episode3

 試験勉強をすませ、二階の陣内の部屋に行くと、滝川と見たことのない男が夕食の準備をしていた。隣の秋山に小声で尋ねると、三年のさかいという先輩だと言う。

 秋山と同じ間取りの陣内の部屋は、本棚には漫画とエロ本がぎっしりと詰め込まれ、開けっぱなしの押し入れの中にはぐちゃぐちゃに押し込まれた布団と脱ぎっぱなしの服がこれまたぐちゃぐちゃに山積みされていた。

 言葉を失くしている俺に、「言っとくけど、綺麗な方だぞ。今日は」と秋山がボソリと言った。

「おっす、アッキ。あ、ホントに三澤だ」

 絶句する俺に、部屋の主の陣内が人懐っこい笑顔を向けてきた。

 無造作に伸ばした髪の毛から時折のぞく大きな瞳が印象的な陣内は、愛嬌あいきょうがあるせいか女子からも男子からも人気があった。というより、子供扱いされていると言った方が近いかもしれない。一六〇センチという小柄な身長も要因のひとつではあるが。

「陣内もこのアパートだったんだ」

「俺の城にようこそ」

 陣内がおどけながら言った。

「冗談のセンス、ゼロだな」

 玉ねぎの皮をむきながら滝川が速攻突っ込みを入れ、「せめて、もう少し部屋を片付けてたらねぇ」と滝川の隣でニンジンを切っていた堺が苦笑した。

「片付いてるじゃないですか」

 口をとがらせて抗議する陣内に、「どこがだよ」と今度は秋山が突っ込んだ。

 ボケ一人に対して三人の容赦ない突っ込みにおかしくて笑っていると、堺が顔だけ俺に向けて「俺、経済の堺。よろしく」と言った。

「法学の三澤です。よろしくお願いします」

 センターで分けたゆるくウェーブがかった前髪を耳にかけ、切れ長の目を細めながら親しげに笑いかける堺に軽く頭を下げ、一緒に準備を手伝うことにする。

 堺と秋山は、要領よく野菜を切り分け、フライパンに放り込んでいく。滝川は料理が苦手なのか、それともただの不器用なのか、危ない包丁さばきで玉ねぎを切っている。その様子を俺と陣内はハラハラしながら見ていた。

「滝川、早くしないと肉入れちゃうぞ」

 秋山が急かすと、「話しかけるな」と額にうっすら汗を浮かべながら滝川が声を上げた。

「相変わらず几帳面だな、適当でいいのに」

「好きにさせとけばいいさ。間に合わなければ、みそ汁の具にすればいいんだから」

 ぼやく秋山に堺が飄然ひょうぜんと言った。

「勝手なこと言うのやめてくださいよ。これもちゃんと使ってくださいよ」

 包丁と格闘をし続ける――自炊とかちゃんとできてんのか? ――滝川に堺が「だから使うって言ってんでしょ、みそ汁に」と言ったそばからみそ汁の具材行きの決定をくだした。

「じゃあ、炒っためまーす」

「おっ願いしまーす」

 秋山と堺の抜群のコンビネーションが笑える。要領のよさは似ているところがある。陣内が塩コショウを振りかけようとすれば、「やめてくださーい。貴重な飯が危険物に変わりまーす」と二人がかりで阻止するし、滝川が切った玉ねぎを無理やりフライパンに放り込もうとすれば、「やめてくださーい、生玉ねぎはお腹によくありませーん。みそ汁にご投入くださーい」とこれまた手際よく玉ねぎをみそ汁の鍋の中へ移し替えていく。

 聞けば、陣内も滝川も一人暮らしをするまで料理経験がないらしく、しかもセンスもないため、これまで数々やらかしてきたのだそうだ。なので、秋山と堺から料理に関してはあまり信用がないとのことだった。いったい、どんな料理を作ったのだろう。

 なおも滝川と格闘をする堺を見ながら、少し伊集院に似ているかもしれない、と俺は思った。

 そうこうしているうちに、無事、野菜たっぷりの肉炒めは完成した。野菜が多すぎて肉が見えない。もはや主役は、秋山が持参したキャベツになっていた。そして玉ねぎは、見事みそ汁の具におさまった。感慨深そうにみそ汁を飲み干した滝川の姿がいじらしかった。


