第21話 帰りたくない

「はい、約束のスマホ返すわね」


 生徒会室の清掃が終わった後、俺と蒼井は校門から校外へと出た。

 空の端は色がもう変わり始めている。

 

「お、ありがとな」

「それじゃ、また明日」


 蒼井は俺がスマホを受け取ったことを確認すると、微笑みながら手を軽く振る。それから、俺に背を向けて校門の傍で止められている蒼井家の送迎車へと歩き始めた。

 

「あ、連絡先」


 気付いたころには残念ながら蒼井の姿は車の中に消えていた。

 追いかけようとするも、無情にも車は発進し、どんどん小さくなっていった。


 まじか。いや、まあ仕方ない。今度は紙に連絡先を書いて渡すか。


 目的を果たせなかったことに肩を落としていると、俺の手にあるスマホがピコンと通知音を鳴らす。

 画面を見ると、そこには蒼井からのメッセージが来ていた。


『これから、またよろしくね』


「なんだよ。ちゃんと連絡先見ててくれたのかよ」


 直ぐに、スマホを操作し返信する。

 それから、顔を上げる。既に蒼井が乗った車の姿は見えない。

 まだ青い頭上の空を見上げる。

 以前よりずっと綺麗で深みのある色に見えたのは気のせいじゃないだろう。



***



 茜色に染まりゆく街を歩く。

 道の途中にある公園から子供たちが出てくる。母親と手を繋いでいるものや、友人に手を振って別れを告げるものなど様々だ。

 共通しているのはこれから全員帰るということだろう。

 その中で一人の少年の姿が目に留まった。


 黄島を彷彿とさせる柔らかそうな金髪の髪の少年は、今にも泣きだしそうな顔で人の流れに逆らい公園の中へと入っていく。


 無視して立ち去ればいい話だが、少年の寂しげな顔が頭にこびりついて離れない。

 このまま家に帰るつもりだったが、身体を右に向けて公園の中へ足を踏み入れる。金髪の少年はブランコの上に腰かけていた。

 身長はそこまで高くない。着ている服は近所の小学校の制服だった。

 スマホの画面を見ると、一件のメッセージが来ていた。そのメッセージに目を通してからスマホの時計を見る。もうすぐ六時になろうとしていた。


 いざという時に黄島への貢物として用意していた棒付きキャンディを鞄から取り出し、それを片手に少年に近づく。


「飴ちゃんいる?」


 優しくニッコリと話しかける。だが、少年は身体を少しのけ反らし、不審者を見るような目つきで俺を睨みつけて来ると同時に背中にあったランドセルに引っかけられている防犯ブザーに手を伸ばす。

