第24話 家族②

 俺と黄島は公園に一つだけあるベンチに腰掛ける。

 話があると言っていた黄島はベンチに座っても直ぐに話し出さず、顔色を伺うようにこちらに視線を向けてきた。

 最初から黄島に視線を向けていた俺の視線とその視線がぶつかる。その瞬間、黄島は顔を逸らし一度咳ばらいをした。


「今日、ありがとな」

「ん? ああ、気にすんな」


 俺の返事を聞くと、黄島は深呼吸を一つして空を見上げる。

 この周辺が暗いからか、空にはチラホラと星が輝いていた。


「あたしにとって一番大事なのは家族だ」

「おお、そうか」

「ああ。だから、きっとあたしはいざという時に家族を守れる選択をするんだ」


 真剣な表情でそう語る黄島。

 だが、その表情が険しくなる。


「だけど、家族を守る選択は家族を笑顔にする選択じゃないかもしれない」


 自分に言い聞かせるように黄島は言葉を紡ぐ。それを俺はただ黙って聞いておくことしか出来ない。


「全部を守るにはあたしは余りに無力だ。だから、選んだ。その先で犠牲になる奴がいると知っていて選んだんだ」


 そこで、黄島が立ち上がりベンチに座る俺に身体を向ける。

 月明かりに照らされたその瞳は強い意志を宿していた。


「選んだけど、それじゃダメなんじゃないかって思ってる。千歳が教えてくれた。選択肢は二つじゃないって。時間はかかるかもしれない。だけど、あたしはもう一度選び直したい」


