第15話 敵対

 14時28分。


 ヴェインでの新潟県新潟市中央区、レインボータワー前。

 現実世界ではとうに解体された施設だが、ヴェイン上では市民の復活嘆願の署名を受けてレインボータワーが現在まで姿を保っていた。


 そのタワーの前、ショッピングセンターが立ち並ぶ店先で、14歳前後の男性アバターが立っている。


「まだかな、チェリハ……あー、会うの楽しみ!」


 Fact.leeファクトリーの受け渡しという物騒な取引をしているとは露知らず、受け子役の男性アバター――Pan-Kunパンクンが浮足立つ。


 HatchetハチェットFact.leeファクトリーを渡す予定時刻は14時30分。

 ソワソワと周囲を見回すPan-Kunパンクンに、横手の歩道から歩いてきた女性アバターが声をかける。


「こんにちは! あなたがFact.leeファクトリーを持ってるのね?」

「あ、はい! そうです! それと……チェリハのファンです! 応援してます!」


 現れたのは、桜の意匠を凝らした女性アバター――Cherryチェリー-Hatchetハチェットの姿をしたプレイヤーである。

 彼女は早速Pan-Kunパンクンへトレードウィンドウを開き、要求にFact.leeファクトリーを指定した。


「応援、ありがとう! それじゃ、わたしにFact.leeファクトリーを渡してくれないかしら?」

「うん! もちろん、合言葉を言ってくれたらそうするよ!」


 Pan-Kunパンクンの発した条件に、そのプレイヤーが首を傾げる。


「……合言葉?」

「そう、合言葉! ほら、もしかしたらHatchetハチェットの成りすましかもしれないでしょ?

 だからさ、Hatchetハチェットの定番の挨拶。それを言ってくれたら渡してあげる!」


 その言葉に、Hatchetハチェットの姿をしたプレイヤーが一瞬固まる。


「どうしたの?」


 覗きこむPan-Kunパンクンに、プレイヤーが一つの言葉で返す。


「――傷哮マンドラコール


 ビリィッ!


「なっ、痛っ!?」


 痺れるような効果音と共に、Pan-Kunパンクンに痛みが走る。


 傷哮マンドラコール。クラス:吟遊詩人バードの初級範囲攻撃スキル。

 突如攻撃してきたプレイヤーは、温和な笑顔から一転、口が裂けるような笑みを浮かべて脅迫してくる。


「……Fact.leeファクトリーを寄越せ。そうすれば命まで取らない」

「ま、まさか……Hatchetハチェットの姿をしたチーター!?」


 Pan-Kunパンクンの顔が青ざめ、にじり寄るHatchetハチェットの擬態プレイヤーに後ずさる。

 その中で。


『――音弾ディゾナンス!』


 見えざる音圧の弾丸が、横手から擬態プレイヤーに襲いかかる。


「ぐぅっ!?」


 擬態プレイヤーに直撃し、HPゲージの4分の1が消失した。

 擬態プレイヤーはそちらに向き直ると、そこにいたのは、また新たなHatchetハチェットの姿である。


『どうもPan-Kunパンクン、こんにちはちぇっと!

 間に合ったみたいね、もう安心よ!』

「は、Hatchetハチェット! 今度こそチェリハだ!」


 合言葉の挨拶も交わし、Pan-Kunパンクンが歓喜の声を上げる。

 そのHatchetハチェットのアバターは、擬態プレイヤーとPan-Kunパンクンの間に立って、呼びかけた。


『ここは危ないから、離れたところで隠れてて! 後で合流して、その時にFact.leeファクトリーを渡してちょうだい!』

「あ、ありがとう……! 任せたよ!」


 そう言って逃げ出そうとするPan-Kunパンクンだったが――。


「……なに、これ?」


 更なる混乱が降って湧く。


「……えっ!?」


 また新たに出てきたのは、またしてもHatchetハチェットの姿をした女性アバターだった。

 その女性アバターはPan-Kunパンクンが逃げようとした先の曲がり角から現れ、既に自分と同じ姿が2人もいる事に混乱しているようである。


『そっちには逃げないで! 別の方向に逃げて!』


 Pan-Kunパンクンを庇うアバターが叫ぶ。


「……違うわ! わたしが本物よ! こっちの方で大丈夫だから!」


 新たに出てきたアバターが主張する。


「どうだっていい! 全部ワタシが殺してやる!」


 攻撃を仕掛けてきたアバターが殺意を表す。


「え、え……!?」


 攻撃してきたHatchetハチェットは論外として、Pan-Kunパンクンの前に選択肢が2つ迫る。


 自分を庇ったHatchetハチェットの言う事を信じ、誰もいない方角へと逃げ出すか。

 新たにやってきたHatchetハチェットの言う事を信じ、そちらの方向へ向かうのか。


 Pan-Kunパンクンの足が惑い、立ち尽くす。

 その隙を突いて、殺意のある1番目のHatchetハチェットがスキルで襲いかかってきた。


傷哮マンドラコールッ!」


 ビリビリビリッ!