「なに? 三澤、彼女いないの? 俺にその顔くれよ、有効活用するからさ」

 陣内が、悔しそうに雄叫おたけびを上げた。

「できるわけないだろ、酔っぱらいめ」

 秋山も陣内も、俺にはない魅力的なものをたくさん持っているのに。表面的なものをうらやましがられるたび、俺は自分という人間の魅力のなさを痛感させられる。

「お前じゃ、宝の持ち腐れだ」

「有効活用って意味知ってるか?」

 そんな俺の胸の内を知らない滝川と堺は、各々手厳しい言葉で陣内に突っ込んだ。まだそんなに飲んでいないのに滝川はすでに顔が赤かった。

「ひでぇ」と愚痴る陣内の肩に、赤ら顔の秋山が手を置く。こっちもすでに出来上がっているようだ。

「陣内、よく聞け。男はな」

 缶ビールを片手にもったいぶるように秋山がひと呼吸置くと、「中身だ!」と叫んだ。

「じゃあなんで俺モテないのさ」

 陣内が叫んだ。

 滝川が「本気かお前」と引いている。

「前と言っていることが違うぞ。お前も陣内と」

 同じセリフを言ってたじゃないか、と言おうとすると秋山が手で制した。

「俺は変わったんだ、祐一。昔の俺とは違う」

 秋山が俺に宣言した。秋山のその言葉が俺の胸に突き刺さる。

「……そっか、変わったのか」

「おうよ。男はやっぱ筋肉でしょ」

 秋山が大きく頷いた。

 よかった。いつもの秋山だ。

 以前、秋山を軽々と抱えた柊や伊集院の話をした時、自分もできると俺を抱え上げようとしてあわや大惨事になりかけたことがあった。まだ気にしていたのか。

 生暖かい目で見守っている俺に代わって、笑いすぎて涙まで流していた堺が「よしよし、秋山。肉をお食べ」と秋山の皿に肉を盛った。

「馬鹿にしてるでしょ、堺さん」

 秋山が口をとがらせた。

「そんなことないさ。筋肉つけるなら肉だぞ」

「お前、そんな自虐ネタ使わなくても大丈夫だって。イケる、イケる」

 一番声を上げて笑っていた滝川が、秋山の肩をポンポンと叩きながら慰めた。

 大学ではいつもクールな滝川が、ここではこんな表情をするのかと少し驚いた。素の滝川は、結構明るくて笑い上戸じょうごなのかもしれない。秋山だけでなく、滝川にとってもこのアパートは居心地がいいのだろう。

 少しの時間しか過ごしていないが、俺もここが居心地良くなっていた。そもそも住人たちのキャラが濃すぎる。

「お前が言うな。笑い転げてたくせに。なんでぇ、筋肉がいい男の証だと証明してやる」

「いつか筋トレの成果出るといいな」

 俺が突っ込むと「筋トレやってませんけどー。こうしてくれるっ」と秋山が飛びかってきた。腕を取られ、関節技をかけられる。

「いでででっ!」

 思わず畳をバンバンと叩くと、「ほこりが舞うから叩かないでぇ」と陣内が野菜炒めの入った皿を持ち上げた。

「ちゃんと掃除しないからだろ」

 堺が呆れた顔をしながら、自分の皿を持ち上げる。

「それより誰かコイツを止めて」

 俺が声を絞り出して助けを求めると「はい。どうどう」と堺が皿を持ったまま秋山の身体を俺から引きがした。

「正義は勝つ!」

 ガッツポーズする秋山に「正義ねぇ」と堺が苦笑する。

 ぐったりと畳の上でのびたまま「ど、うも」と堺に礼を言うと、「いえいえ。それより三澤、この畳……多分、汚いぞ」と堺が言った。俺は慌てて身体を起こす。

「ヒドいっす、堺さん。まぁ、汚いっすけど」

 陣内が、へへっと笑った。

 堺は俺にビールを差し出し、「ここの通過儀礼も済んだことだし、飲もう」と言った。

「どうも」

 俺は手を伸ばし、伊集院に似た雰囲気を持つ堺からビールを受け取った。

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