第16話 乱戦武闘/Melee Action

Fact.leeファクトリーを俺によこせ」


 突如として現れた、「殺人鬼殺しキラーオブキラーズ」にして天才ハッカー、Zilchジルチ-Zillionジリオン

 彼がHatchetハチェットに要求したのは、彼女が所有するFact.leeファクトリーだった。


 明確な敵対状態の宣言。Hatchetハチェットの表情が自然険しくなる。

 Fact.leeファクトリーを要求してきたZilchジルチに対して、Hatchetハチェットが問いを投げかけた。


「……あなた、そのFact.leeファクトリーがどういうアイテムか、分かって欲しがってるの?」


 Zilchジルチは感情を表に出さず、淡々と自身の知る情報を差し出してきた。


「ヴェインのスキルを現実に持ちこむためのアイテム。

 それを使用する事で、使用者は現界蝕者ファルシフィエルとなり、ヴェイン上で行使したスキルを現実へと延焼させる能力を得る。……違うか?」


 Zilchジルチが明かしたのは、Fact.leeファクトリー現界蝕者ファルシフィエルに関する真実の一端。

 Hatchetハチェットは、彼が以上を持ち得ているかを確認する。


「……それ以外は?」

「それ以外に、俺の知っている情報はない」


 Zilchジルチの発言に嘘の揺らぎはなく、確信をもって述べているとHatchetハチェットが判断する。


 その断片的な情報を元にして、Fact.leeファクトリーを求めているというのならば、恐らくZilchジルチ現界蝕者ファルシフィエル能力メリットだけを求めている危険人物だ。


 そのデメリットである「ヴェインでの死が現実世界での死と直結する」という点に関しては知らないのだろう。

 でなければ、チーターやハッカーの襲撃で容易く死ぬ可能性を生むFact.leeファクトリーを求めようなど思わない。


 Hatchetハチェットは一縷の望みをかけ、Zilchジルチに告知する。


現界蝕者ファルシフィエルになるのに、何の代償もないと思っているの?」

「……どういう事だ?」


 初耳といった顔でZilchジルチが訊き返してきた。


 全てを告げるのは、現界蝕者ファルシフィエルである自身の弱点を告げるのと同義である。

 Hatchetハチェットは一部の情報を伏せて、Zilchジルチに打ち明けた。


現界蝕者ファルシフィエルには致命的な弱点があるわ。

 スキルを現実化させる以上、現界蝕者ファルシフィエル自体にも、ヴェインから現実世界へのフィードバックがあるのよ」


 Hatchetハチェットから打ち明けられた情報に、Zilchジルチが一瞬だけ目をつぶる。

 逡巡の時間。わずかな時間を置いてZilchジルチが目を開き、頭を横に振った。


「俺はFact.leeファクトリーを使用するつもりはない」

「使用しない? それならFact.leeファクトリーを求める道理はないはずだわ」

「俺は現界蝕者ファルシフィエルである人物を追っている。

 Fact.leeファクトリーはその現界蝕者ファルシフィエルになる為のアイテムだと聞いた。そのアイテムを分析する事で、その人物を追跡する為の情報を得ようと、そう思っている」