 胸の前で拳を作った黄島が、意を決して口を開く。


「だから、千歳――」

「あれ? もしかして春陽じゃねえか?」


 だが、黄島の一言は突然姿を現したペストマスクの男に遮られた。

 低くよく通る声をしたその男は俺の名前を呼ぶと、やけに親し気な様子でこっちに近づいてくる。


「なあ、やっぱ春陽じゃねえか。おいおい、知らねえ間にこんなにでかくなりやがってよ。いつ以来だ? 五年は会ってねえよなぁ」


 ベンチに座る俺をまじまじと見つめる男。

 その異様な雰囲気に俺も黄島も動くことはおろか、声を発することも出来ずにいた。


「そういや弥生やよいは元気か? 前に会った時は男を作ったやがったからなぁ。この俺の女だって言うのによ」


 弥生。

 その名前が出た瞬間に、俺の中でこの男の警戒度が跳ね上がる。

 弥生は俺の母親の名前だ。その母親を俺の女という人物を俺は一人しか知らない。


「まさか俺の父親か?」

「お、やっと気づいたか。遅いぜ、我が息子」


 そう言うと、男はペストマスクを外す。

 ニヤニヤした厭らしい笑みを浮かべるその顔は、思わず二度見するほど俺の顔にそっくりだった。



◇◇◇◇◇



「ち、父親って、この人が千歳のお父さんなのか?」


 春陽が父親を睨みつける中、最初に口を開いたのは秋子だった。

 さっきまでは突然のことに動けなくなっていた秋子だが、漸く冷静さを取り戻し始めていた。


「お、可愛い子がいるじゃねえか。こんな可愛いこと夜中に公園で二人きりなんてな。やっぱりお前も俺の子供らしく欲望に素直じゃねーか」


 そう言いながら、春陽の父親を名乗った男はペストマスクを投げ捨て秋子に近寄る。そして、そのまま流れるように自然な動きで秋子の頬に手を伸ばす。

 普段の秋子なら絶対にその手を振り払うはずだった。

 だが、まるで金縛りにあったかのように秋子の身体は動かない。


「やめて……ッ!」


 秋子に出来たのは小さな否定の声をあげるだけ。

 その声で春陽の父親が手を止めるはずもない。だが、春陽の父親の手は秋子に触れる直前で動きを止めた。

 否、春陽によって動きを止められた。


「汚い手で黄島に触んじゃねえよ」


 握りつぶさんばかりの力で父親の腕を掴む春陽。

 怒りに染まったその表情を見て、父親は声を上げて笑い出す。


「ははは! 悪い悪い、俺も自分の女に手出されるのは嫌いだからよ」


 ”俺も”という言葉に春陽が表情を歪める。

 春陽にとってクズの代名詞と言ってもいい自分の父親と自分が同類扱いされることは何よりも屈辱であった。

 そんな春陽の表情を見て、父親は楽しそうにクツクツと笑いながら、自ら投げ捨てたペストマスクを拾いに行く。


「それにしても、春陽。あの女はどうした?」

「……あの女?」

「お前が天使だとかほざいてた女だよ。幼い頃から大好きだったもんなぁ。そろそろ一回くらいは寝たんじゃねーのか?」


 拾ったペストマスクの土を払いながら父親は、数年ぶりに再会した親子の会話を楽しむつもりなのか、春陽にそう問いかける。

 碌に会話もしておらず、何も知らないはずの父親が花恋のことを知っていることに薄ら寒いものを感じつつ、春陽は顔をしかめる。


「……お前には関係ない」

「あ? お前、あの子を諦めようとでもしてんじゃないだろうな?」


 春陽の目が大きく見開かれる。

 血が繋がっているせいなのか、春陽の表情に生まれた小さな変化を父親は読み当てた。

 

「おいおい、くそつまらねえ男になろうとしてんじゃねーよ。言っとくけど、あの子を諦めて幸せになれるなんて幻想抱くなよ? 俺が断言してやる。お前は俺と同じ人種だ。気に入った女は自分のものにしなきゃ気が済まない。今は諦められるつもりでいるのかもしれないが、いつか必ずお前は暴走する」

「俺はお前とは違う」

「くくっ。まあ、いずれ全部を知った時、お前は必ずあの女を求めるさ」


 そう言うと、春陽の父親は再びペストマスクを被り鼻歌交じりに公園から出て行った。

 嵐の様に春陽の心をぐちゃぐちゃにかき回した父親がいなくなった後、春陽は自らの怒りを鎮めるように深く息を吐く。


「千歳、いいのか?」


 そんな春陽の様子を察してか、秋子も普段より声を抑えめに話しかける。


「なにが?」

「なにがって、父親……なんだろ? もっと話とかしなくてよかったのかよ?」

「ない。俺はあいつを父親とは認めない」


 その春陽の言葉に秋子は大きなショックを受けていた。

 秋子にとって家族とはこの世で何より大切な存在だ。温かくて、自分を受け入れてくれるかけがえのないもの。

 春陽にとってはそうではないことが意外であると共に、悲しくも思ってしまった。


「父親のこと、嫌いなのか?」

「ああ、嫌いだ」


 淡々と春陽は口にする。その平坦さが何より、春陽が本気で父親を嫌悪していることを表していた。


「なんでなんだ?」


 家族のことだからなのか、これまでに見たことが無い春陽の姿を見てしまったからなのか、秋子はらしくもなく春陽の内情に踏み込んだ。


「それ聞いてどうするんだよ?」

「……ッ。あたしらはチームだろ。チームの仲間のことを知りたいって思うのは普通だろ」


 春陽もその言葉予想外だったのだろう。目を点にして秋子の顔をまじまじと見つめた。


「なんだよ、あたしたちはチームだって、てめえが言ったんだろ」

「いや、まあそうだけど。意外でさ」

「とにかく、理由があるなら聞かせてくれ」

「……あまり気持ちいい話じゃないぞ?」

「それでも、知りたい」


 真っすぐ視線を逸らさない秋子を見て、春陽は観念したように息を吐いた。

 それから、おもむろに口を開く。


「俺の父親は俺の母さんを強姦したんだよ」

「え……」


 秋子は言葉を失った。それから、春陽はゆっくりと自身の家族と春陽を生んだ男について語り始めた。

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選ばれなかった俺が彼女を諦めるまで わだち @cbaseball7

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