第22話 黄島家

 公園の外へと歩き始めた少年の横に並んで歩く。


「兄ちゃんも家こっちなの?」

「ん? いや、少年みたいな小学生に話しかけてたり飴で誘惑したりする危険人物がいるかもしれないからな。一応、家まで送ってく」

「確かに、学校の先生も知らない人に話しかけられたら気を付けろって言ってた」


 少年の鋭い視線がまっすぐ俺を射抜く。


 あ、今言ったこと全部俺じゃん。まずいな。家に帰って家族に危険人物に話しかけられたとでも言われたら、後々俺は痛い目みるかもしれない。


「一応言っておくけど、俺は危険人物じゃないからな。だから、家族にはなんかイケてるお兄さんに話しかけられたって言ってくれよ」

「兄ちゃん、イケてるの?」

「多分」


 念のために釘をさす。すると、少年は流し目で俺を見てから、前に視線を向けた。


「黄島長人、俺の名前。これで、知り合いって言えるでしょ」


 照れ臭そうに、少年――長人はそう言った。

 その横顔はどこかのぶっきらぼうながらも優しい少女に似ていた。


「ああ、そうだな。よろしく、長人」

「うん」


 長人と他愛のない話をしながら歩き続けること数十分、不意に長人が足を止めて、「あ」と小さな言葉を漏らす。

 長人の視線の先には、心配そうに辺りを見回す黄島秋子と、長人の母親と見られるスーツ姿の女性がいた。

 二人は長人の様子に気付き、こっちに来ようとしたが、俺はそれを制止するべく手を前に出した。

 お節介にもほどがあるが、それでもここは長人の意志を大事にしたい。

 幸い、黄島の母親が俺の気持ちを汲んでくれたのか、黄島を引き留めてくれた。

 それを確かめてから、俺の横にいる長人に話しかける。


「行かないのか?」

「……怒られないかな?」


 長人が不安げに俺の顔を見上げる。だから、胸を張って俺は答えた。


「叱られるだろうな。でも、怒られることはない」

「それ、同じじゃないの?」

「違う。分かりにくいけどな。怒るのは自分のため、叱るのは相手のためだ」


 それを聞いた長人はジッと前を見つめる。彼の目に彼の家族はどう映っているのか、それは分からない。

 一歩が踏み出せず、視線を前に向けたままの長人のランドセルに手を置く。長人が俺の顔を再度見上げる。その目はまだ不安に揺れていた。


「気まずくても、帰れる場所があるなら帰った方がいい」

「……」

「まあ、引き返してもいいけどな。その場合は俺が長人の帰る場所になるかもしれない」

「……兄ちゃんより、姉ちゃんと母ちゃんの方がいいや」

「なら、ちゃんと伝えて来い。長人の思ってること、全部な。そんで、姉ちゃんと母さんの話も聞いてやれ」

「うん」


 今までで一番力強く頷くと、長人は黄島たちの下へ歩き始めた。

 暫くして、長人が二人の下に辿り着き、黄島と黄島の母親が長人を抱きしめる。

 距離があって声は僅かにしか聞こえてこない。だけど、あの様子なら大丈夫だろう。

 街灯の灯りが黄島たち三人を照らす。

 安心したからか、三人の頬を雫が伝う。その涙が俺には美しく輝いて見えた。



◇◇◇◇◇



 事の始まりは昼休み。

 秋子が早退し、弟の授業参観へ向かおうとした時のことだった。生徒指導の教師に引き留められ、挙句の果てにマガツキと呼ばれる秋子たちが敵対する存在に襲われた。

 厄介だったのはそのマガツキのしつこさ。焦って秋子の動きが単調になっていたこともあるが、マガツキはヒット&アウェイを繰り返し、およそ一時間もの間秋子たちを逃がすこともなく、秋子たちに倒されることも無かった。

 その結果、秋子は弟の授業参観に間に合わなかった。


 弟に謝りたい。

 その一心で放課後まで小学校の校門で待っていた秋子の前に現れたのは目に涙をいっぱいに溜めた長人だった。


「ごめん、長人。行こうと思ってたんだけど、その行けなくなって……」

「言い訳なんて聞きたくない! どうせ、姉ちゃんも母ちゃんも俺のこと大事じゃないんだ! 家族を大事にするようにって姉ちゃんは言うけど、姉ちゃんは俺のことなんてどうでもいいんだ! 姉ちゃんも母ちゃんも嫌いだ! 大嫌い!!」