 成程。それならばFact.leeファクトリーを使用せずとも求める道理にはなろう。

 だが、新たな疑問が生じる。


「――その人物を追って、どうしようっていうのよ。

 わざわざハッキングまでしてヴェインをプレイしているんでしょう? 穏やかな理由とは思えないわね」


 Hatchetハチェットの指摘は、Zilchジルチの正鵠を射たようだ。

 Zilchジルチは鷹揚に頷き、その理由を明かす。


「そいつに俺の家族を殺された。

 現界蝕者ファルシフィエルの手口は公に認められたものじゃない。警察も恐らく追う事は不可能だろう。

 だから、俺自身がそいつを追っている。有体に言えば、復讐の為だ」


 冷酷に明かすZilchジルチへ、その復讐の先を言及する。


「……家族を殺された復讐なら、あなたがその人に追いついたら殺すつもりでしょう?」


 そのHatchetハチェットの言及に、Zilchジルチの返答はない。

 無言のまま、彼はHatchetハチェットの瞳をじっと見据えていた。


 否定はない。後ろ向きな肯定でもってZilchジルチがスタンスを示すと、Hatchetハチェットの声質が低く冷たく変じる。


「……誰かを殺そうとしている人には、Fact.leeファクトリーは渡さないわ」


 Hatchetハチェットが断絶を宣言する。

 これまで表情を変えてこなかったZilchジルチが、その顔に諦念を差して受け入れた。


「残念だな。だが、それも当然だろう」


 双方が共に相容れない事を確信し、空気が緊張に固着する。

 その空気を割って、Hatchetハチェットの背後からスキルが飛びこんできた。


音弾ディゾナンスッ!」


 クラス:吟遊詩人バードの初級遠距離攻撃スキル。遠くの敵単体に対してダメージを与える。

 ターゲットはHatchetハチェット。死角からの攻撃に、Hatchetハチェットが素早く反応した。


「――ッ!」


 スキル名の宣言が耳に届くと共に、Hatchetハチェットが右に大きく跳んだ。

 跳躍の際に、体をひねって背後の存在に向き合う。


 そこにいたのは、Fact.leeファクトリーを追う第二の存在――チーターである少女のアバター、Liselotteリーゼロッテだった。


「チィッ!」


 苛立たしげにLiselotteリーゼロッテが舌打ちをする。

 舌打ちした理由は、Hatchetハチェットの回避ではなかった。


「オマエカ――Zilchジルチ-Zillionジリオン!」


 チーターに知れ渡るその名を呼び、Liselotteリーゼロッテが妥協を提案する。


「オマエとやり合いながらHatchetハチェットを追うのも面倒ダ。オマエもそう思うだろウ?

 ここは一つゲームをしようじゃないカ、Hatchetハチェットを先に倒した方がFact.leeファクトリーを貰うという事でどうダ?」


 Liselotteリーゼロッテからの提案に、Zilchジルチは邪険に手を振った。


「断る。ゲーム感覚でプレイヤーキルをするつもりはない」


 Zilchジルチに拒否され、Liselotteリーゼロッテが苦虫を嚙み潰したように口を歪ませた。


「規約違反のハッキングをしておいテ、今更良識派でも気取っているつもりカ?

 ワタシハ、すぐに通報通報とわめくサルが嫌いだシ、無能なくせに小賢しい運営はもっと嫌いなんダ。

 だガ、ワタシが一番嫌いなのハ――」


 そこでLiselotteリーゼロッテが言葉を切り、口をわずかに動かした。

 それがスキルの宣言だったのだろう。Liselotteリーゼロッテの眼前に歪んだ空間が現れ、不可視の空気の刃がZilchジルチへと射出される。


『改竄検出。無効化します』


 Zilchジルチの周辺のウィンドウが光り、スキルによって生成された空気の刃が霧散する。


「――そうやって不正行為をしている癖ニ、正義感を気取っているヤツが一番嫌いなんダ!」


 Liselotteリーゼロッテの周囲の空間にもウィンドウが生じ、それぞれのウィンドウが独りでに喋る。


音弾ディゾナンス

妖叫切バンシー・ウェイル

流音譜シューティング・コード


 次々に唱えられるスキル名と共に、即死必至の威力に書き換えられた攻撃がZilchジルチを襲う。


『無効化します。一部解除不可――』

「――ッ!」


 ZilchジルチのハッキングAIをもってしてなお解除できない流れ弾を、Zilchジルチの打鍵が捌いてみせる。


 Liselotteリーゼロッテからの熾烈な攻撃はなお続く。その攻撃の間、LiselotteリーゼロッテZilchジルチに怨嗟の声を吐きかけた。


「知っていル。オマエがチーターに復讐する為に当たり散らしている事ヲ。

 だからこそオマエが嫌いダ。復讐のためにハッキングに手を染めている癖ニ、Hatchetハチェットをハッキングで即殺してFact.leeファクトリーを奪おうともしないその中途半端さガ。