 洗練された動きだ。この少年の家族はいい教育をしている。


「ああ、安心してくれ。俺は悪い人じゃない。名前は千歳春陽。高校二年生だ。少年の名前は?」

「……お姉ちゃんに知らない人と関わるなって言われてるから」

「それなら大丈夫だ。だって、君はさっき俺の名前を知っただろ。もう知らない人じゃない」


 少年の目つきが更に険しくなる。

 どうやらまだ怪しまれているらしい。

 だが、少年の目が片手の棒付きキャンディにちらちら向けられていることに俺は気付いている。


「なら、飴ちゃんだけあげる」


 そう言って、俺は棒付きキャンディを少年に投げる。突然の出来事に少年は慌てていたが、見事な反射神経でキャンディをキャッチしていた。


「あ」

「ナイスキャッチ」


 やってしまったという顔の少年に一声かけてから、少年の真横のブランコに腰かける。

 そして、少年に渡したものとは異なる味の棒付きキャンディを鞄から取り出し、包装紙を剥いでからくわえる。


 口の中で飴玉をコロコロ転がしながらボーっと前を見る。

 横から少年の視線を感じたが、暫くすると、それも無くなり、隣からぺりぺリと包装紙を剥ぐ音が聞こえて来た。

 高校生と小学生がブランコに並んで腰かけ、棒付きキャンディを舐める。

 端から見れば兄弟のように映るかもしれない。実際は赤の他人だが。


「甘いな、飴」

「……うん」


 小さな声だが返事は返って来た。

 会話出来るくらいの関係にはなれたかな。


「家、帰らないのか?」

「……」


 返事はなし。流し目で少年の方を見るが、少年は視線を下げて口を固く閉じていた。

 そこからは無言が続いた。


 空を飛ぶカラスの鳴き声と街中を走る電車の音をBGMに夕焼け空を楽しむこと数十分、遂に少年が口を開いた。


「聞かないの?」

「ん? ああ、好きな食べ物とか?」

「いや、そうじゃなくて」

「名前? そういや、少年の名前知らなかったわ。名前は?」

「知らない人に名前を教えるなって言われてるから」

「俺、まだ知らない人だったんだ……」


 正直、話しかけられたし知ってる人のラインは超えてると思っていた。

 中々に少年の判定は厳しいらしい。


「……家に帰らない理由、聞かないの?」


 肩を落とす俺に少年が再度問いかける。


「聞いていいのか?」


 俺の問いに少年は小さく頷く。

 まあ、自分から聞かないのかと問いかけて来たんだ、理由を誰にも知られたくないとかいう訳ではないのだろう。


「なんで家に帰らないんだ?」

「……」


 問いかけるが少年は口を閉じる。

 少年の胸の内は分からないが、色々考えて、言葉を選んでいるのだろう。静かに、俺は少年の言葉を待つ。


 少ししてから、漸く少年は口を開けた。


「帰りたくないから」

「そうか。なにかあったのか?」

「……今日、参観日だった」


 それから少年は絞り出すようにポツリポツリと語り出した。

 少年には姉と母親がいること。母親はいつも一生懸命働いていること。姉は帰りが遅い母親の代わりに家に早く帰って来て、家事をしてくれること。

 二人が忙しいことを理解していたが、参観日に来て欲しかったこと。そして、参観日の授業に姉も母親も来てくれなかったこと。


「姉ちゃんは放課後に来てくれたんだ。間に合わなくてごめんって謝ってたんだけど、俺、なんか色んな感情が湧き上がってきて、姉ちゃんに酷いこと言って逃げてきたんだ」


 ポタリと雫が少年の目から零れ落ちる。

 日は沈みすっかり暗くなった公園で、少年の鼻水をすする音が嫌に大きく耳に響いた。


 参観日、か。

 周りの子供たちは家族に見守られている中で、自分だけ家族が来てなかったら疎外感を感じるだろう。

 辛いときや悲しいときは頭に嫌なことばかり思い浮かぶものだ。

 その溜まった思いをつい姉にぶつけてしまった。そして、それを後悔していて、姉に合わす顔が無いから家に帰れないってところだろう。


「少年はどうしたいんだ?」

「……謝らなきゃって思う、けど、来てくれない姉ちゃんと母さんも悪いと思うんだ」


 参観日に来てくれなかったことへの不満、それとは別に姉に酷いことを言ってしまった後悔。その二つが混ざり合って、謝らなくてはならないということは理解していながらも素直に謝れない。

 

「少年は、家族が好きか?」


 何気なしにそう問いかけると、少年はゆっくりと頷いた。

 その反応に笑みがこぼれる。

 好きだと思える家族なら、きっと大丈夫だ。


「腹、減ったな」

「……うん」


「美味しいご飯食べたいな」

「……うん」


「温かい風呂に浸かりたいな」

「……うん」


「おやすみって、言ってもらってさ、ゆっくり寝たいよな」

「……うん」


 空を見上げると、すっかり暗くなっており、星も見え始めていた。

 キィ、と鎖の軋む音が響く。横を見ると、少年はランドセルを強く握りしめて立ち上がっていた。

 その瞳はまだ不安に揺れていたが、それでも口を固く結び、少年は前に一歩踏み出し、そして俺の方に身体を向ける。


「兄ちゃん、俺、帰る」

「そうか」

「うん、話聞いてくれて、ありがとう」

「気にするな。さて、行くか」


 鞄を肩にかけ、俺もブランコから降りる。

 そして、スマホの画面を見る。もう七時を回っていた。スマホの画面を操作し、送られてきたメッセージに返事をする。それから、公園の外へと歩き始めた少年の横に並んで歩き始めた。

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