二話 何かが足りない?彼女

「一緒に学園に行きませんか?」


 会話が一段落すると、芹崎さんは突然そんなことを言い出した。


「俺は別に構わないけど、芹崎さんはいいの?」


 芹崎さんは、誰がどう見ても凄く可愛らしい女の子だ。

 故に、男と一緒に歩いているところを学園生にでも見られたりしたら、それだけで学園の話題は持ちきりだろう。

 これからの学園生活に支障が出るのではないのか?


 彼女の申し出は、俺としてはとてもありがたい話なのだが、彼女には何不自由ない学園生活を送っていってほしい。

 俺は、彼女に迷惑をかけたくなかった。

 だから俺は彼女に確認したのだが……


「いいも何も、私が一緒に行きたいからこそ誘ったんですよ?」


 きょとんとした目つきで芹崎さんは言う。

 まるで……というか絶対に、この顔はこの後どうなるかを見越していない顔だ。


 この人、もしかして自分がどういう存在かお気づきでない……!?


 いや、そういう人もいるのかもしれないが、大抵は自分で自覚しているか、自覚させられる経験をしているはずだ。

 どうして彼女はそんな素っ頓狂な顔でいられるのだろう。


 ただ、このまま俺と一緒に学園に行ったらどうなるかなんて、俺の度胸じゃ説明できるわけもなく——


「……芹崎さんが行きたいって言うなら、俺はいいよ。ただ、覚悟はしておいたほうがいい」


 俺は芹崎さんから少し視線を外して、含みを持たせながらしか言うことができなかった。


「何故ですか?」


 当然というべきか、芹崎さんはコテッと首を傾る。


「すぐに分かるよ。それよりもほら、早く学園に行かないと」


 俺は言いながら、腕時計に視線を落とす。

 ゆっくりとしていたら間に合わない時間にまで差し迫っていた。

 芹崎さんだって、転校初日から遅刻は嫌だろう。

 勿論、俺だっていつに限らず遅刻は嫌だ。


「そうですね。それじゃあ——」


 そう言葉を置いて、芹崎さんは俺に近づいてくる。


 何だ、何をするつもりだ?


 彼女が起こす行動に全く予想がつかず、俺は咄嗟とっさに身構えてしまう。

 そうして——


「……へっ?」


 俺は腑抜けた声を上げた。

 理解が追いついていなかった。

 脳みそが沸騰するかのように熱くなる。


「あのっ……芹崎、さん?」


 あろうことか、芹崎さんは俺の腕に抱き着いてきていた。

 そして、頬を優しく当ててくる。


 この状況は何なんだ?

 というか、今どういう状況なんだ?

 彼女は、何故こんなことをしてきたんだ?


 様々な疑問と羞恥しゅうちが頭の中で渦を巻き、爆発寸前にまで追い込まれるが、俺はなんとか踏ん張って耐えていた。


 震えた声を出した俺に、芹崎さんは視線を合わせる。


「あっ! 突然ですみません! ……あのっ、ダメでしたか……?」


 芹崎さんは頬を赤らめて一度視線を逸らすが、その後、俺のことを上目遣いで不安げに見つめた。


 芹崎さん……その顔は反則だよ。


「……いや、ダメじゃないよ」


 こんな表情をされて、断れるはずがなかった。

 俺は芹崎さんに微笑みかけながら言う。


「……ありがとうございますっ!」


 芹崎さんは嬉しそうな顔をしながら、抱き締める力を強くした。


 ……勘弁してくれよ。


 俺としてもこの状況は願ったり叶ったりだが、いくらなんでも急展開すぎる。

 芹崎さんが俺の腕を抱き締めているため、歩く揺れで彼女の二つの柔らかな感触が腕に伝わってくるが、彼女はそれを気にする様子もなくニコニコとしていた。


 芹崎さんには羞恥心というものはないのか……?

 というかまず、芹崎さんはさっきまで人にこんなことをするのか……?


 まぁ、こんなことになったら案の定注目を集めてしまうわけで——


「うわぁ……なんか私たち、いろんな人たちに見られていますよ?」


 確信した。

 この人、絶対今どんな状況か分かってない。


 現在、俺と芹崎さんは多くの学園生の視線を集めていた。

 それは、(主に男子からの)嫉妬や恨みの類のものもあれば、(主に女子からの)驚きや温かみがあるものもあり、更には、まるで推しを見るかのような熱い視線を送ってくる人もいた。


 正直、物凄く居心地が悪いのだが、俺の腕にしがみついている彼女の存在がそれを和らげていた。


「……まぁ、当たり前なんだけどな」

「どうして当たり前なんですか?」


 芹崎さんの行動に対しての独り言が、どうやら彼女にも聞こえていたらしい。

 彼女は相も変わらず素っ頓狂な顔をして、俺に尋ねてきた。


「さっき言ったよね? 覚悟しておいたほうがいいって」

「あぁ……この状況をですか?」

「ま、まぁそういうことだね」

「なるほど……で、これのどこを覚悟したほうがいいんでしょうか?」

「……えっ?」


 この人、全然物怖じしてない……!?


 ということは、経験がないのではなくて、逆に経験が何回もあってもう慣れてしまったということか?


 芹崎さんは経験が豊富だということか!?


 ある一つの予測にたどり着いてしまった俺は、大きく肩を落としそうになる。

 ……が、ふと目に飛び込んできたものに気づく。


 芹崎さんの口元に、若干力が入っていた。

 唇をふるふるとさせて、視線もどこか落ち着きがない。


 彼女の反応を見て、俺は確信した。


 彼女はそういう声を出していないだけであって、ちゃんとこの状況を怖がっているのだ。


「……少し早く歩くよ。ちゃんとついてきてね」

「あっ、はい」


 俺は芹崎さんをエスコートするように、彼女のことを気にかけながら歩くスピードを早める。


「……大丈夫、もう少しで学園だから。それまで、もうちょっとだけ我慢してて」

「あっ……ありがとう、ございます」


 芹崎さんの顔を見るまで、俺は彼女が怖がっていることに気づいてあげられなかった。


 彼女はきっと、自分が怖がっていたら俺が心配すると思ってくれたから、わざと鈍感なふりをしていたのだろう。

 会って間もないが、そんな気がした。


 もしそうだとしたら、俺がここで彼女に気づいてあげられなかったことを謝ると、彼女に気負わせてしまう可能性がある。


 故に俺は彼女に心の中で謝りながら、彼女を先導していった。


「〜〜〜〜っ!」


 隣で頬を赤らめている彼女に気づかずに——

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