03-11  天を憂がる。

「おう、戻ったか。おかえり〜」

「ただいまなのじゃ! で、何がどうなっておる?」

「見ての通り取り込み中!」


 剣戟の音を弾き飛ばすように戻ってきて早々えらいこっちゃじゃのう! ベンタバールがくるりと宙返りをしてパスカルたちの前に庇うように立った。空気をかき切る音が重なる、輝く鋭い雨のように光ったそれは針だった。弾丸のような鋭さでクリスの目を目がけて食い込もうとしたそれを、ベンタバールがしゃらりと鳴らした蛇腹の剣で全て撃ち落とす。からからからと地面に転がった針はすぐさま霧散し、その様子を見てか針の所有者と思しきそれは舌打ちをする。


「詰めきれないか、だろうね。まぁいいや、僕もう帰るよ」


 パスカルたちが試練に挑んでいた間、ベンタバールが相手をしていたのであろうその襲撃者は不思議なことに深くフードを被った少年だった。その手には可愛らしい人形を抱え、空いている手には複数の針を器用に挟みながらも当人はうんざりした様子で肩をすくめている。その奇妙とも言える姿に反応したのは、グレイスだった。


「っ!! メルク!!」


 待ってくれ、とは言わせないと圧をかけるようにメルクと呼ばれた少年は大袈裟にため息をついて見せる。


「グレイス様、悪いけど僕はそっち側には立てないんだ。ごめんね」

「ごめんねって、そういう問題じゃねえって……っ! 少しでいい、話を」

「だーめ、もう手遅れなんだよ。まぁ〜……どのみちこうなる運命ってやつだったのさ、よくあるでしょ? ――こういうの」


 正気なようでいて全く聞く耳を持たない人形師メルクはまるで舞台の役者のように大袈裟なお辞儀をすると、するりとそのフードを取り払う。

 その顔を見た瞬間、息が詰まるような衝撃が走った。人間でいうところの七歳ぐらいの少年の顔、濡れた黒い髪、仄暗い青の瞳……パスカルたちはそれと全く同じものを知っていた。

 

「クリスと同じ顔……!?」

「えっそうなの!?」「本人が自覚してねえんだけどやっぱりそうだよなぁ、同じだよなぁ!?」

「セルバから見ても瓜二つなのだぞ! なんなのだ、あいつは……?」


 だろうね、とメルクは困惑に戸惑う一行の姿よりも真っ先にクリスを睨みつける。その瞳は針のように鋭く、微かな光に込められた色は確かな憎悪と畏怖だった。

 

「まぁ覚えてないよね。そういう人だったし、これからもそうなんだろうね」

「くどい、何が言いたい」

「言っても無駄さ、何度死んだって兄さんには分からない」

「は?」

「ほらね」


 呆れた様子でメルクはまたため息をつく。その様子にグレイスには疑念が、クリスには苛立ちが立ち上っているようじゃった。そんな二人を一瞥してかしないでか、メルクは“じゃあね”と手を振ってはポンっとコミカルな音と煙を立てて姿を消してしまった。


「スノーソルト山の境界の灯台で待ってるよ、星屑の勇者御一行」


 そんなわざとらしい挑戦状を置き去りにしながら。

 

「逃げられたか、……門で待っているということなのだな」

「待ってくれてるって思うことにするわ、……うん、それだけましだ……」

『ところでクリスくん、メルク氏に兄さんと呼ばれていましたが心当たりは?』

「ないよ。大体僕は孤児だし、教会育ちの一人っ子だよ。……知らない間に頭がいじられてたらちょっとわかんないけど」

「しれっと怖い想定出してくるのう! 大丈夫じゃ、相手が何であろうとお主は頼れる一人の勇者じゃ。安心せい、疑ったりせんわい」

「ん、ありがと」

 