 生温い復讐鬼――真なる復讐ハ、ワタシたちが体現してやル!」


 防戦するZilchジルチ、攻勢に出るLiselotteリーゼロッテ

 即死チートとチート解除で虚空に火花を散らす。


「……っ!」


 激闘の間断を縫って、Hatchetハチェットが戦況から離脱しようと、気配を殺して後退する。

 にじり下がる彼女の足に、


「――輝疾氷刃ブリザード・ブレイド


 ギィンッ!


「ッ!」


 Hatchetハチェットの後退を咎める氷の刃。

 Zilchジルチから放たれたその威嚇に、Hatchetハチェットが素早く回避する。


 隙を突いての離脱に失敗し、Hatchetハチェットは腹をくくる。


 ――相手はチーター。分の悪い戦いだけれども――相手を倒すくらいしか他に方法は無いッ!


「毒は響く。曼柁茄まんだかを引け! 傷哮マンドラコール!」


 相手チーターになくて自分ハチェットにある武器。それは自身が現界蝕者ファルシフィエルである事である。


 詠唱と共にスキル名を発する事で、そのスキルはVR上のみならず現実にも作用する。

 傷哮マンドラコールは初級範囲攻撃スキル。現実の相手に傷をつけ、痛みで敵を怯ませれば、あるいは――。


「――ただのプレイヤー如きガ、このワタシにスキルが届くと思っているのカ?」


 Liselotteリーゼロッテが侮蔑と共に傷哮マンドラコールを受ける。

 赤いダメージエフェクトは出ず、無敵状態を表す青いバリアが発光した。


「――っ」


 Zilchジルチの指が仮想キーボードの上を滑り、彼の周囲に攻撃スキルの無効化による燐光が舞い浮かぶ。


「……そもそもスキルが通らなきゃ、意味がないわね」


 素直にスキルが通用しない二人を相手に、Hatchetハチェットがほぞを噛む。

 このまま常道にスキルで攻めたとしても糠に釘。策を必要としたHatchetハチェットは、まず自身にスキルを使用した。


颯々さっさつ立つは恵風、紡ぐ無垢は万鈞ばんきんを忘れ、停滞は流転を得るだろう! 西風翼ゼピュロス・プレスト!」


 クラス:吟遊詩人バードの中級補助スキル。対象の敏捷AGIを50%上昇させるバフを付与する。

 スキルの対象はHatchetハチェット自身。そして詠唱と共にスキルを行使する事で、現実の己に影響を及ぼす。


 反射神経と思考回路の加速。一瞬を引き延ばした思考時間の中で、Hatchetハチェットの脳裏に情報の洪水が流れていく。


 滔々とうとうと流れる情報の中から拾い上げられたのは、一つの事実。


 ――ハッカーやチーターであっても、ゲームシステムに縛られる。


 スキルの威力や確率を改竄によって引き上げる事はできたとしても、一からスキル自体を作り上げたり、スキルの効果そのものを別にしたりなどはできない。


 そして、それだけではないはずだ。彼らが用いる万能と思える技法。その間隙を見極める為に、鷹の目と化した動体視力で観察を行う。


「毒は響く。曼柁茄まんだかを引け! 傷哮マンドラコール!」


 消費SPの低い初級スキルの傷哮マンドラコールで様子を見る。

 先程と同じ攻撃である。当然ZilchジルチLiselotteリーゼロッテには届かない。


「だかラ、ワタシには通用しないって言ってるだろウ!? 三歩歩けば忘れるのカ?」


 Liselotteリーゼロッテからの侮蔑の言葉を気に留めず、Hatchetハチェットの目が冷静にLiselotteリーゼロッテを観察する。

 Liselotteリーゼロッテに展開される無敵状態のバリア。そのバリアが張られる瞬間、彼女のアバターが明滅した。


 わずかな一瞬である。アバターが瞬時に掻き消え、即座に表示される。ログアウトの演出に相似した明滅表示だ。


「――傷哮マンドラコール!」


 再度唱える。今度はZilchジルチに注視して、彼の動向を伺った。