 ため込んでいた感情を全て吐き出すかのように、捲し立てた長人はそう言ってからどこかへ走り去った。

 その背中を秋子は直ぐに追いかけたが、信号や通行人で長人を見失ってしまった。


 あたしのせいだ。

 これで、長人が事故に遭ったり、誘拐されたりしたら……。


 その考えが脳裏をよぎり、秋子は必死に長人を探した。自分に持てる数少ない人脈を全て使って、体力の限りを尽くして、息が切れても街中を駆け回った。

 家族が突然いなくなる。それは秋子にとってトラウマのような出来事だ。

 秋子がまだ小学生の頃、突然父親が亡くなった。もう父親がいる幸せな日常は戻ってこないんだという喪失感を秋子と秋子の母親は小学生ながら経験している。

 

 あんな気持ちはもう味わいたくない。

 お願いだから、どうか、どうか長人は無事でいて欲しい。


 その一心で刻一刻と時が過ぎていく中、秋子は長人を探し続けた。辺りが薄暗くなっていき、嫌な妄想が秋子の頭を覆いつくしていく。

 そんな時だった。千歳春陽からの連絡が届いたのは。


『黄島の弟発見。これから黄島家に送っていく。抱きしめてやってくれ』


 黄島のスマホの画面にはその簡素なメッセージが映っていた。

 メッセージを呼んだ瞬間、黄島はスマホを抱きしめ、安堵のため息を吐いた。

 それから、直ぐに母親に連絡した。

 黄島の母親もまた長人がどこかへ行ったという連絡を秋子から受け、会社を飛び出して長人を探していた。

 母親と家の前で長人を待つと約束し、秋子は自宅の前へと戻った。


 秋子が家の前に着いた時、既に秋子の母親は家の前に来ていた。


「ママ、ごめん」


 開口一番、秋子は母親の神奈に謝罪の言葉を口にした。

 それに慌てたのは神奈の方だった。


「どうして謝るの?」

「あたしが授業参観行く約束だったのに、行けなかったんだ。それで、長人が怒って……。ママの負担を減らそうと思ってたのに、結局ママに会社抜け出させちゃったし……長人も泣かせちゃったし……あたし、お姉ちゃん失格だ」


 視線を下げる秋子の目は潤んでいた。

 長人が無事だったことへの安堵、長人を悲しませた自分への怒り、神奈に迷惑をかけたことへの申し訳なさ。

 それに加えての、マガツキという訳の分からない生物から世界を救うために戦わなくてはならないこと、千歳春陽を犠牲にしている罪悪感。

 秋子を取り巻く様々な状況は、まだ十六歳の少女が一片に背負うには余りにも重すぎた。


 涙ぐむ秋子を神奈は抱きしめた。

 そして、その頭を優しく撫でる。


「ごめんね、秋子。ママ、秋子に甘えてた。あの人がいなくなってから、秋子と長人を育て上げないといけないって、必死に働いて。家に帰るのが遅くなっていって……それでも、秋子が大丈夫って言ってくれるからその言葉に甘えてた」


