episode6

「君たちはサークルに入っているの?」

 秋山は缶ビールを柊から受け取りながら「いいえ」と首を振る。

「まだ決めかねてて。バイトもあって忙しいし」

 肩をすくめながら秋山はビールを口に含んだ。

 柊の家に上がり込んで、かれこれ二時間が経つ。ビールまで出され、俺は完全に帰る機会をいっしていた。

「柊さんはうちの大学出身なんですか?」

 秋山が尋ねる。

「いや」

 柊は名のある私立大学の名前を口にした。

 どうして一流企業ではなく、司書の仕事を選んだのか俺は不思議に思った。就職難の時代ではないはずだ。

 秋山はそのことには触れず、「サークルはなにか入ってたんですか?」と柊に尋ねた。

「落研に」

「オ、チケン?」

 秋山は俺に顔を向ける。俺は小さく首を振った。初めて聞いた言葉だった。

 俺たちの様子をおかしそうに見ながら、「落語研究会だよ」と柊は答えた。

「落語、ですか? ……意外だなぁ」

 秋山は目を丸くした。

「俳優になりたくて演劇サークルに入ろうと思ってたんだよね。で、気付いたら……」

「落研」

「そう。何故か」

 柊と秋山は、おかしそうに声を上げて笑いだした。

 笑い合っている二人を見ながら、俺は柊が俳優を目指していたことに驚いていた。今の仕事とギャップがありすぎる。

「諦めたんですか?」

 俺が恐る恐る尋ねると、気分を害した様子もなく柊は「才能がなかったようだ」と俺に笑いかけた。

「才能……」

 俺は短く呟く。

「大丈夫だよ、検察官に必要なのは才能じゃなくて判断力だから」

 柊は俺の心の内を見透みすかすように言った。俺は目を伏せる。

「そうそう。それにまだ一年なんだから気にするなって」

 秋山が二本目の缶ビールを飲み干した。

「それよりも、柊さんは映画が好きなんですか?」

「ん?」

 柊が秋山の指差すDVDのコレクションに目を向ける。

「ああ、好きだね。特にしっとりと心に響くものが」

「じゃあ、こてこてハリウッド映画は」

「苦手だね」

 柊は苦笑する。そしてなにかに気付いたように柊は俺を見ると、「そういえば、前に家に上がった時に君もアレに反応してたね」と聞いてきた。

「え、お前家に上がったことあったの?」

「……ああ」

 ここであの時の話をぶり返すなんて。俺は顔をゆがめ、逃げるようにビールをあおった。

「観たことある映画でもあったのか?」

 若干、呂律ろれつが怪しくなっている秋山は俺に顔を近付けてきた。

「い、や。ないよ」

 視線をらす俺に、「ふーむ」と向かいに座る秋山は俺の顔をまじまじとのぞき込みながら、うなり声を上げた。

「ふっ」

 秋山は意地の悪い笑みを浮かべ、

「嘘だな。なんだよ、なに観たんだよ。言えよ、言うんだジョー」

「お前酔ってるだろ」

 勘弁してくれ、とばかりに俺は額に手を当てて息をつき、「柊さんに迷惑かかるから、もう帰るぞ」と半分眠りかけている秋山の手を引っ張った。

 今がここから逃げ出すチャンスとばかりに、反応が鈍くなっている秋山を揺り動かしたが、「うーん」とか「あー」とか言うだけで、なかなか動こうとしない。目をこすりながら欠伸あくびを何度もし、しまいにはテーブルに伏せて気持ちよさそうに、寝息まで立て始めた。俺は思わず泣いてしまいそうになった。

「寝かせておけば? せっかく気持ちよさそうに寝てるんだから。それよりなにを観たの?」

 テーブルに片肘をつきながら柊が聞いてきた。

「言いたくありません」

「そう。じゃあ、聞くのはよそう」

 素直に引き下がる柊に、疑いの眼差まなざしを向けると彼はおかしそうに笑った。

「聞いて欲しかったのかい?」

「違いますけど……」

 こんなに素直に引き下がるとは思ってなかったため、拍子抜けしたのだ。

「――ひとつ聞いていい? どうして検察官になろうと思ったの?」

 俺は向かいの寝息を立てている秋山を一瞥する。

「これも話したくないならいいよ」

「いえ」

 俺は少し考え、おもむろに口を開いた。

「法学部に入ったのは、この社会が六法ろっぽうの上に成り立っていることに興味を持ったからです。だから初めは、なんの職に就くかなんてあまり考えてませんでした。法学部に入って周りがそれを目指していて……だから、あまり深い理由はないんです」

「でも弁護士じゃないんだ」

 柊は興味深そうに俺を見ている。

「さっき秋山が言った通りです。信じる自信がないんです」

「……なるほど」

 柊は唇に人指し指をわせながら、

「もし弁護士を目指してるなら俺の弁護を頼もうと思ったのにな」

「弁護って……なにかしたんですか?」

「いやぁ、時々、勘違いな女性に訴えられそうになるからさ」

 柊に悪びれた様子もない。人を傷つけてなんとも思わないのだろうか、この人は。

「そんなの柊さんが悪いんじゃないですか。もし俺が弁護士になったとしても女性側につきますよ」

「酷いなぁ。俺が悪いって言うのかい?」

「はい」

「即答されちゃった」

 柊は軽い口調で、

「俺だってそれなりのことはしたよ? でも、好きじゃなくなったら付き合えないでしょ?」

「そりゃ、そうですが……」

 口ごもる俺に、「それを、そんなの嫌だとか嘘だって言われてもさ」と面倒臭そうな柊。

「言い方が悪いんじゃないですか?」

 俺は最初の女性を思い出す。

 柊は俺がなにを言いたいのか察したらしく、「彼女には何度も丁寧に言ったつもりなんだけどね。でも家にまで押しかけてきて騒がれたらねぇ。キツく言わないと分からない人だっているんだよ」と言って欠伸あくびをする。

