三話 変わる環境と変わらない日常

「——芹崎有香猫と言います。至らない部分もあるかと思いますが、みなさんと楽しい学園生活を過ごしていきたいと思っています。よろしくお願いします」


 芹崎さんはクラスメイトの皆に上品な笑みを見せながら自己紹介をした。


 そんな彼女の反応に、俺はそっと安堵していた。


 学園に着くと、俺は芹崎さんを職員室の前まで案内して、彼女と別れた。

 別れた時はまだ不安そうな顔をしていたが、この感じだと大丈夫そうかな。

 ……と、内心ではそう思っていたが、一つ気にかかることがあった。


 そう、彼女がということだ。


 俺と一緒にいるとき、彼女はを浮かべていた。

 明らかに、さっきの笑みと今の笑みは違う。

 今の顔は、きっと建前の笑みだ。

 彼女の心からの笑みではない。

 これは、一体何を表しているのだろうか?


「そういうことだから、皆は芹崎が困っていたらサポートしてやるように。席はあそこだから、芹崎はそこに座ってくれ」


 言いながら、担任は俺の隣にある空いた席を指差した。


「あっ……はい、分かりました」


 一瞬嬉しそうな表情をした芹崎さんだったが、すぐにおしとやかな表情に戻す。


 ……やっぱり意識しているっぽいな。


 あの子供っぽく可愛らしい笑顔のほうが絶対皆からのウケが良いはずなのに、何故彼女はそれを頑なに見せないのだろうか。

 ……まぁ、そっちのほうが俺としても滅茶苦茶ありがたいのだが。


 彼女の本当の顔を見ることが出来るのは俺だけ。

 その特別感が、嫌でも口元を綻ばせそうにさせてくる。


 それに、さっき一瞬だけ見せたあの嬉しそうな顔。

 俺の思い上がりでなければ、あれは俺の席の隣に座れることを喜んでいたのだろう。

 一目惚れの相手がそんなことを思ってくれているなんて、嬉しいことこの上ない。


 なんで彼女はこんなに俺に心を開いてくれているのだろうか?


 彼女は、出会った瞬間から俺に心を開いてくれていた。

 初対面の人間に、あれだけ心を開くことはきっと不可能に近いだろう。

 だが、俺は以前に彼女と出会った記憶がなかった。

 あれだけ可愛い子なら、出会っていたとしても記憶に残っているはずだ。

 にも関わらず記憶にないということは、本当に出会っていないということだろう。


 だとするなら、いよいよ彼女が心を開いてくれている理由が分からなくなってくる。

 彼女に聞こうにも、俺には度胸がないので聞くことが出来ない。


 ……まぁ、さほど気にすることでもないのか。


「——お隣、失礼しますね」


 聞こえてきた声に、俺は思考の渦から引っ張り出される。

 見ると、芹崎さんが相変わらず上品な笑みを浮かべながら俺の隣の席に座った。


「あ、あぁ」

「……どうかされましたか?」


 俺の返事がぎこちなく聞こえたのだろう。

 芹崎さんは小首を傾げる。


「いや、なんでもないよ。というか、ほら——」


 俺はそう言って、教室の前に視線を向けた。

 芹崎さんも、俺の視線の後を追う。

 そこには、朝の連絡を告げている担任の姿があった。


「俺に話しかけてたら、先生に注意されちゃうよ」


 俺が微笑みかけながら言うと、芹崎さんは口角を上げながら会釈した。


 ——上品な笑みも、可愛いな。

 彼女だから可愛いのか。


 一目惚れしたばかりとはいえ、自覚出来る程に俺は彼女にぞっこんだった。

 彼女と席を隣にしてくれた担任と神に、俺は心の中でお礼を申し上げるのだった。



         ◆



「それでは祐也君、さようなら」


 帰りのSHRショートホームルームが終わってすぐ、芹崎さんは柔和にゅうわな笑顔で俺にそう言ってきた。


「あ、うん」


 唐突な出来事だったので、俺は満足に受け答えが出来なかったが、彼女は気にせずにそそくさと教室を後にした。


「帰る準備、早いな……」


 何か早く帰らなければいけない理由があるのだろうか?