 何はともあれ、やっと緊張状態から解放された一行は状況を理解する。振り返ると、そこにいたはずの骨なるものは物言わぬ状態で朽ち果てていたのじゃ。だが皆それに驚くことはなかった、心臓の間に踏み込んだ時点で覚悟は決めていたのだ。弔いは必要ないだろうと賢者がいう、神獣はそもそもが触れることさえ叶わぬ存在だからこそその死後残された肉体には強烈な呪いが宿るそうだ。


『死してようやく獣と成り果てましたか』


 賢者の言葉は時折よく分からないが、その言葉はひとしおだった。

 

「にしても、えらいことになってんな。お骨さまはくたばったみたいだし、そっちの子は片腕置いてきてるし、そっちの赤毛は元気になってるし」

「色々……色々あったのだ……」

「なるほどな。ま、落ち着いたらでいいよ。結構な死線を潜ったんだろ、疲れてるだろうし一旦船に戻ろうぜ」


 話はそっからでいいさと笑うベンタバールは、どこか肩の荷が降りたかのような晴れやかな表情をしていた。


 ◆ 


 ホエールフレームに戻った一行はとりあえず状況整理と休憩の時間が欲しいということで、一晩をこの小島で過ごすことになった。今日一日試練でずっと動きっぱなしだったのだ。あまりに多くのことがあった。未来のこと、試練のこと、魔神のこと、メルクのこと、頭も心も体も目一杯の情報と疲労を詰め込まれた。同じだけとは言わないが、とりあえず一度息をつかせてほしいと告げたパスカルの言葉に集約しているだろう。

 そんなこんなで眠りの時間に入った真夜中のホエールフレームの甲板、みんな寝静まったであろうこの時間にクリスは風を受けながら空に思考を投げかけていた。夜風はひどく冷えていたが、クリスにとっては涼しくもあり暖かくもあった。


「クリス?」


 ふと、その背に声をかけたのはグレイスだった。クリスは「どうしたんだ?」と首を傾げる、それに対しグレイスは「色々起きすぎて頭が落ち着かないんだ」とりんご色の髪を掻いた。

 話してれば眠れるかもとグレイスはなんてことなくクリスの隣に場所をとる、クリスもまたなんてことなく普段から羽織っている外套をグレイスに渡した。手慣れた様子にグレイスが怪訝そうな顔をする、なんでそんな顔をするのさとクリスは苦笑いした。

 

「お前、眠らないのか?」

「まぁ寝なきゃなとは思うけど、一応見張りは必要だろ」 

「……、嘘つくのヘッタクソだなお前」

「るっせ」


 その悪態は、クリスの言葉の意味を知らせるに等しいものだった。


「寝れないんだ」

「ずっと?」

「一応眠りの魔法は効くから」

「よくねえよそれ」

「だよね」


 眠らなくていい体質なんだという割には深刻に語るクリスの横顔に、グレイスは夜風に視線を逃してしまう。グレイスは魔王であり魔族だ、人間のことは正直わからない部分が多い。だがそれでも眠りに関しては共通であることをグレイスは知っていた。眠らない生物はいない、眠らない魔族もいない、眠らない人間だっていない。

 本気の戦いを間近で見たからこそ感じていた焦燥のような違和感が形になる。パスカルもセルバも口にはしなかったが、クリスは根本的に何かがおかしいのだ。しかも何かおかしいことに対して当人が完全に受け入れているのだからタチが悪い。

 それはよくないことだとグレイスは思った。

 

「僕の心臓には灰の血が流れてる。そのせいだろうね、対価と思えば軽い方さ」

「……不死の呪いかよ、きちいな」


 言葉のままの意味の言葉。

 不死、体が崩壊することで魂が消滅する死という工程が完全に剥奪されている状態。魔王の目から見てもそれは確実にクリスの魂に刻み込まれていた。彼は死なない、というよりも死んだところで死の世界から魂が弾き出される。その負荷は想像を絶するものだろう、何せ消滅はしないが死と同等の苦しみを生きたまま味わうのだ。普通なら気が狂っているはずだ。

