身勝手な祈り

鹽夜亮

身勝手な祈り

 煙草を買いに車を動かした私は、道端にそれを見つけた。ああ、野良猫か…と明らかに亡骸となった生き物を横目に、煙草屋へ車を走らせた。

 ものの五分。頭から離れなかった。外は雨に覆われて、物憂げに見えた。帰り道、同じ場所を通りかかる。私は車を停めた。

 ドアを開けて外に出ると、季節に似合わない寒さと雨が体を冷やす。どうしてだろう、今日は、今はこの雨に降られたいと思った。倒れた亡骸へと歩を進める。煙草に火をつけようか悩んだが、やめた。

 亡骸は野良猫ではなかった。鼬鼠だった。綺麗な、亡骸だった。血も内臓も、何も鼬鼠を汚してはいなかった。私は特段情に厚いわけではない。普段ならば、轢死した動物などただ通り過ぎたことだろう。おそらく、ほんの少し脳裏で安らかにと祈りながら。…

 今日は通り過ぎることができなかった。それが何故かはわからない。しゃがんだ私は、なんとなしに手を合わせて、安らかにと祈った。信心深いわけでもない。これで鼬鼠が天国へ行けるなどと、わざわざ思うわけでもない。ただ祈りたかった。アスファルトの上で雨に打たれながら、走り去る車たちに避けられるこの孤独な鼬鼠に。

 可哀想、と思うことはなかった。代わりに今日の雨が冷たいなと、思った。鼬鼠は目を開いたまま死んでいた。せめて目を閉じさせてやりたかった私だが、素手で触れることに憚りを感じた。車へ戻り、トランクからタオルを取り出す。滑稽だ。安らかにと祈りながら、直接触れることはしない。…そんな自分の冷静さが、どこか癪に触った。

 タオル越しに鼬鼠に触れる。右目の瞼を下ろそうとしたが、死後硬直のせいか上手くいかなかった。雨の匂いに混じって、少しだけ死臭が漂った。…こいつは何時間独りでこの雨に打たれていたのだろう。そう思うと、どこか悲しかった。

 降り頻る雨は冷たさを増したように思えた。瞼を下ろすことすら叶わない鼬鼠をもう一度眺めた。冷静な自分が、轢かれたというより車とぶつかったのだろう、だからこうも亡骸が綺麗なのだと呟いた。それは私に、幾許かの慰めを与えた。血はこの雨が洗い流したのかもしれない。そう思えば、悪くもなかった。……

 ハザードをつけた車に私は乗り込んだ。タオルはトランクへ投げ入れた。ハンドルに手を添えながら、フロントガラスの雨越しにもう一度鼬鼠を見た。

 

 彼は雨の中独りだった。

 私も雨の中独りだった。

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身勝手な祈り 鹽夜亮 @yuu1201

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