第5話

「平和だね」

「平和ですね」

「ほんとだな」

 まるで縁側で日向ぼっこしている老人のような会話だが、ここは愛知県警本部の刑事部一角に設けられたコーヒー飲み場で、俺たちは刑事だ。

「なんか、じじ臭いな。俺ら」

「ほんとだな」

 さっきと同じ言葉で返すのは、二課の猪又。

 この男、俺が異動してくる少し前まで捜査一課強行犯捜査係の篠原班で田村とコンビを組んでいた。田村と反りが合わず結局二ヵ月で他部署に異動していったのだが、半年前、再び捜査二課の刑事として戻ってきた。だから未だに田村とは仲が悪い。というか、一方的に田村を毛嫌いしている。

「いいんじゃない、刑事が暇なのは喜ばしいことだよ」

 班の先輩である若林は、そう言ってコーヒーを美味そうに飲んだ。

 目鼻立ちが濃く、男性的な顔立ちの猪又とは対照的な甘いマスクの持ち主の若林。忙殺される日々の中でも人一倍身なりに気を使う、女の子が大好きな人間で県警一のタラシでもあった。

「でも、書類は山のように溜まってますけどね」

 書類が山積みされた自分の机をげんなりと見つめる俺、望月修平。四月に篠原班に配属されたばかりの新米刑事だ。

 そして俺の隣の席で机にうつ伏せになって寝ている奴が、俺がコンビを組んでいる田村恭一。端正な顔立ちをしているが、いつも無表情で何を考えているのか解らない男。それにしても毎回思うのだが、寝ているアイツに誰も何も言わないのは何故だ。今、仕事中のはずなのに。

「お前、溜め込んだなぁ」

 呆れる若林の隣で猪又が、「田村の机に黙って置いちゃえよ」と田村の背中を顎で差した。

「それ、前にやった。しかも無視されてあとで痛い目にあった」

「経験済みか」若林が苦笑した。「まぁ、溜め込むお前が悪い」

「警部が俺の机に自分の書類を紛れ込ませるんすよ。って俺も人のこと言えないけど」

 俺は肩をすくめてみせる。

「あ、それ俺も昔やられたなぁ。まだそんなことやってたんだ、あの人」

「そうなんすか? どう回避しました? 無視したら駄目ですか?」

 俺も必死だ。

「新人が来るまでは続くな。あの人も無視し続けるから質悪いんだよな」

「そんな。……新人っていつ来ますかね?」

「お前来たばかりだし当分ないだろうな。頑張れ」

 若林が親指を立てた。満面の笑みでいかにも楽しんでいる様子だ。他人事だと思ってひどいな、と唇を尖らせた時、あることに思い至る。若林も被害に遭ったということは――

「じゃあ、田村も同じ目に?」

「ああ、いや」若林は、くっくっと思い出したように笑い出した。「アイツはお前の時みたいに無視し続けたのさ。あれは笑えたなぁ。さすがに業を煮やした警部が慌てて書類片づけてたよ」

「……田村、すごいな」

 あの篠原に勝ったのか。

「ふん、そのまま異動させればよかったのに」

 実直そうな太い眉毛を歪めながら、猪又は面白くなさそうにコーヒーカップを口に運ぶ。

 無茶を言うな。どう考えても田村は悪くないだろ。

「猪又も執念深いなぁ、面白いけど」

 若林が肩を揺らして笑っていると、「おーい、そこの暇そうな御三家」と声がした。振り向くと、今話していた俺たちの上司である篠原が、ニヤニヤしながらこっちを見ている。俺たちのことか。けど御三家って。いつの時代だ。

「なんですか、警部」

「おう、望月。特に用はない」

「用はないって、そんな。じゃあ、なんで声をかけたんですか」

 思わず情けない声が出た。

「暇だから」

「……そうですか」

「ところで、お前ら仲いいな」

「普通ですよ」

「お前ら見ていると昔の俺らを思い出すな」

 間宮が篠原の机に腰かけながら、あの頃は楽しかったなぁと懐かしむように目を細めた。

 坊主頭で眼光の鋭い間宮は、さすが暴力団を相手にする捜査四課――のはずなのに毎日のようにうちに来ているのは何故だ――にいるだけあって迫力がある。県内でも屈指の柔道家なのだが娘命のバカ親でもあり、よく娘のことで同じ愛娘家である捜査一課長の小林警視に泣きついていた。