 普通じゃないから、こんなことになっているのだろうが。


「あぁ、だからあんな魔法を使ってたんだな」

「どれかな」

「腕、切っただろ。あそこで編んだようには見えなかった」

「あれか、あそこまで鋭くしたのは初めてだよ」

「なんだってあんなもの使うんだよ」


 苛立っているかのような声色のグレイス自身が驚いた。しかしそんな細やかな戸惑いでさえ、クリスの答えが押し流してしまうものだから。

 

「計算が楽なんだよ」

「いかれてるぜ」

「知ってる」


 全くたまったものではない。

 

「骨の数だけ切れる切り札がある、肉の質量だけ使えるリソースがある。使い切ったら灰に戻ればいい」


 クリスは夜空に左手を伸ばす、月の光に透かされたその手には多くの魔力と……彼風にいうところの“骨”が折り重なっている。魔族からしてみても悍ましさを感じるその重なりを人間はどう感じるのかはわからないが、少なくともクリスはそれらを愛しさを感じているのだろう。その吐息は、グレイスがピリカを想うその吐息とよく似た湿度だった。

 

「僕にとってはこっちが神の恩寵さ」

「呪詛だよ、んなもん」

「優しいな」

「そんなんじゃねえって」


 だがまぁ、それとこれとは話が別だ。

 

「クリス、腕だせ」

「ん」

「そっちじゃねえ落とした方」

「こっち? なんで?」

「いいから」


 ぱっくりと割れたような途切れた右腕にグレイスは触れる。本来、戦いの場にあるべきではない柔い肌。その下にはどうにもならないほど凝固した血肉と記憶が焼き付いている。それは想いであったり、祈りであったり、呪いであったり、何はともあれぐちゃぐちゃだ。人間の中身と似たようなものだ、似たようなものではあるがお前はどんな形であっても勇者なのだから。

 そういったお前に、呪いが似合うなんて告げるのはあんまりだ。

 

「本物の恩寵ってやつを教えてやる」


 勝つために引き千切った神の紋章の痕に荒々しく残った傷に口付けを。魔族にとってはなんて事のない魔法、人間からしたら呪いでしかないそれはグレイスにとってはカケラでも心を刺したものに対する施しであり恩寵だった。

 魔王に呪われた勇者なんて洒落にならないだろうけれど、グレイスは心の中で咲う。

 お前はそんな力でさえ己の力にしてきたんだから、きっとこの呪いでさえも受け止めちまうんだろうな。魔王は心の中で咲う。

 口付けた魔力は白金の色を纏い、失われたクリスの右腕を形作る。白金の枝があっという間に籠手となり骨となる、それはこの世界では決して叶わない落とした腕を再度蘇らせる身近で遠い幻想の形。それでこそ呪いに身をやつさなければ手に入らない力に、クリスは新しい武装を手に入れたかのような手軽さで驚いた。

 

「腕が、……いや、違うな。籠手……? あ、すごい中身空洞なのにちゃんと動かせる」

「中身も作る気になりゃ作れっけど、そうなると邪魔だろ」


 籠手のリソースで骨の形成ぐらいは補填できるはずだぜと伝えれば、よく見てるなぁと素直に感心している様子にグレイスは呆れる。あぁいざとなったら腕ぐらい何本だって食わせるんだろうな、異形の勇者恐るべし。やりやすい事この上ないが敵じゃなくてよかった。

 

「どんなもんだ。神獣の魔力さまさまだけど、俺だってこれぐらいできるんだぜ」

「助かるよ、ありがとう」

「お、おう。どういたしまして……ってな〜〜んかお前相手だと調子狂うなぁ〜〜ッッッ!!」


 誤魔化すように茶化したグレイスの横顔に、クリスは細い月を見上げる。


「この恩は必ず返すよ」


 だから死なないでくれよと、いくらでも死んできた男は咲った。

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