第16話─喪失感情はまだ見ぬ世界の扉を叩く


『昨日午後、県立麗樹れいじゅ高等学校にて、校舎裏で突然爆発する事故が起こりました。

 近くにいた一人の女子生徒が巻き込まれ、火傷を負うなどの重症です。警察は、事件と事故の両方の点から捜査を続けています』

 

 何度も見たというくらい、私の脳裏にニュース映像が反芻される。目の前で横たわるのは、傷だらけで痛ましい姿の少女。

 

 私が松原先生の部屋を訪ねた日、椛は学校で爆発事故で巻き込まれた。それを知ったときは最悪・・を想像したが、奇跡的に命だけは助かった。しかし、依然として椛は昏睡状態が続いており、不安が残り続けている。

 

 両親は事故以降、天ぷら屋『楓椛ほんかば』を休業し、特に母は何か別の仕事に取り掛かるようになっていた。その仕事は前よりも忙しいらしいが、詳細を私に語ることは無かった。

 

「椛……」

 

 私は椛の手を優しく握った。ほんのり感じる椛の体温も、心拍数を知らせる生命装置の音も、今の私にとっては不安を駆り立てるものである。

 

 

 

 一瞬にして、私たちの生活は変わってしまった。

 

 

 

『何か自分に出来たのではないか』と後悔と、『不可抗力で抗いようのない』という諦め。迫る夕日が、自分の無力さをますます際立てている。

 

『コンコン』

 

 外から病室の扉を叩く音が、かすかに響いた。

 

「えっ……」

 

「失礼します」

 

 引き戸を開けて入ってきたのは、冬夜だった。予定では、今日の面会は私だけだったはず。

 

「冬夜、どうしてここに」

 

「お見舞いがてら、楓の母さんから様子を見てこいということだ」

  

 私は近くの椅子を冬夜に渡した。

 

 冬夜は鞄から水が入ったペットボトルを取り出し、私に渡してきた。

 

「椛のことは言葉にし難いが……楓も、あまり無理はしないで欲しい。疲れが目に見えているから」

 

「冬夜……ありがとう。でもこうでもしないと、椛がいなくなっちゃう気がして」

 

 私は冬夜から受け取り、少し水を仰いだ。机上の鏡で自分の顔を見てみると、目元は腫れ上がり中々に酷い顔つきになっていた。後で一度顔を洗うべきだろう。

 

「ごめんね冬夜。こんな醜態晒しちゃって」

 

「気にすんな。こんな状況なら、誰だってそうなっちゃうさ」

 

 ようやく椅子に座ったところで、冬夜は本題に入った。

 

「椛の容態は?」

 

「病院に運ばれたときは全身火傷と、広域の骨折、打撲や意識障害など。けれど今は回復傾向だし、容態も安定しているよ」

 

「えっ、本当にそのくらいなのか」

 

「うん。お医者さん事故の事知ったら、即死してもおかしくないくらいのダメージを負ってるはずなのにって驚いていた」

 

「そうか、なら良かったな」

 

「うん。ただ、ずっと昏睡状態だけどね」

 

「……そうだよな。」

 

 そう言った冬夜の表情には、少し陰りが見えた。恐らく、冬夜は過去を振り返っているのかもしれない。

 

「……7年前だっけ、冬夜の弟が、事故にあったのは」

 

「ああ、あの時も同じくらいの時期だったな」


冬夜にはかつて、3つ下の弟がいた。名前は鏑木春馬かぶらぎ はるま

 

「春馬は幼いながらもルールを守り、礼儀正しく俺より大人びていたな」

 

「うん、だいぶ昔だけど会ったときはびっくりしたよ」

 

「そんなあいつと一緒に帰って交差点に差し掛かった時、暴走したトラックがあいつに突っ込んできた。原因は相手の運転手の信号無視」

 

「まさに一瞬の出来事、唐突に訪れたんだ」

 

 そのあたりはニュースでも大きく報じられた所だ。

 

「でも、あの場で一番許せないのは俺自身・・・だ。」

 

「えっ?」

 

「トラックが突っ込む少し前、あの時の俺はトラックがこっちに来るのを察知していた。咄嗟に手を掴もうとしたが、ほんの僅かに手は届かなかった」

 

「あと数センチでも伸ばせたら、あと数秒早く動けたら、あいつを救えたと思うと悔やんでも悔みきれない」

 

 拳を握りしめる冬夜の顔に、一粒の光が見えた。

 

「病院に運ばれた時には既に遅かったらしい。医者の努力も虚しく、俺は目の前であいつが息を引き取る瞬間に立ち会ったよ」

 

「そう、だったんだ」

 

 冬夜の口から初めて語られる、事故の詳細。幼き当時の私も、冬夜の弟とは面識があった。頭に浮かぶのは冬夜に似た優しい顔つきと、印象深い右頬の黒子。

 

「でもそれだけじゃない」

 

「えっ」

 

「楓には話したことは無かったけど、俺の親は命に関わる仕事をやっている。だから俺も、何度もそういう機会を目の当たりにしてきた」

 

「だからこそ、椛が助かったと聞いたときは少しほっとしたよ」

 

 私は改めて包帯越しに椛の手をさすった。隠された夥しい数の火傷痕が、脳裏に浮かぶ。

 

「楓、もしかしたら神さまが助けてくれたのかもな」

 

「神さま、か」

 

 一番に浮かんできたのは、私達の山の神さまだ。毎回欠かさず、祠を訪れて挨拶していることが良かったのかもしれない。

 

「そうかもしれないね」

 

 遠くから、夕方五時を告げる音楽が聞こえてくる。それに呼応するように、薄曇りの空の隙間から光が差し込んできた。

 

「時間になったから、俺は帰るわ」

 

「うん、分かった」

 

「あと、帰る前にこれを」

 

 渡されたのは、白色のスイセンの花だった。

 

「そこの花瓶に添えといてくれ」

 

 量を見る限り、冬夜が指す花瓶に挿せるちょうどを取り繕ってくれていた。

 

「わぁ、ありがとう。冬夜も気をつけてね」

 

「ああ。二人とも、今はゆっくり休んでお大事に」

 

 そう言って冬夜は、病室から出ていった。部屋には再び、一定間隔の無機質な音が鳴り響く。けれど今は、少し楽な気がする。

 

「……一度、お礼に行ってみようかな」

 

 冬夜の言った通り、案外神さまはいるのかもしれない。この前の先生だって、神さまの存在について肯定的だった覚えがある。

 

 私の大事な妹の命を救ってくれたのなら、祠に供えるものはより一層豪華なものにしてあげるべきだろう。

 

 そんな事を考えていると、病室のテレビからとあるニュースが舞い込んできた。

 

『速報です。今日午後四時頃、花栄市の町工場で倉庫が爆発する事故が発生しました。中にいた複数名が巻き込まれ、全身を強く打つなどの怪我を負っています』

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