「でもあの人、『この前の女は誰だ』って」

 柊は苦笑くしょうする。

「よく覚えてるね。俺、基本的に来るものは拒まないことにしてるんだ。彼女たちも似たようなものさ」

 口を開けたまま呆れていると「可愛い顔」と柊は笑った。俺はムッとして、「やっぱり柊さんが悪いんじゃないですか」と強い口調で言い返した。

「何故?」

 柊は頬杖をつきながら面白がるように俺に尋ねた。

「だって彼女たちは本気なのに……」

 俺の言葉にかぶさるように、「言っただろ? 彼女たちだって同じようなもんさ」と柊は言った。

「……そ、うは見えませんでした」

「無理して付き合えって言うのかい?」

「……いえ」

「女は優しくすればすぐ落ちるんだよねぇ」

 柊はそう言って俺をじっと見てくる。

「それじゃあ、つまらないだろ?」

 言っている意味が分からず、俺は首をひねる。

「あの……」

「それより、ここに泊まってく? 彼、このままだと可哀想じゃない?」

 柊の視線の先には、うつ伏せで眠る秋山の姿。確かに寝苦しそうではある。

「いえ、そんな、迷惑かけるわけには。俺の家に連れて帰ります。すみません」

 なにを考えているか分からない人なだけに、これ以上関わり合いたくはなかった。ここに泊るなんて、もってのほかだった。

 だが柊はそんな俺を楽しむように、「全然迷惑じゃないさ」と言って立ち上がった。

「ビール飲まない?」

 柊はテーブルに置いてあった空の缶を手に取ると、キッチンへと入っていった。

「いえ、もう家に戻ります」

「いいのに」

「いえ」

 秋山に声をかける。けれど、まったく起きる気配がない。頼むから起きてくれ、と強く揺すってみるが秋山も頑固だった。

「あらら、起きないね。秋山くん、まつ毛長いな」

 突然、耳元に柊の息がかかり、驚いて飛び退いた。尻もちをついて痛がる俺に「ふふ、顔赤いよ」と柊は膝を抱えて座りながら笑っている。

「か、からっ」

 からかわないで下さい、と言おうとしたのだがうまく言葉が出てこなかった。すかさず柊は唇に人指し指を当て、「秋山くんが起きちゃうよ」と声を落とした。

「誰のせいですか」

 声をひそめる俺に、柊は「君ほんと可愛いね」と笑うと、「俺が彼を部屋まで運ぼう。OK?」と言って軽くウインクした。

「でもそれじゃあ、迷惑……」

「じゃあ泊まってく?」

「あ、いえ」

 柊はくっくっと肩を揺らし、「こういう時は好意に甘えればいいんだよ。さて彼を運ぼう」と立ち上がると、秋山の身体を軽々と抱き上げた。

 こんな細い身体なのに、どこにそんな力があるのか。俺は驚嘆きょうたんしつつ、玄関へ先回りしてドアを開ける。

「ありがとう」

 柊はそのまま廊下に出ると俺の家へと進んでいく。俺は柊を追い越すとポケットから鍵を取り出し、すばやく玄関のドアを開けた。

「彼はどこに運べばいい?」

「あ、いえ。あとは僕が」

「君の細腕じゃあ彼の身体支えきれないだろ?」

「そんなことっ」

「いいから。リビングでいい? それとも寝室?」

「あ、の、じゃあリビングに」

「了解」

 柊はスタスタと奥のリビングに入ると、ゆっくりと秋山の身体をソファに横たえた。この間、秋山は起きることなくぐっすりと熟睡していた。こんなに酒に弱いとは思わなかった。

 秋山の意外な一面を知ることができて嬉しく思うが、今日見せるのはやめてほしかった。

「あの、ありがとうございました」

 不本意ながら秋山の代わりに礼を言う俺に、「いいよ。ビールを出したのは俺なんだから」と言って柊は興味深そうに部屋を見回した。

「へぇ、隣はこうなってるんだ」

「間取りは同じですよ」

「でも、雰囲気がまったく違う。住む人によってこんなに変わるんだな」

「柊さんの家みたいに綺麗じゃないから恥ずかしいです」

 親戚の残していった収集物がたくさん飾られた家具がいくつもあり、そのうえ俺の持ち込んだ荷物が無造作に置いてある部屋。柊の部屋を見たあとのせいか、余計にそのまとまりのなさが目立ち、気恥ずかしくなった。

「はは、うち綺麗か? なにもないだけだよ。君の部屋は……温かいね」

 目を細め、穏やかな声で柊が言った。

「え?」

 言っている意味が分からず首をかしげると、「雰囲気だよ。居心地の良さそうな感じってこと」と柊は答えた。

「そ、うですか? ゴチャゴチャとしているだけだと思うけど」

 俺はぐるりと部屋を見回したが、雑然とした部屋に彼の言う〈温かみ〉など感じることはできなかった。俺には柊の部屋の方がよっぽど落ち着くと思うのだが。

「自分だと分からないかもね。でも俺は好きだよ」

 柊は、部屋をもう一度ゆっくりと見回した。

「あ、りがとうございます」

 自分の部屋を「好き」だと言われた俺は、照れ臭くなって柊の顔をまともに見ることができなかった。

「じゃあ、おやすみ」

 柊は俺の頭に軽く触れ、玄関へと歩いて行く。俺も慌ててついていき、彼を見送った。

「なんだ……いい人じゃないか」

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