幼馴染




「隼瀬!休みねって言うたろも!」



「だけん本当にちっと考え事してぼーっとなっとっただけだけん大丈夫て!」



そう言って、制服に着替えようとする隼瀬だが・・・・・・また、少年の考え事が増えた。



「姉ちゃん、俺の制服がにゃあよ」



「え?ほら、ちゃんとあっでしょが」



 そう言って暁美がクローゼットから出したのは、どう見ても足がスースーしそうな、暁美の高校時代のもんだろうとしか隼瀬は思えない代物だった。



「こん世界なこぎゃん(こんな)とこも逆転しとっとか」



 とは言え、この世界で生まれ育った経験はない隼瀬にとってそれを着るというのは、自分が正しくそういう趣味を持つ変態に成り下がるような気がして、流石に抵抗が強く出る。しかし、だからといって私服で通学するわけもいかず仕方なく、自分の感覚では女子の制服としか思えないそれを着て、いつものように、自身の通う高校と同方向の会社に勤めている姉と一緒に出かける。その道中、電車の中でも暁美は心配そうに隼瀬の顔を見つめ、混んでいる中でなんとか空席を見つけて隼瀬を座らせる。



「姉ちゃん、本当に大丈夫だけん」



「あんたいつもそぎゃん(そう)言うてから無理すっども。それにあんたみたいなもぞか(可愛い)子、痴女ちかんに狙われるけん、こぎゃん(こう)して守っとかんとしゃが」



 その姉の言葉に苦笑しつつ、周りを見渡すと、男性比率が高い車両で、隼瀬の感覚としては姉が痴漢に狙われるんじゃないかと心配である。



「姉ちゃんは俺ん事心配しすぎよ」



「そら、たった一人の可愛い弟なんだけん当たり前たい。それとあんた、“俺“なんて不良の女の子んごた(みたいな)言葉遣いして!ほら、男ん子がそぎゃん足開かん!」



 いつもの癖で股を開いて座る隼瀬を暁美が注意するが、隼瀬にとってはそれもなかなか新鮮な出来事である。そして、そんな二人のやり取りを人混みの隙間から聞き耳を立てる少女がいた。



「今日の隼瀬、おかしい」



 そう誰にも聞こえぬよう呟くのは、姉弟の向かいの家に住む幼馴染で、隼瀬に好意を寄せている葛西かさい冬未ふゆみ。小中までは基本的に隼瀬と一緒に登下校していたものの、高校進学を機に、冬未の方から別にしようと言い出した。それは、このままずっと一緒にいるならばただの幼馴染で終わりそうな予感があった冬未の苦渋の決断でもあった。また隼瀬の方も、それまでずっと隣にいるのが当たり前だった冬未と離れる事で、自分の想いを再認識することとなり、結果的にそれはお互いにとっていい判断だったといえよう。そして、姉弟の会話を不思議がる冬未は、声をかけようかどうか迷っていた。朝のラッシュで混み合う電車内で痴女に間違われても嫌なので、影からこっそりと変な隼瀬の様子を伺っていたのだが、そんな幼なじみたちを乗せた電車は既に隼瀬の学校の最寄り駅へと到着し、暁美に見送られながら電車を降りる隼瀬を、どこか悲しげに車窓からその姿を眺めるだけである。やがて自分も降りる駅が近づき、帰り際隼瀬に声をかけてみようと考えながらいつものように学校へ向かい、暁美も‘二人’を見送って、会社へと向かう。一見離れているようでも、いつもすぐ傍にいる・・・・・・・・・この三人の幼馴染の結束は、何よりも固い。そして、そんな彼らの固い絆、運命のような繋がりを証明するエピソードもある。



 ここで、時系列は数年前にまで遡る・・・・・・当時、中学生になったばかりの隼瀬と冬未は、相変わらずおはようからおやすみまで殆ど一緒。冬未が腕白をして、隼瀬がそれに振り回されるという、出会った頃からのそんな関係が続いていた。二人の親密さは余りにも有名で、「お前らいつ結婚するんだ」などと、そんな風に同級生や先輩たちからからかわれる事も多々あった。隼瀬はそうやってからかわれる度に恥ずかしくてもじもじしていたが、冬未は必ずこう言い返していた。