 やっぱり転校したてだから、いろいろとやることがあるのか?


「——よぉ、祐也」


 俺が思考を巡らせていると、後ろから誰かに声をかけられる。

 振り返ると、そこには腐れ縁とも言える旧友の古川蓮ふるかわれんがいた。


「あぁ、蓮か。久々だな。なんかあったか? 蓮がこっちのクラスに来るなんて滅多にないだろ?」

「それはそうなんだが……ほら、今日は噂の美少女転校生が来ただろ? たまたま朝見かけてさ。あまりに可愛かったもんだから、帰りにもう一度その顔を拝もうと思ったって訳だよ」


 目を輝かせながら周りを見渡す蓮に俺はため息をつきそうになるが、よく考えてみたら俺が蓮の立場になっても同じ事をしそうな気がしたので、それをぐっと抑えた。


「芹崎さんならもう帰ったよ」

「帰った!? 早くね!?」

「俺も思う。まぁ、彼女も彼女なりにいろいろあるんだろ。」

「そんなもんか……ところで祐也」


 途端、蓮はニヤつき始めた。

 俺は思わず眉をひそめてしまう。


「なんだよ」

「お前、その芹崎さんって転校生に惚れただろ」

「……お前には、本当に隠し事出来ねぇな」

「生まれつき、そういう『人を見る目』に長けてるからな。嫌でも分かっちまうんだよ。というか、男がそんな頬を赤らめて言うもんじゃないぞ。気持ち悪い」

「うるせぇよ! こんな反応くらい当たり前だろ」


 俺は柄になく大声を出してしまう。

 それに動じず、蓮は俺のことをジト目で見つめていた。


 蓮は、観察眼がとても鋭い。

 普通の人なら気づかないような変化も、あっさりと見抜いてしまう。

 ——そう、見抜いてのだ。

 自分が意識しなくても気づいてしまうため、曰く本人はこの能力を嫌っているらしい。


「祐也が芹崎さんの話をするとき、いつもより声のトーンが少し高かった。顔も明るかったし、何より話すテンポが軽い」

「そこまでだったか?」

「人間、というか祐也は特に、感情が表に出やすいんだよ。気にしない限りは、これくらい普通だ……ったく。本当、億劫になるよ」


 蓮は粗方説明し終えると、肩を落とした。


「そうか? 人の心が読めるって、人と接する上で楽じゃないか?」

な。人と接していないときでも、それが目に飛び込んでくれば嫌でも分かっちまうんだ。ネガティブな表情されてたら、それが伝わってきて俺まで気分が沈んじまう。まぁ、今の祐也は全然ポジティブな表情してたから良かったけどな」

「……うるせぇよ」

「ほらそこ。需要ないから」

「俺だって、好きで頬を赤らめてるわけじゃないっての!」


 俺はまたもや大声で叫んでしまった。


 全く、こいつと喋るといつも調子を狂わされる。

 ……でも、久々に蓮と喋ることができて、どこか嬉しい自分がいた。

 クラスが変わってからあまり関わりはなかったが、やっぱり蓮といると素の自分でいられる。


「ところで、今でも『CATS』には通ってるのか?」

「通ってるって程でもないけど、まぁには結構な頻度で会いに行ってるな」

「相変わらずだな。今日は行くのか?」

「あぁ。蓮も来るか?」

「そうだな。俺も最近行けてなかったし、たまには顔出しに行ってやるか」

「よし、じゃあ今すぐ『CATS』に直行だな」


 俺はそう言いながら、鞄を手に取る。

 そんな俺を見て、蓮は「おう」と、微笑みながら言うのだった。

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