第26話 リアの穏やかな生活 ~ヴァーデンの森

 焚火にあたりながら、焙られた肉が焼けるのを待つ。その横にはきのこのスープが入った鍋がつるされ、シューシューと音を立てている。

 リアはルードヴィヒと一緒に森に入り、ついでに獣や肉の旨い魔物を狩った。


 今夜はそれらを屋敷の庭で捌き、火を起こして食べることにした。リアが鉄串で刺して焼き加減を見る。


「ルードヴィヒ様、焼けましたよ」


 ぱりぱりに皮が焼けた肉から、汁がぽたりぽたりとこぼれ、あたりに良い香りがただよう。


 ルードヴィヒはとても手先が器用で獣を上手にさばく。この肉も彼が下処理してくれた。彼はアリエデの王子とも貴族とも全く違う。異質といってもいい。


 見た目はとても繊細な印象なのに、獣を捌いたり、手際よく焚火を準備したりする姿はまるで野営になれた傭兵のよう。

 リアは魔物や獣を捌く王子など初めて見た。それとも他国の王子はこういうものなのだろうか?


 コリアンヌやフランツに聞くと、ルードヴィヒはこの国でもかなり型破りな人だと言っていた。

 とても穏やかな空気を纏っているのに、型破りで無鉄砲なところがある。相反するものが同居する不思議な人。


 ここのところ見回りと称して、二人きりでよく森に入る。最初、フランツは嫌な顔をして、コリアンヌも不安そうな表情をみせた。今ではリアの強さを認め、ふたりとも呆れたように笑いながら見送ってくれる。


 コリアンヌは野イチゴが好きだ。森にはいると彼女の為にいつも籠いっぱいに持って帰る。そしてフランツはガルムの肉が好物だ。今日もおすそ分けを持って帰ってきた。屋敷の料理人や使用人にも森の恵みを土産に持ち帰る。リアは精霊に願う事で大量の荷物を運ぶことができた。

 ルードヴィヒはそれを見て「私もそうやって君に運んでもらったね」と言って笑う。


 屋敷の使用人はルードヴィヒの意思で最少人数に限られている。この国の人の気質なのか、みなのんびりとしていて、朗らかだ。


 リアは緊張感から解き放たれ、平和な日々を満喫した。いまはとても幸せだ。

 それなのに、一人になると時おり言い知れぬ不安と寂しさを感じる。どうにもならない喪失感が付きまとう。






 リアがクラクフ王国に来てから、数週間が過ぎた。


 こちらにきて、十日ほど公爵家の城にいたが、ルイーズ夫人がリアを茶会に連れて行こうと張り切っているのを見たルードヴィヒが、慌てて引き離した。


「リアはヴァーデンの屋敷へ連れて行きます。今はまだ貴族との付き合いなど辛いでしょう。彼女にはしばらくリハビリが必要です」


 正直、ルードヴィヒのその行動に救われた。夫人はとても優しくて、一緒にいることは楽しいが、貴族との茶会など普通に怖い。マナーが心配だし、何を話してよいのか分からない。

 もちろん夫人のことだから、きちんとフォローしていくれるのだろう。だが、不安が強かった。


 そして今、ルードヴィヒについて、ヴァーデンの森の屋敷にいる。

 ここでの暮らしはリアの性に合っていた。いまではアリエデで自分の身に起きたことが現実ではなく悪夢のように思えてくる。



 神殿にいたときは忙しく時間に追われるように暮らし、いつも寝不足だった。

 二年ほど王太子の婚約者であった時期も、祈りと御勤めは欠かせない。それまでよりは身ぎれいにはしてもらえたが、休む暇などないことはかわらなかった。

 そして気付けば、戦場に送られていた。


 レオンはどうしているだろう。リアを助けようとしてくれていた。フリューゲルに睨まれていないか心配だ。


「リア、アリエデのことが気になるんだね?」


 ぱちぱちとはぜる焚火の向こう側でルードヴィヒが柔らかな声で尋ねる。今夜は満天の夜空。王都で育ったリアには、戦場の野営以外で、自然が豊かな屋外で食事をするのなど考えられないことだった。気持ちが浮き立つようで、とても楽しい。