 いつぶりだろうか、神奈が我が子を抱きしめ、優しく頭を撫でたのは。

 最愛の夫がいなくなり、子供を育て上げなくてはならないと脇目もふらず走って来た。

 いつからか、家のことを秋子と長人に任せていた。

 夜遅く家に帰った時、全ての家事が終わっていて、家に自分の居場所はないのではないかと感じてしまった。

 だから、一層仕事に打ち込んだ。早く帰れる日にも関わらず残業した日もあった。

 仕事をすればするほどに子供に向かい合う自信が無くなっていった。子供たちは、特に秋子はそれでも文句の一つも言わなかった。

 だから、平気なんだと思い込んでいた。


 そんなわけがない。


 秋子はまだ高校生。長人に至っては小学生だ。母親と一緒にいたいに決まっている。

 それを必死に我慢してくれていたのだ。

 秋子と長人はずっと神奈を思ってくれていた。そのことから目を背けて、子供たちのためと言い訳しながら自分のことばかり考えていたのは神奈の方だった。


「謝らなくていいんだよ。ママはいつも二人に助けられてる。今日だって、ママが授業参観に行くべきだった。ごめんね、秋子。背負わせちゃって、本当にごめん」


 神奈の目の端には涙が浮かび上がっていた。

 夫を亡くしたとき以来の涙だった。


「ママは、いつも頑張ってる。あたしと長人のために一生懸命働いてくれてる。だから、あたしが頑張らなきゃいけなくて……ママが謝る必要なんてない!」

「ううん。そんなことない。秋子の方が頑張ってる。ありがとう、秋子。本当にいつもありがとう」


 秋子の目に涙が溜まり、遂に目から零れ落ちる。一度零れ落ちた涙は留まることなく、秋子は幼い子供の様に神奈に抱き着き泣きじゃくった。


 そして、秋子が落ち着いてから二人は長人を待った。

 長人と秋子が再会できたのは日もすっかり沈んでからだった。


「姉ちゃん、酷いこと言ってごめんなさい。母ちゃんも、心配かけてごめんなさい」


 申し訳なさそうな表情で秋子と神奈の前に来た長人は真っ先に頭を下げてそう言った。

 秋子と神奈は何よりも先に長人の前にしゃがみ、長人のまだ小さな身体を抱き寄せた。


「バカ。心配かけて……。でも、あたしも約束破ってごめん。長人に寂しい思いさせてごめん」

「ママも授業参観行けなくてごめん。長人のために何より優先して行くべきだったよね。無事に戻って来てくれてありがとう。今まで我慢させてごめんなさい」


 叱られると思っていた長人は二人の対応に困惑しつつも、二人の言葉で今日の授業参観のことを思い出す。

 母親や父親に見守られて嬉しそうにしたり、照れ臭そうにしたりしている同級生たち。

 その中で、いつまでたっても姿の見えない自分の母親、姉。

 友人の中には長人を「羨ましい」という子もいたが、長人からすれば家族に見守ってもらえている方がよほど羨ましかった。

 長人にとって授業参観は寂しさと悲しさに包まれた失意の一時間だった。


「お、俺……姉ちゃんも母ちゃんも忙しいって分かってるけど、でも、でも、やっぱり来て欲しい……。もっと、母ちゃんとも学校のこと話したり、家族で休日に遊んだりしたいよ。我儘だって分かってるけど、でも……俺、母ちゃんも姉ちゃんも好きだから。お願い……」


 目に涙を溜めて、詰まりながらも必死に自分の思いを口にする長人。その言葉を胸に刻み込むように神奈は長人の話を最後まで聞いた。

 長人が気持ちを吐き出してから、神奈は秋子と長人の二人を抱き寄せる。


「ママもそうしたい。長人と秋子と三人で楽しく会話したり、旅行とか行ったりしたい。やっぱり、ママにとって長人と秋子は世界で一番大事な子供だから」


 神奈の脳裏に亡き夫の言葉が蘇る。


『いやー、秋子も長人も可愛いよなぁ。世界一可愛い天使みたいな子だ』

『もう、毎日それ言ってるじゃない』

『死ぬまで言うぜ。そうすれば、何時だって秋子と長人のことを大事に思えるだろう。俺らも人間だから、子供たちに怒ったり、子供たちを嫌いになったり、子供たちと離れたりする時がくるかもしれない。でも、ずっと言い続けたら秋子と長人が世界一大事だってことを忘れない。そのことを覚えていたら、俺はずっと秋子と長人の親として秋子と長人の味方でいれると思うんだ』


 そう言っていた秋子の父親は亡くなるその日も、秋子と長人に『パパ、今日も世界一可愛い秋子と長人のために頑張って来るぜ!』と言って家を出て行った。

 神奈は漸く亡き夫の言っていた言葉の意味を理解出来た気がした。どんな時でも大切なものを見失わないように、忘れることが無いように彼は言い続けていたのだ、と。


「気付くのが遅くなってごめん。こんなママだけど、これからも長人と秋子のママでいたいの。いいかな?」


 神奈の言葉に秋子と長人が頷く。


「ありがとう」


 三人への感謝を込めて、神奈はもう離すまいと強く二人を抱きしめる。


 そんな三人を街灯の優しい灯りが静かに照らしていた。

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