「……何のつもりだ?」


 猜疑さいぎを含めて問うZilchジルチ。彼にも攻撃が届かず、Liselotteリーゼロッテのように明滅して攻撃を無効化する。


 どちらも同じ。Hatchetハチェットが推察するのは、チートやハッキングを行う際には、あのログアウト演出を経由する事で改竄を行っているのではないかという事。

 それはわずかな情報ではあった。改竄を行う際には必ず彼らは明滅する。逆を言うならば、チーターのアバターが明滅したならば改竄を行った証拠にはなるだろう。


 だが、それでは致命を得るに至らない。

 Hatchetハチェットがなおも観察に回り、ZilchジルチLiselotteリーゼロッテの間に火花が散る。


閃迅炎刃ブレイズ・ブレイド

流音譜シューティング・コードッ!」

地突筍ギア・ランス

音弾ディゾナンスッ!」


 そして、Hatchetハチェットは気づいた。

 彼らは、攻撃スキルしか使用していない。


 当然だろう。チーターであれば、搦め手もなしに極大威力に増幅した攻撃スキルを叩きこむだけで相手を殺せる。

 補助スキルや弱体化スキルなど手間でしかなく、彼らは他者を直接的に害するスキルにしか興味はない。

 そこにHatchetハチェットは勝機を見た。


 HatchetハチェットはターゲットをLiselotteリーゼロッテに定める。Zilchジルチほど名の知れていない彼女は、彼ほどの腕ではないと推測しての事だ。


針縛呪フェッセルン・リート!」


 クラス:吟遊詩人バードの中級弱体化スキル。対象に敏捷AGIの低下をもたらすデバフを与える。

 敏捷AGIに関係するゲームシステムは、回避率とクールタイムと――移動速度。


 Liselotteリーゼロッテへのデバフの付与は成功した。彼女のアバターの周囲が一瞬暗くなり、黒いもやのようなエフェクトが漂った。

 攻撃スキルはチートによって通らないが、弱体化のスキルは無効化されずに通るようだ。


「今度はなんダ? そんなもノ、焼石に水としかいいようがないゾ?」


 Liselotteリーゼロッテがからかいの声を上げ、慢心してわらう。

 回避率低下、スキルのクールタイム増加と、移動速度の低下。

 確かにそれはLiselotteリーゼロッテを倒すには程遠い行為だ。だが――。


 びゅんっ!


「鬼さんこちら! 手の鳴る方へ!」

「なッ、早ッ……!」


 敏捷AGI増加の西風翼ゼピュロス・プレストを既にかけているHatchetハチェットの脚。

 そして、先程針縛呪フェッセルン・リートを付与され敏捷AGIが低下したLiselotteリーゼロッテ


 彼女の周囲にはログアウト不可エリアの設定がされている。ならば、彼女から離れることで、Hatchetハチェットの脱出は可能になるはずだ。


「くッ、跳空エアステア!」


 Liselotteリーゼロッテが速度を増すために空中飛行のスキルを使用するが、遅きに失する。

 目論見通り、足の遅いLiselotteリーゼロッテではHatchetハチェットに追いつくことはできず、どんどんと距離を伸ばしていく。


 Hatchetハチェットはシステムウィンドウを開く。その中にある「ログアウト」の項目は暗く沈んでいたが――Liselotteリーゼロッテとの距離が10mを超した瞬間、「ログアウト」の文字が明るく光った。


「クローズ・ザ・ヴェイン!」


 ヴェインからのログアウトを指示する語句を唱え、カウントダウンと共にHatchetハチェットのアバターが空間へと溶けるように透明度を増していく。

 逃げられた――そう思った矢先。


『ログアウトに失敗しました。Error Code 000188: Logout Failed / The logout process encountered an unexpected error on the server side.』

