レモネード

第1話

錆びた公園の一角のステッカーがたくさん貼られた自動販売機。

 私はそれの前に立ち、思い切って背伸びをするが、左手は空を切ってしまった。

 地面に着くまでのほんの数秒が、雪が溶けるまでのような、はたまた、ストーブの前でぼーっとするときのような速度で流れているような気がした。

 ––––ヒタリ

 冷たくて硬い何かが頬につき、私を一瞬でいつもの夏空の公園へ連れ戻した。

「今日も届かなかったの??」

 私よりも頭ひとつ分背の高い男の子がニヤニヤと笑いながら話しかけてきた。彼の手の中では炭酸飲料界の王様が黒柿色のマントを翻している。さぞ冷たくて、甘くて、とろけてしまうような甘さを持っているのだろう。でも、私のことは到底誘惑できない。

「今に届くよ。あと1センチ、ううん、5ミリでも高く跳べば、あそこに届く」

 ひまわりのように太陽に向かって高く高く手を伸ばし、吹いてきた夏風に目を細める。水っぽくて、暑くて、気持ち悪いと思ってしまう。今日はそんなこと思わなかった。

「懲りないね」

 彼は真っ赤な王様の冠を勢いよく外し、マント––––甘ったるい炭酸飲料水呷る、呷る。

 じとりとそれを見つめた私は勢いよく走り出した。自動販売機よりもずっと遠くまで、ただ走った。

 靴が地面を蹴り、じゃりじゃりと砂を踏みつける感覚が残った。

 ゆっくりと瞼を開け、自動販売機をじっと見つめて………風を、切った!

 耳のあたりを風が掠めているのが分かる。私の目に浮かぶのは自動販売機の一点、ただそれだけ。

 思いっきり左手を振り上げる。ボタンと指が触れるように精いっぱい。

 ふと左手の人差し指に、硬くて少し熱い何かが当たり、機械音が頭の中に響いた。

 ガダンとペットボトルが落ちると同時に私も地面に着地、というよりかは尻餅をついた。

 喋りもせず、ライムイエローの女王様を自動販売機から取り出し、慌てるかのように王冠を取り、投げ捨てる。

 ごくりと唾を飲み込み、女王様のベールを取り去った。

 シュワシュワもしないし、たいして甘いわけでもない。

 涼しげなレモンが私を本当の夏に連れ出した。


 

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レモネード @kitayo18

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