「後5年したらな!」



 冬未が恥ずかしげもなくそんな事を言うもんだから、隼瀬としては更に恥ずかしくなり毎回顔を真っ赤にして俯くばかりであった。



「だいたいあんたも、いくら男ん子だけんてそぎゃんしてすぐ真っ赤なるけんつけこまるっとたい!」



「僕のせいね・・・・・・」



 そして何故か、最終的に冬未に文句を言われる。でも、冬未のそんな強気なところが隼瀬は好きなのだ。冬未としても、では色々言うものの、そんな隼瀬が大好きで、この二人の相性は運命の赤い糸で結ばれたようにぴったりもぴったりなので、親同士も既に二人は許嫁として、その動向を見守っている。そして、そんな二人にある日、災難が訪れる。その日、冬未がいつも遊んでいる河川敷の少し上流まで行ってみようと言い出した。隼瀬は渋ったものの、いつものように強引に腕を取られ、泣く泣く付き合うこととなったのだが、その日は雨の予報が出ており、上空には薄黒い雲が立ち込め始めていた。隼瀬はそれに気づき引き返そうと提案するが、冬未はいつもの調子で「この調子ならまだ降らんけん大丈夫」と言って、隼瀬の手を引っ張り、歩みを止める事はない。それに、隼瀬が思っていたより随分遠くまで来てしまって、彼は不安になる。



「ねえ冬未ぃ、あんま遠くまで行くとお父さん心配するけん・・・・・・」



「大丈夫て」



「もう・・・」



 思えばこの時、冬未が隼瀬の言う事を聞いて、引き返していればよかったのかもしれない。



 1時間後



「冬未、どこまで行くとね!」



「折角なら行けるとこまで行ってみちゃあし」



「ばってんもう暗くなるたい」



「そぎゃん言うならあんただけ1人で帰りゃよかろが!」



 そうは言われても、一人で帰るのも不安だし、冬未を一人行かせて何か起こったらと心配で、結局冬未に渋々付いていき、二人で歩くこと数時間がたった。



「冬未、まだぁ?」



「ふう・・・私ももう疲れたけんここまでにしとこか」



「はぁ・・・僕もう足痛い・・・」



 そして、ここまでの道中で降り始めていた雨は次第にその強さを増しつつあり、足元もだいぶ泥濘ぬかるんで来ていた。というより、既に河川敷は物凄い勢いで浸水してきている。二人は咄嗟に土手の上に上がろうとしたものの、ここまで数時間歩いてきた成長期の二人の足はともに限界を迎えてきており、まず隼瀬が泥濘んだ地面に足を取られ、それを見た冬未が隼瀬を助けようと手を取ろうとして自らも足を取られ、二人は濁流に流されようとしていた・・・・・・その時だった。二人の耳に、聞き慣れた声が届く。



「隼瀬!冬未ちゃーん!今行くけん待っときなっせー!」



「姉ちゃん!」



「お姉ちゃん!」



「今行くけんね!」



 暁美はそう叫ぶと、上着を脱いで濁流に飛び込み、必死に泳いで二人の元へたどり着き、まだ幼い二人を抱えて流れに身を任せ、やがて三人は奇跡的に岸に引っかかり、地上へと戻ることができた。しかしこの逆転世界に於いて、か弱い男の子は守られるべき存在であり、守るべき存在の女である冬未は、隼瀬をこんな目に遭わせて暁美に怒られる・・・・・・と内心ビクビクしながら、何か言われる前に手を打とうと、暁美と隼瀬に謝罪と反省の弁を述べる。



「隼瀬、ごめん・・・お姉ちゃん・・・隼瀬は止めたつに、こぎゃんなって・・・・・・ごめんなさい」



「姉ちゃん、冬未の事、あんま怒らんでやってね」



「隼瀬・・・・・・」



 暁美としては、遅い時間まで隼瀬を連れ回した冬未への怒りというより、二人を心配する姉としての想いの方が勝っていたが、隼瀬に冬未を責めないでくれと言われ、二人の互いへの想いを痛感させられる。



「てかお姉ちゃん、何でこぎゃんとこ・・・・・・」



 『何で、こぎゃんとこにおると?』と言いかけた冬未だが、その答えはもう自分も分かっている筈ではないかと口を噤む。



「雨降りそうだったけんあんた達ば心配して見に来たら、家ん近くなおらんだったけん、いつもあんた達ここの川で遊びよっけんまさかと思って来てみたら見つけて、本当よかった・・・・・・」



「ごめんなさい・・・・・・」



 それは、幼児の頃から二人を見てきた‘お姉ちゃんの勘’のようなもので、もし暁美がいなかったら二人ともどうなっていた事か・・・・・・と、改めて反省する冬未である。



「まあ、二人ともなんさま無事でよかった・・・・・・なら帰ろうか。お腹すいたろ?」



「「うん!」」



 ここで時系列を元に戻す。

 あの川での一件以来、冬未も隼瀬も、命の恩人である暁美お姉ちゃんには頭が上がらない。が、冬未は成長するに連れ、暁美が隼瀬に姉弟愛を越えた何かを芽生えさせている事を感じ、その胸中は複雑だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る