「ぎゃあぁっ!?」


 先よりもチートで威力を増したのか、戦闘不能に至るほどのダメージと苦痛がPan-Kunパンクンに襲いかかる。


 Pan-Kunパンクンのアバターが歩道に倒れ伏し、インベントリからランダムなアイテムが数個ロストした。

 そのロストしたアイテムが周辺に散らばり――16進数がびっしりと書かれた紙のアイテムがヒラリと舞う。


 それこそ、Fact.leeファクトリーであった。


『――ごめん、後で助ける!』


 Pan-Kunパンクンを庇うように立っていた2番目のHatchetハチェットが彼に駆け寄り、Fact.leeファクトリーを手にする。

 その2番目のHatchetハチェットに向かって、新たに出てきた3番目のHatchetハチェットが冷ややかな視線を注いだ。


「……あなたもまた、チートを使ってるのね」

『違うわよ。わたしは本物のHatchetハチェットで――』

傷哮マンドラコールの範囲攻撃を受けたのにダメージも通らずに平然と立ってるのがその証拠じゃない」


 言われて、2番目のHatchetハチェットが黙りこむ。


 そう。

 3番目のHatchetハチェットこそ、本物のCherryチェリー-Hatchetハチェット

 2番目のHatchetハチェットは、零一のハッキングAIであるPragmaプラグマが操る偽物である。


 そして、1番目の攻撃してきたHatchetハチェットは――。


「――そうか、そうカ。どうしてもワタシの獲物を増やしたいようだナ」


 Hatchetハチェットの姿にノイズが走り、アバターが侵食されていく。

 そして1番目のHatchetハチェットの姿は、真っ黒なゴシック・ロリータの服を着た、血色のハープを持つ女性アバターへと変ずる。


「ギルド曇天の黒シュヴァルツ・ヴォルケンの黒き一閃、このLiselotteリーゼロッテ-Lichtensteinリヒテンシュタインの餌になること、光栄に思って死ネェッ!」


 言って、LiselotteリーゼロッテPragmaプラグマに接近する。

 背後にいるHatchetハチェットも範囲に入れるように移動してから、ハープを掻き鳴らして叫んだ。


妖叫切バンシー・ウェイルッ!」


 クラス:吟遊詩人バードの中級範囲攻撃スキル。ダメージと、低確率で即死の追加効果を与える。

 通常ならばまず発動しない即死効果。だが、チーターがその効果を増幅して発したならば、即死確定の脅威の範囲攻撃となる。


「ッ、羅盾終傷アンキレー・フィナーレ!」


 本物のHatchetハチェットが唱えたのは、クラス:吟遊詩人バードの中級支援スキル。あらゆるダメージをスタックを消費する事で無効化する、スタック3のバリアバフを対象に付与する。

 Liselotteリーゼロッテ妖叫切バンシー・ウェイルを受けて、Hatchetハチェットのスタックが1つ消費された。ダメージそのものが通らなければ、追加効果も発動しない。


 仕様を上回るチートは難度が高い。チートを相手に正規のスキルでHatchetハチェットは立ち向かえた。が――。


『……ッ!』


 スキルと同時に響いた、ダメージ無効のチートを剥がすハッキングAIの魔の手にかかり、Pragmaプラグマ真面まともに即死効果を受けてしまった。


 Pragmaプラグマは膝をつき、アイテムをランダムにロストする。

 ほとんど初期状態に近いプレイヤーデータである。ほとんど空の所有物インベントリからランダムに抽選された数個のアイテムの中から、高確率を引き当ててFact.leeファクトリーが吐き出された。


「来たァ!」


 風に乗るFact.leeファクトリーLiselotteリーゼロッテが手を伸ばし、掴もうとするその時。


「――吹颸唱ヴィー・アイン・ハウフ!」


 ビュウッ!