「なんでっ!?」


 ログアウト演出が中断され、透明になりつつあったHatchetハチェットのアバターが急速に実体へと戻っていく。

 走りながら背後を見る。Liselotteリーゼロッテとの距離は大きく離している。なのに何故――。


「――敵は一人ではない」


 横手から現れた影に、Hatchetハチェット歯軋はぎしりする。


「……Zilchジルチ-Zillionジリオン……!」


 Zilchジルチは空中に浮き漂い、Hatchetハチェットの姿を俯瞰する。

 その姿で、Hatchetハチェットは彼が西風翼ゼピュロス・プレストの速度に追いついた理由を把握する。


 クラス:魔法使いウィザード初級補助魔法スキル、跳空エアステア。空中飛行の魔法は、通常のダッシュよりも速い。


「俺はお前の持っているFact.leeファクトリーさえ貰えればそれでいい。

 逆を言えば、むざむざとFact.leeファクトリーを持ち逃げさせる事はしない」


 Zilchジルチのハッキングによってログアウトを妨害されたHatchetハチェット

 既に弱体化デバフという手の内は明かしてある。それがZilchジルチに通用するとは思えない。


 追い込まれたHatchetハチェットは、出るはずのない冷や汗をぬぐい、Zilchジルチの良心を試す。


「……わたしを殺すつもり?」

「そうだ。お前がFact.leeファクトリーを渡さないのならば、殺すしかない」

「それが、わたしを殺すことになるとしても?」


 その言葉に、Zilchジルチの喉が止まる。


「……現界蝕者ファルシフィエルには、ヴェインから現実世界へのフィードバックがあると言っていたな。

 そのフィードバックは……ヴェイン上で殺害プレイヤー・キルされた場合、現実でも死ぬという事か?」

「……そうよ」


 Hatchetハチェットが肯定すると、Zilchジルチの様子が変じる。

 先程まで冷徹な表情を保っていたが、口の端が開き、息が止まり、目線が動く。


 傍目から見ても分かる躊躇と葛藤。それがHatchetハチェットの瞳に映った。

 その逡巡からZilchジルチの良心を感じ取る中で、背後から迫る邪心の声がHatchetハチェットに届く。


「――流音譜シューティング・コードッ!」


 攻撃の対象はZilchジルチ。彼の周囲の空間がひずみ、攻撃スキルが発動した事を表す。


『改竄検出。無効化します』


 ZilchジルチのハッキングAIが瞬時に攻撃を無効化し、攻撃スキルの効果が発露するよりも前に霧散した。


「――腑抜けた男ダ。それだかラ、オマエは藤守雷善ふじもりらいぜんに追いつくことも叶わなイ」


 Hatchetハチェットの背後から現れたLiselotteリーゼロッテが、心底軽蔑した態度でZilchジルチを煽る。


 Zilchジルチとの諍いの間に追いつかれ、Hatchetハチェットの戦況はまた振り出しに戻る。


 だが、ZilchジルチからHatchetハチェットへの敵意は薄れているはずだ。

 Liselotteリーゼロッテの敵意も、今はHatchetハチェットではなくZilchジルチに対して向けられている。


 Hatchetハチェットに残る手立ては、両者の同士討ちである。


刺雷ラン・ボルト


 Zilchジルチの手から放たれた雷撃がLiselotteリーゼロッテに突き進む。

 その雷撃は虚空の中で立ち消え、Liselotteリーゼロッテが叫ぶ。


音弾ディゾナンスッ!」


 高圧の空気弾がZilchジルチに襲いかかろうとし、その高圧は数メートルの距離を詰める間に大気に解ける。


 素人目からすれば、両者共に致命打を与えられない千日手。

 この戦況の中、Hatchetハチェットは空気に溶けこむように徹した。


 現況はZilchジルチLiselotteリーゼロッテの一対一。逃げたとしてもどちらかに咎められるかすぐに追いつくかが先程の戦いで学習した。

 ヘイトを稼がず、両者の旗色を伺う。


 双方共に周囲にウィンドウを浮かび上がらせ、英字の羅列が続々と更新されていく。

 完全な理解はできないが、それらがチーターの戦況のバロメーターであろう。HatchetハチェットZilchジルチのウィンドウを窃視せっしし、その内容をインプラントの自動翻訳にかける。


