第2話

 結城自身も、この青年に好感を抱き始めていた。さっきまであれほど怖いだの言葉だけでは信用できないだのと言っていたのに、と自分でも不思議に思うのだがやはり上手く説明できない。

 考えれば考えるほど絡まった糸のように頭の中が混乱し、訳が判らなくなる。だから、いつも考えることを放棄していた。こんなことを言ったらまた佐竹に飽きられるな、と結城は肩をすくめてみせる。

 彼らの最後のやり取りは、両親はどうして進学をさせてくれないのか、という少年の嘆きに変化していた。こんなに自分は進学を望んでいるのに、と少年は悲嘆に暮れている。

 青年はそんな少年に、諦めてはいけないと励ました。望みを捨ててはいけない、と。両親だってきっと解ってくれる。だから夢を諦めてはいけないと励まし続けた。

 そのやり取りの翌日、少年は両親を刺殺して逮捕された。

 なんとも後味の悪い事件だ。少年は逮捕後「俺は両親に愛されていなかった」と答えている。自分の望みを否定した両親。自分のことを愛していないから進学を反対したのだ、というあまりに短絡的な考えで彼は両親を殺したのだ。

 青年のことを結城は考える。

 すべてが無駄に終わった。きっと青年は、少年からの書き込みがなくなったことにあまり深く疑問には思っていないだろう。結果がどうなったのかが気になるくらいで、よもや両親を殺して逮捕されたとは考えもしていないはずだ。当然だ。知らなくていい。知らない方がいい。

 ふと、その青年のハンドルネームを見て、結城はまた既視感に襲われた。

 ――Michaelミカエル

 前にも見た覚えがある。

 結城は、これまでに集めたデータに急いで目を通した。まさか、そんなことがあるわけない、と心の中で自分に言い聞かせ、カーソルを動かしていく。

「そ、んな……」

 結城は絶句し、パソコン画面から視線をらすことができなかった。全身が粟立つ。

 数人の容疑者の書き込みに、Michaelからコメントがついていたのだ。

 しばらくパソコン画面を呆然と見つめていた結城は、書き込まれているのがすべて同じQ&Aサイトだということに気づき、安堵の表情を浮かべる。

 なんだ、驚かせるなよ。同じサイトなんだから、Michaelのコメントがあっても別におかしくもなんともないじゃないか。ホッと胸を撫で下ろしつつ、結城はMichaelのコメントにもう一度目を通す。別段、不審な点は見当たらない。親殺しの少年の時と同様、Michaelは彼らの書き込みに真摯しんしにコメントしていた。

 画面に表示されたMichaelのコメントを見つめながら、結城は目を細める。

 もしMichaelが真実を知ったとしたらどう思うだろう。驚愕きょうがく。苦悩。絶望。もうこの掲示板に、このネットの世界に、足を踏み入れなくなるだろうか。

「どうした、難しい顔して」

 佐竹が体を結城の方に向けたと同時に、ギュイーッと椅子がおかしな音を立てた。もう限界が近いのかもしれない。

「あのさ」

「なんだ?」

「椅子、壊れそうだぞ」

「ん、そうか?」

 佐竹はあまり気にならない様子で椅子を左右に動かした。そのたびに椅子はギイギイッ悲鳴を上げる。

「そうかって……すごい音出してるだろ」

「まだ大丈夫だろ? 壊れてないし」

 俺は物持ちがいいんだ、と佐竹は笑った。椅子が嫌がってるんだよ、と結城は思ったが口に出すのを止めた。何を言っても無駄な気がする。

「なんだよ、そんなことで難しい顔してたのか? 暇だな、お前」

「んな訳ないだろ。――実はさ」

 佐竹に、Michaelについて意見を求めることにした。俺よりもコイツの方がこういうことには詳しい。

 少し考えてから佐竹は、「偶然だろ。ただの世話好きな奴なんだよ。まぁ、結果がコレってのは可哀想だけどな」と顎でパソコン画面を差した。

「だよな」

 結城はホッと胸を撫で下ろす。

「それにしても、真面目な奴だな。天使を名乗るだけあるな」

「……何って?」

 彼の口から不釣り合いな言葉が飛び出した。

「だから、天使。エンジェルだよ」

 聞き間違いではなかった。結城は口を開けたまま佐竹を見つめる。

「あれ、知らないのか? 大天使ミカエル。天使の中で一番偉いんだ、確か」

「……なんでお前がそんなの知ってるんだ? 気持ち悪い」

「失礼な。これくらい常識だよ、常識」

「女か?」

「違うって」

 その話はやめやめ、とでも言うように手をひらひらと振り、彼は自分の仕事を再開させた。やっぱり女か、とニヤリと笑い、結城はMichaelのコメントに視線を戻した。

 確かに、悩める者に救いの手を差し伸べるMichaelは天使そのものだ。現実の世界で聖職者せいしょくしゃでもやっているのか。それとも神学校しんがっこうの学生か。坊さんってことはないよな。

 結城は、この奇特きとくな青年に興味を持ち始めていた。混沌こんとんとしたこのネット世界を、Michaelがどんな風に見ているのか知りたいと思った。もしかしたら、自分の中にあるこの得体の知れない不安も消えてなくなるかもしれない。そんな思いが自分の中に生まれていた。

「書き込んでみようかな」

 パソコン画面を見つめながらボソリと呟く結城に、佐竹がいぶかしげな顔をした。

「嫌いなんじゃなかったか?」

「好きじゃないだけだ」

「同じだろ」

「うるさい。そうじゃなくて、このMichaelに興味があるんだ」

 佐竹は少し考え、「コメントさせるのか?」と訊いてきた。

「そう。Michaelと少し言葉を交わしてみたい」

「へぇ、面白そうだな」佐竹が楽しそうに笑いながら身を乗り出してきた。「俺も手伝ってやるよ。――で、どんなことを書き込む?」

「そうだな……コメントしやすい内容の方がいいよな。よくある話。色恋の話とか」

「お前に縁のない話だな。書けるのか?」

 佐竹が失笑する。

「お前に言われたくないよ」

「うるせっ。お前よりは数をこなしてるさ」

「ああ、天使の彼女か」

「えーと、何にしようか? 嫁さんが小遣いをケチる――とかどうだ? よくないか?」

 佐竹が慌てて話題を変えた。図星か。これは面白いな、と結城は含み笑いする。ところで――

「それ、うちの話じゃないか」

「お前んとこ、恐妻家で有名だもんな」

 ひひ、と佐竹が笑う。さっきの仕返しらしい。

「ほっとけ」

「いいじゃねぇか、本当に相談してみれば。これを機に見方が変わるかもしれないぞ。小遣いアップの情報も手に入るし一石二鳥だろ? それにQ&Aサイトなら、他の掲示板よりソフトなコメントが多いからお前でも大丈夫だって。じゃあ、小遣いの話で決まりだな」そう早口で捲し立てた佐竹は両手を胸に当てて体をくねらせた。「青年に解るかなぁ、この切ない気持ちが」

「気持ち悪い動きをするな。お前だって解んないだろ」

「ふふん、楽しみだな」

 ニヤリと笑う佐竹に、結城もつられて笑みを浮かべた。

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