みかけるのがベストなのだろうが……俺は思わず苦笑してしまった。


「前までは体育祭如きでこんなに練習することはなかったんだけどな……やっぱり、『愛の力』ってのはすごいな」

「『愛の力』……?」

「なんだ? ピンと来てないのか?」

「……私、愛とかはよく分からないので」


 そう言って、そっぽを向いてしまう芹崎さん。

 そんな彼女に俺は苦笑しながら「ごめんごめん」と謝る。


 芹崎さんなら分かるかと思ったが……少々買い被り過ぎだろうか。


「……好きな人の前では、どんなときでも格好よくいたいんだよ。ただ俺も人を好きになったのは芹崎さんが初めてだから、あんまり上手くは言えないけど」

「私が……初めてなんですか?」


 目を見開いて聞いてくる芹崎さん。


「そうだけど、それがどうかしたか?」

「あっいえ、特に何もありませんけど……そうですか。私が祐也君の初めてなんですね」


 芹崎さんは膝の上で手を組みながら、ほんのりと笑顔を受かべる。


 その姿に一瞬ドキッとしてしまったが、それよりも……


「……その言い方は誤解を生むからやめておいたほうがいいぞ」


 俺は思わずそう注意してしまう。

 俺だって、健全な男子高校生だ。

 故に、意識してしまうことだって勿論ある。

 たとえそれが、そう思って言っているわけではない言葉だとしても。


「っ……そ、そうですね。やめておきます」

「……ん?」


 今、芹崎さんは何と言った?

「そうですね」と言ったってことは、芹崎さんは俺が言った意味を理解しているってことか?

 たくさん本を読んでいる芹崎さんなら、そういう知識が入っている可能性もある。

 いやでも、だとしたらさっき芹崎さんはなんで『愛の力』を理解出来なかった?

 恋愛に関しての本を色々と読んできているなら、『愛の力』は理解出来るはず。


 様々な憶測が俺の脳内を駆け巡っていくが、とりあえず……


「話が脱線したな。話題を元に戻すぞ」

「は、はい」


 俺はその場の雰囲気にいたたまれなくなったため、即座に話題を切り替えた。


「とにかく、俺は芹崎さんがいなかったらこんな無理して練習することなんてなかったんだ。芹崎さんを好きになって、芹崎さんの前では格好いい自分でいたいと思って……だから練習するようになった」

「それは……私のせいで、祐也君に無理をさせているってことですよね」


 暗い顔をしてそんなことを言う芹崎さんに、俺は思わず声を張り上げた。


「そんなことない! 芹崎さんが負い目を感じる必要なんてないんだよ!」

「でも……」


 感情が昂ぶってしまった俺は、思わず芹崎さんの手を握った。

 一瞬身体を震わせた彼女だったが、その後は俺に握られた自分の手をじっと見つめている。

 そんな彼女を見て、俺は少し落ち着きを取り戻した。


 ……ここで叫んでも、芹崎さんを怖がらせるだけだ。


 俺は、握る手に力を少しだけ加える。

 そしてふと俺の顔を不安げに見上げた芹崎さんに微笑みかけた。


「俺は、芹崎さんに感謝をしてるんだ」

「感謝……ですか?」

「あぁ。俺は元々行事なんか興味なかった。ただ与えられた仕事を適当にこなすだけの作業に過ぎなかったんだ。でも芹崎さんがそばにいてくれてから、俺は行事も頑張ろうと思えるようになった。芹崎さんが、俺の中で行事に意味を見出してくれたんだよ」


 サッカーだって、ドッジボール大会だって、芹崎さんがいなければこれだけ頑張れはしなかった。


 それだけじゃない。

 芹崎さんがいてくれるから、俺は色んなものに意味を見出だせるようになった。

 灰色だった世界が鮮やかに色付くように、芹崎さんは俺の見る世界を変えてくれた。


 芹崎さんがいてくれるから……俺は生きることが楽しくなった。


 全部、芹崎さんのおかげだ。


「ありがとう、芹崎さん」

「私は……別に、何もしてないですけど」


 そうは言っているものの、芹崎さんは満更でもない顔をしている。

 そっぽを向いているが、笑みを隠しきれていなかった。


「……だから芹崎さん。不安かもしれないけど、俺に多少無理をさせてほしいんだ」


 俺は芹崎さんにつられて出た笑みを引っ込ませて、彼女の肩に手を置く。


「あっ……」


 小さく言葉を漏らす彼女を見据えて、俺は言った。


「芹崎さんは、俺の格好いいところだけを見ていればいいから」

「っ……!」


 その瞬間。

 爆発するように芹崎さんの顔が真っ赤に染まる。


「〜〜〜っ!!」


 そしてそのまま両手で顔を隠し、悶え始めてしまった。


「……はっ! お、俺は何を言って……!?」


 彼女の恥ずかしがる姿を見て、俺はようやく我に返った。


 あんな臭いセリフ、いくらなんでもやり過ぎだろ!

 普段なら絶対言うことのないセリフなのに、なんで……


「いや違うんだ! これは、その……!」

「何が違うんですか?」

「っ……それは……」


 芹崎さんが、依然として顔を隠しながら尋ねてくる。


 俺自身、何が違うのか分からずにいた。

 多分テンパってつい出てしまったのだろう。

 その言葉に、特に意味はないと思う。


「……格好いいところ、見せてください」

「へっ……?」


 見ると、芹崎さんはようやく両手を顔から退けた。

 未だに赤く染まっている顔を露わにしながら、彼女は突然俺に抱き着いてくる。


「祐也君が無理をしていても私が納得出来るように、格好いいところを見せてください!」


 俺の胸の中に顔を埋めて言う芹崎さん。


 立て続けにいろんなことが起こりすぎていて、俺は何がなんだか分からなくなっていた。

 だが、何か芹崎さんに返さなくてはいけない。

 何とか頭を回転させると、俺は彼女を抱き締め返しながら約束の意味を込めて言った。


「……あぁ、見せてやるよ」

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