 それなのにふとした隙にアリエデのことを思い出す。自分にはもっとやれたことがあるのではないかと……。


「あちらにいる、同僚のことが、心配で、気になってしまって」


 リアはルードヴィヒに、追放を撤回してくれようとしたレオンの話をしていた。


「心配ならば、少し探らせようか?」


 リアはルードヴィヒの言葉に目を見開いた。こんなとき彼は王族なのだと意識する。そんなことが命令一つでできてしまう。

 慌てて首を横にふった。ルードヴィヒの権力を利用したくはない。


「リアは、不器用だね。困ったときは誰かを頼ればいいんだ。別に利用するとか、されるとか、そんな大げさなものではない。私が君の為にしたいんだよ」


 もう十分すぎるほど彼の世話になっている。

 追い出された国には、二度と戻りたくないと思っているのに、レオンを始め置いてきた人たちが心配になる。


「神殿に来ていた信者たちはどうしているのだろうかとか、きちんとケガや病気を治療してもらえているかなとか、つい考えてしまうのです」


 夜に屋外で焚火の前にいると、いつもよりも素直に自分の気持ちを伝えられる。


 聖女たちは、庶民、特に貧民たちをみるのをいやがっていた。誰かが見ていてくれるのだろうか? 

 きっとレオンは気にかけてくれているだろうが、その彼がいまはどうなっているのかわからない。


 信心深い下級神官の中には庶民の面倒を見てくれるものもいるが、聖女のような強いヒールはかけられない。魔力も神聖力も両方ない者もいる。

 もともと神官たちの仕事はポーションを製造・管理し、神殿の運営することだ。護符などの販売以外であまり庶民と触れ合うことはない。




「この国も同じ精霊信仰だ。神殿関係者に聞いてみよう。ただ教義も少し違うし、あまり繋がりはないみたいだけれどね」

「不思議ですね。同じウェルスム教なのに教義が違うだなんて」

「宗教は、ときに為政者の都合のよいように、形を変えることもあるからね」


 それはこの国に来て初めて知ったことだ。そして、この国のウェルスム教の教義はすごくシンプルで神官長が説教をすることなどほとんどなく、祈りが推奨されている。一番の違いは、聖女がいないこと。


「この国にはもう随分長く聖女が生まれていなくてね。ごく稀に、他国から君のようにやってくる者がいるだけだ」


 リアはそのお陰か、とても大切にされている。ルードヴィヒに出会っていなければ、何も知らないこの国で、どうしていたのだろう。

 最初は拾って助けたつもりだったのに、いつの間にか自分が拾われ大切にされている。


「リア、今度この国の神殿に行ってみないか?」


 神殿と聞いて胸がつきりと痛む。


「神殿ですか? 私は破門されています」


 あまり良い思い出はないが、祈りのときの静謐な雰囲気は好きだ。アリエデでは精霊に祈りをささげる瞬間が、一番心やすらいだ。懐かしい。


「それは、アリエデでの話だろう? ここでは違う」


 彼が言うのだから、大丈夫なのだろう。


「ありがとうございます。私もこの国の神殿に行ってみたかったんです」


 未だにリアは朝夕、祈りを捧げている。皆の幸せを願い。時々具合が悪そうな様子をみせるルードヴィヒが心配で、彼の無事を祈っている。


「しかし、不思議なこともあるものだね。神殿は本来聖女の為にあるものだ。神官はもともと聖女に仕える者、聖女を破門する資格などない。教義以前の問題だ」


 ルードヴィヒはそのことに腹をたてているようだが、リアにはぴんとこない。ただアリエデでは上位神官は貴族の子弟で占められていて、神官はかなりの権力を持っていた。

 中でも神官長フリューゲルは貴族どころか、王族にさえ強い影響力を持っている。盾突くものなどいなかった。


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