 CPU usage: 72%.CPU使用率72% Memory usage: 90%.メモリ使用率90%

 |Analyzing target AI. 96% complete. Estimated time remaining: 2 minutes.《対象のAIを解析中。96%完了、推定残り時間2分》

 |Neutralization process of target security in progress... Successful deactivation of invincibility status. Testing effectiveness of normal skills...《対象のセキュリティの無害化プロセス進行中…無敵状態の無効化に成功。正常なスキルが作用するか成否を試行中…》


 傍目からすれば互角の戦いであるが、水面下ではZilchジルチの方が優勢だと推測される。

 そのZilchジルチのウィンドウの一つに、ポップアップが浮かび上がったと同時に、


「――しまっタ!」


 Liselotteリーゼロッテの口から、失態が漏れ出る。

 浮かぶZilchジルチのポップアップには、|Successful intrusion achieved.《侵入成功》の文章が流れた。


 Hatchetハチェットは、ZilchジルチLiselotteリーゼロッテを倒す予想を立て、Liselotteリーゼロッテを倒そうとする隙を突いてZilchジルチに不意を突こうと目論む。


アパッシオ――」


 Hatchetハチェットが攻撃スキルを唱えようとした半途、風向きが変わる。


「――蜜の罠ハニーポットか!」


 今度はZilchジルチが失態に自覚し、Liselotteリーゼロッテがニヤリと笑う。


「そうダ――こんな初歩的な罠に引っかかるとハ、キサマもとんだ愚鈍だナ!」


 ハニーポット――攻撃者を引き寄せ、誘導するために意図的に脆弱性を持たせたシステム。

 このハニーポットの目的は、攻撃手法の記録および分析。

 ハッカーとしての手練手管をつまびらかにされる事は、相手に武器を渡す事と同等。


 Zilchジルチの手法を取りこんだLiselotteリーゼロッテが、彼のシステムウィンドウに無数のエラーを送りこんだ。


「くっ……!」


 自身のハッキングAIが攪乱かくらんされる中、それでもZilchジルチがコマンド実行のエンターキーを押す。

 すると、Liselotteリーゼロッテの周囲から、不可視のバリアが青い破片となって散っていくエフェクトが再生された。


「……こちらのセキュリティを剥がしたようだナ。だガ――既にキサマの中枢を握っているコチラの方が早イ!」


 Liselotteリーゼロッテがとどめの一撃となるスキル名を唱える。


宿霊奏スピリトーゾッ!」


 クラス:吟遊詩人バードの中級遠距離攻撃スキル。無属性の貫通ダメージを敵単体に与える。


 Zilchジルチに向かって放たれたスキル。

 Liselotteリーゼロッテは勝ち誇った笑みを浮かべている。

 そして――そのLiselotteリーゼロッテは、Zilchジルチによってセキュリティが剥がされた事を自白している。


 Hatchetハチェットが最も待ちわびたタイミングだった。

 先程まではZilchジルチに向けようとしたスキルを、今度はLiselotteリーゼロッテに向かって撃つ。


熱響アパッシオナートッ!」

「――ア?」


 クラス:吟遊詩人バードの中級遠距離攻撃スキル。火属性攻撃、低確率で継続ダメージをもたらす火傷のデバフを与える。


 レベル100カンストのプレイヤーから放たれた攻撃である。

 それがチートを剥がされた生半可なプレイヤーに直撃すれば――。


「がああぁぁぁぁァッ!?」


 仮想空間に、チーターの最期の悲鳴が響き渡った。

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