「ナッ!?」


 突風がFact.leeファクトリーの行方を翻弄し、Liselotteリーゼロッテの手から逃れる。

 意思によって吹いた風は、術者の思惑通りに向かい、Fact.leeファクトリーを彼女に届けた。


「……Cherryチェリー-Hatchetハチェット! 姑息なマネをォ……!」

「わたしの姿を真似てFact.leeファクトリーを奪おうだなんて、そっちの方が姑息じゃない!」


 反論と共にHatchetハチェットきびすを返し、逃走を開始する。


 逃げながら、Hatchetハチェットはログアウトの為の命令文を口にした。


「クローズ・ザ・ヴェイン!」


 チーターを相手に、眼前でログアウトを試みる。

 以前にも経験のあるその試みは、以前と同じようなエラー文で阻まれた。


『エラーです。このエリアではログアウトできません』

「――やっぱりねっ!」


 Puppetパペット-Masterマスター相手でも吐かれた事のあるエラー文が返却され、Hatchetハチェットが落胆する。


 だが、どうする。

 今度もまた、Searchサーチ-Matonマトンのようなハッカーが介入する事でも祈れば良いのだろうか?


 歩道を走り、建物の合間を抜け、Liselotteリーゼロッテの魔の手から逃げる先に、一つの人影が現れた。


 交差点の中心。何も通る事のない道路の中央。

 サイバーティックな衣装の青年。彼を取り囲むのは複数のウィンドウと英字。


 その姿は、かつて存在し、そして今は削除されているとあるヴェインの動画で見た事がある。

 プレイヤー・キルを行うチーターを、ものの見事に倒してみせた、「殺人鬼殺しキラーオブキラーズ」の名で呼ばれる有名プレイヤー。


「……Zilchジルチ-Zillionジリオン……!」


 Hatchetハチェットが立ち止まり、その名を呼んだ。


     *   *   *


 数分前。現実世界の芋里いもざと鍾乳洞。


 Pragmaプラグマからトレード介入の異常事態を知らせるアラートを受けた零一は、沈痛な面持ちで黙りこむ。


「どうしたの、遊木ゆうきくん? もしかして、きみも夜桜ちゃんと同じで、暗いところ苦手?」

「……いや、別にそういう訳じゃない」


 否定する零一。

 今の彼の脳内は、嵐のように思考が入り乱れている。


 Pragmaプラグマの様子を取得する。Hatchetハチェットの姿をしたアバターが、Pragmaプラグマ以外にも2人。

 その内1人は痛覚再現やステータス改造を使うチーター。もう一方は本物のHatchetハチェットである。


 本物のHatchetハチェットが出る事自体は想定済みだが、チーターがいる事は想定外である。


 前PCよりも性能の劣る現PCにインストールされているPragmaプラグマだけで立ち向かえる自信はない。

 自分がヴェインに出向く必要がある。しかし、自分は現実世界で役割がある。


 腹痛などを装って外に出るなど、現実世界の役割を無碍むげにしてヴェインに出る事もできるだろう。だが、できる事ならば穏当に収めたい――。


 葛藤が胸で渦巻く中、更なるアラートが零一に降る。


(戦闘不能状態に陥りました。Fact.leeファクトリーをロストしました)


 冷たい事実を伝えるアラートが、零一に一瞬の失意を与えた。

 しかし、そのアラートを聞いた瞬間、彼に一案の電流が走る。


(……Pragmaプラグマ、ヴェインとの接続を切り、Functionファンクション:Dデルタを実行しろ。対象は――だ)


     *   *   *


 現実世界の零一の肉体の操作をPragmaプラグマに任せ、零一/Zilchジルチ自身はヴェインへと降り立った。

 肉体操作を行っている為に、Pragmaプラグマの処理能力は更に落ちている。それでも、並のチーター相手ならば遜色ない。


 しかし。


「……Zilchジルチ-Zillionジリオン……!」


 Hatchetハチェットが立ち止まり、彼の名を呼んだ。

 一般プレイヤーであり、零一に現界蝕者ファルシフィエルの知識をもたらしたHatchetハチェットは、チーター以上に厄介な相手ではあった。


 彼の良心を咎め、苛む相手として。


Cherryチェリー-Hatchetハチェット


 呼応して、Zilchジルチが彼女の名前を呼ぶ。


 Pragmaプラグマの収集した情報で知っている。

 彼女がを持っている事を。


Fact.leeファクトリーを俺に渡せ」


 決して叶えられる事のない要求でもって、敵対関係を表明した。

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