 そんな間宮をよくからかっているのが篠原だった。利己主義の篠原に間宮だけでなく俺たちも毎日のように振り回されていた。頭の回転の速さと巧みな話術を持ち合わせており、それを自分の為に余すことなく使う人である。

「まーさんや篠さんはいいよ。好き勝手やってたんだから」

 テノールの穏やかな声でそう言うのは、俺がもっとも信頼を寄せている先輩刑事の藤堂だった。彼は無造作に伸ばした前髪をかき上げながら、「周りがどれだけ大変だったか」と大きな溜め息をついた。

 篠原たち三人は、中学から大学までずっと一緒に過ごしてきたそうだ。そのまま職場まで同じなんて仲良過ぎるにもほどがあるだろう、と初めて聞いた時には呆れたものだ。きっと、これまでにこの二人は藤堂に多大な迷惑をかけてきたのだろう。今の彼の大きな溜め息がそれを物語っている。

 そしてこの三人を警察に誘ったのが、何を隠そう大学の二年先輩で柔道部主将だった小林捜査一課長だった。恐ろしい話だ。普通のテニスサークルでよかった、俺。

「藤さん、好き勝手していたのはまーさんだけで俺は違うぞ」

 篠原が短く刈上げた頭を撫でながら心外そうに反論した。

「馬鹿言え、お前の方がよっぽど酷かったじゃねぇか。高校の文化祭でお前が何をしたか、忘れたとは言わせんぞ!」

 今にも飛びかかりそうな勢いで間宮が篠原に食ってかかった。どうでもいいが高校の話を未だに持ち出すのもどうかと思う。四十過ぎているというのに。

「忘れた」

「お前っ、このやろ!」

 篠原と間宮は、お互いの学生時代の悪さをののしり合い始めた。よく警察官になれたな、と本気で呆れていると、藤堂が額に手を当て、手に負えないと言うように小さく首を振った。

「俺ら、あんな感じなのか?」と不安げな猪又。

「なろうとしても無理だろ」

 その内の一人が上司だなんて悲しすぎる。

「だよな。それにしても藤堂さんって本当にすごいよな」

 悪ふざけが過ぎた二人をたしなめている藤堂を見つめながら、俺たち三人は頷いた。

 さて仕事に戻るか、とカップを置きかけたその時、席を外していた小林が部屋に入ってくるなり篠原の名を呼んだ。――その瞬間、今まで和やかだった空気が独特の緊張感に変わる。

 席に座る小林の横に立った篠原は先ほどとは別人のような真面目な表情で、時折、相槌を打ちながら小林と何か話し込んでいる。――おそらく、捜査本部の設置が決まったのだろう。やっぱりな、と俺は心の中で呟く。

「緑署に行くぞ」

 小林の席から戻るなり、篠原が俺たちに告げた。

 ――あ。

 ほんの一瞬だけ見せた藤堂の悲しげな表情を俺は見逃さなかった。前にも何度か見たことのある表情。

「また書類が山積みされてくな」

 若林と猪又が面白がるように言った。二人は藤堂の表情に気づいていないようだった。

「山積みのチョコだったらよかったのにな。そういや、お前チョコもらったか?」

 笑い合う二人を恨めしく睨みつけ、いつの間に起きたのか上着を片手に部屋から出ていく田村のあとを追って俺は廊下に走り出た。うしろから若林もついてくる。

 俺たちは県警本部の地下駐車場へと向かう。

「やっぱり殺しだったな」

 若林が言った。

「そうですね」

 地下駐車場に着くと若林はビートルに乗り込み、俺は田村のデミオに乗り込んだ。シートベルトをかけながら、「また、いつもの始まりだな」と運転席に座る田村に声をかける。

「さっさと終わらせるさ」

 田村はエンジンをスタートさせ、俺たちを乗せたデミオは地上へと向かって走り出した。

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