二十五話 零れ落ちる涙

「――リーダーを殺した後、俺は児童相談所に行った。改善の余地があるって言われて開放はされたものの、俺が元々いた児童養護施設に戻るわけにも行かなくて……悩んでいたところにやってきたのが、マスターだった」

「マスター……ですか?」


 俺は芹崎さんの問いかけに頷く。


「マスターはその時既にこの町でCATSをやっててね。町の住民からの人望も凄くある人だったから、この人になら任せても大丈夫だろうってことで、俺はマスターに引き取られることになったんだ」

「蓮君は……どうなったんですか?」

「蓮は俺がマスターに引き取られる前に、既にマスターに引き取られていたよ」

「そうだったんですか……」


 ……言ってしまった。

 このことは当事者である俺と蓮とマスターしか知らない。

 それ以外で知っているのは芹崎さんだけだ。


 失望、させただろうか。

 人を殺してしまっただなんて、普通に考えて忌み嫌われるだけだ。

 そこにどんな事実があろうと、簡単に受け入れられる問題じゃない。


「……これが、俺という人間なんだよ。芹崎さんが俺のことを大切に思ってくれていても、俺は芹崎さんが思っているような綺麗な人間じゃない。手だって、もう既に汚れている。だから……!」


 俺が言葉をまくし立てていると、言い終わる前に芹崎さんが優しく俺を抱き留めた。


「……えっ?」


 意味が、分からなかった。

 なぜ芹崎さんは、俺のことを抱き締めている?


「……昔と今は、きっと違いますよ」


 俺が戸惑っていると、芹崎さんが諭すような声で言った。

 その声で俺は、目が覚めるように落ち着きを取り戻す。


 ……暖かい声だった。


「私は、昔の祐也君を知りません。でも、だからこそ言えます。祐也君は優しい人です。祐也君は身寄りのない私を救ってくれた命の恩人です。それに人間になってからも、祐也君はいつも私のことを気にかけて下さいましたし、いざというときは私を守って下さいました。そんな祐也君を、優しいと言わずしてなんと言うのですか?」

「でも、それは俺がしたかったことだから……」

「その言葉も祐也君の優しさです。『俺がしたかったから』と言って、祐也君は相手に罪悪感を与えないようにしているんです。全部お見通しなんですよ?」


 そう言って、芹崎さんはあどけなく笑う。

 そのとき、俺の中で何かが壊れていくような気がした。


「……芹崎、さん。俺は……」


 言葉を紡ごうにも、上手く紡げない。

 代わりに出てくるのは、涙だった。


「祐也君の手が汚れていたとしても、その手はまだ洗い流せます。私が、祐也君の手を洗い流してあげます。……だから、もう怖がる必要ないんですよ」


 そうして芹崎さんは俺の手を握った。

 そこに俺の涙が一つ、また一つとこぼれていく。


「あぁぁ……!」


 そうして俺は泣いた。

 身体を震わせて慟哭した。

 泣いたのは、児童養護施設職員に拾われた時以来だ。

 俺は強くなるために、今までどんなに辛いことがあったとしても涙を流すことを我慢してきた。


 ……でも、もうそれも終わり。


 俺は、別に強くなんかならなくたっていい。


 芹崎さんになら、俺は弱さを見せることが出来るから。

 芹崎さんがいてくれるなら、俺はありのままの俺でいられるから。


 ……ごめん、白銀。

 お前の前ではああ言ったけど、俺の中ではもう決まってしまったみたいだ。


「私は、祐也君を大切に思っています。この気持ちが好きという気持ちなのかは分かりませんが、祐也君のことを大切に思っているのは事実です。だから……」


 そう置くと、芹崎さんは涙で濡れた俺の目を見据えて言った。


「……勝ちますよ、エキシビションマッチ」

「……うん!」


 ぼやけていてはっきりとしないが、それでも芹崎さんが優しく笑いかけてくれているのが視認することが出来た。


 俺が頷くと、芹崎さんはまた俺を抱き締める。

 俺はそれに返すように芹崎さんの背中に腕を回して、再び涙を流し始めた。


 ……この温もりが、今まで生きてきた中で一番落ち着ける場所だった。

 暖かくて、優しくて、どこか頼りがいがあって。

 このとき初めて、俺は芹崎さんを格好いいと思えた。


 そんな芹崎さんも……俺は好きだ。



「――落ち着きましたか?」


 芹崎さんに再び抱き締められてから数分後。

 涙を枯らした俺を見計らって、芹崎さんが声をかけてくる。

 俺はその問いに、静かに頷いた。


「……なんだか、情けない姿を見せちゃったな。見せたくないって、芹崎さんの前では格好いい自分でいたいって思ってたのに」


 俺が苦笑交じりに言うと、芹崎さんはくすりと笑いながら言った。


「もっと見せてくれてもいいんですよ? 格好いい祐也君も、情けない祐也君も、全部私の大切な祐也君ですから」

「っ――!」


 その言葉で、全てが救われたような気がした。


「そんなこと言われたら、また泣きそうになるよ」

「泣いてもいいですよ? 私がまた慰めてあげます」


 そう言って、俺たちは笑い合う。

 初めて、心から芹崎さんと通じあえた瞬間だった。



 ――俺は、芹崎さんが好きだ。

 大好きだ。

 その気持ちに、もう揺らぎはない。


 好きな理由も、あげたらきりがないだろう。

 笑顔や仕草が可愛いところ。

 頼りがいがあるところ。

 格好いいところ。

 俺の全て受け入れてくれるところ……。


 でも、これが全て当てはまる違う人のことを好きになれるかと聞かれたら、俺はノーと答えるだろう。


 芹崎さんだから好きなのだ。

 他の人だったら、ここまで好きになることはない。


 そして、もうこの気持ちを戯言で終わらせるつもりも、綺麗事で終わらせるつもりもない。


 だって、知ってしまったんだ。

 芹崎さんの上をいくような人は、もういないんだって――。

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