終話 魂の番




「お嬢様。妖精女王がお嬢様をお呼びです。そのことをどうか竜にもお伝えください」



 その日、家の妖精は普段とは違う一言を残して消えていった。今日はティタニアスの家に訪れる予定だったのだが妖精女王はそれを知っていて自分に会いに来いと言っているのだろうか。

 私の生みの親だという女王からの呼び出しに戸惑いながら、機嫌よく訪れたティタニアスにその話をするとすぐに尻尾が不機嫌を顕わにした。



「今更貴女を呼びつけるのは一体どういうつもりなのか」


「ニアに分からないなら分からないわね……」


「……俺は関わりがないからな。他の妖精たちには慕われている」



 妖精たちの女王への思慕は相当なものであるという。家の妖精も恐らく女王の命で私に関わっているのだろう。

 呼び出されてそれに応じる義理はないのだが、私も入れ替えられた子を探している。私が女王の子であるなら、その子も女王の傍に居るのではないだろうか。これはいい機会だと、ティタニアスの家に行く前に女王の元へ訪れることになった。



「女王の元へ行くなら飛んだ方が早いな……」


「私はまだ上手く飛べないわ」



 私の羽は随分と動かせるようになり仕舞うこともできるようになったものの、いまだ自由に飛ぶことはできない。落ちる速度を緩めることができるようになった程度である。

 ティタニアスはいつも空を飛んでジファールを訪れているし空を自在の飛ぶのは気持ちよさそうだ。私もそうなりたいと練習はしているのだがまだ難しい。



「……俺が貴女を抱えていこう。羽が当たらないように仕舞ってくれるか?」


「ええ。……これはもう早くないのね?」


「ああ。もう早くない」



 出会ったばかりの頃、そうしてどこへでも連れていくのはまだ早いと言われたことを思い出して小さく笑う。あれから私と彼の距離は随分近づいた。結婚の予定は正式に立っていないが近々そういう関係に変わるだろう。

 これ以上にないという程優しく私を抱えたティタニアスに「落ちないように捕まってほしい」と言われたため、その首に腕を回した。途端にバルコニーを叩く尻尾の音がして間近にある焔の瞳を見つめる。



「……もう早くはないが、慣れてもいない」


「ふふ、そうね。……私も少し恥ずかしいわ」



 そんなやり取りを経て、ティタニアスが羽を広げ空へと飛びあがる。小さくなっていく家を見ているとなんだかとても胸が躍った。高所への恐怖心のようなものはない。やはり、初めて見るもの、体験するものには喜びの感情が芽生える。

 それから三十分ほどは空の散歩をしながら会話を楽しむという贅沢な時間を過ごし、ティタニアスのここで降りるという言葉と共にゆっくり高度が下がっていく。

 いつの間にか眼下には広大な森が広がっていた。……どこかで妖精の世界へと渡ったのかもしれない。こんなに広い森は、ジファールの領内に存在しない。何より、その森の木や植物が見慣れぬ形をしている。



「……不思議な森ね。妖精の小道とはまた違う雰囲気」



 降り立った地に生えた草は淡い光を帯びている。木々は見上げても天辺が見えないほど高く、しかし森の中全体は明るく感じるのだ。

 ティタニアスは私をゆっくりと降ろすと銀の仮面をつけた。女王も彼とは目を合わせないため、これをつけていくのだと言う。



「ようこそ、姫。待ちわびてたよ!」



 背後から声をかけられて振り返った。ティタニアスが仮面をつけるのを待っていたかのようなタイミングだ。

 そこに居たのは美しい女性のような妖精であったが、その羽の大きさは左右非対称でありそのアンバランスさが目を引く。見たことのない妖精だ。しかし、淡い金の髪と翡翠の瞳のその顔はどこか親しみがあり――ルディスに、よく似ている気がした。



「貴女……もしかして」


「そう、君との入れ替え子さ。女王から案内役を仰せつかったんだけど……うーん……竜は入り口に置いてこいって」


「…………俺はオフィリアと離れたくないのだが」


「でも娘と二人きりで大事な話があるんだってさ。姫を案内したら戻ってくるから、わたしと話でもして待っててよ!」



 その妖精の笑顔と言葉にティタニアスが面食らったのが分かった。彼と話したがる妖精が居ないことは聞いていたので私も驚く。明朗快活な、まるで平民の少年のように元気な女性だ。この子は――とても、愛されて育ったのだろう。陰りのない表情も、曇りのない翡翠の瞳も、とても輝いて見える。……ひとまず、それが分かっただけでも安心した。



「ニア、行ってきてもいいかしら」


「ああ。……分かった。しかし、何かあったら呼んでくれ。飛んでいく」


「心配しなくても女王は大事な娘に用事があるだけだから大丈夫だよ。じゃあいこっか!」



 その妖精の案内に従って歩く。とはいっても女王の城は目の前の巨大樹の裏側、植物のツタが絡み合ってできた洞窟の先にあるらしく大して歩きもしなかったが。このまま真っ直ぐ行けば謁見の間だと告げたその妖精は、笑顔で手を振って別れを告げるとティタニアスの方へと飛んで行った。

 私も彼女と話をしたいのだけれど、それはまたの機会にするとしよう。ツタの洞窟の中を進んでいくとすぐに明かるく広い空間へ出た。



「……ああ、随分と大きくなった。こちらへ来るがよい」



 広間の高台に坐した一人の妖精が微笑みながら私を見下ろしている。輝くような白髪は床に垂れるほど長い。その羽は私と同じように透明で、光に透けて見える模様が美しい。

 言われた通り女王へと近づく。すると彼女も玉座から立ち上がり、階段を下りてきた。虹のたゆたう瞳が私を愛おしそうに見つめている。……たしかに、彼女は私の血縁だろう。鏡で見る顔によく似た顔立ちをしていた。



「結局そなたは竜に捕まってしまったのだな。しかし随分と丸い性格になっていたであろう? 竜は独占欲が強いのでな。そなたを辛い目に合わせとうなかった」



 くつくつと喉の奥で笑いながら口元を押さえる姿には気品があった。リリアンナとはまた違った品と魅力を持つ女性――母である。どうやら私を隠したのはティタニアスに対する嫌がらせだけが目的ではなく、竜の番として生まれた私のためでもあったらしい。

 番を見つけられず長年を過ごしたティタニアスの苦痛を思えば喜べないのだが、これは彼女なりの愛情だったと言う訳だ。



「……彼にあまり意地悪をなさらないでくださいませ」


「そなたが望むのならそうしたいがな、吾は竜が好かん。それは変わらぬよ。……ところでそなた、人間につけられた名は“オフィリア”であったか? 実に愉快だ」



 何が面白いのか全く理解できないが、女王はとても楽しそうにその目で弧を描いていた。そんな彼女はハンカチのような白い布を取り出すと「これはそなたのものだ」と私に出しだした。絹より柔らかく滑らかな肌触りのその布で、何か文字のようなものが書いてある。しかし、妖精の文字なのか私には読めなかった。

 その内容を尋ねる前に彼女は私に背を向け、玉座へと歩き出してしまう。



「用は済んだ。竜の元へ帰ってよいぞ。今後はいつでも訪ねてくるがよい。出来れば竜は置いてな」



 まさに妖精女王、他人の話は聞いているようで聞いていない。布に書かれた文字はあとでティタニアスにでも尋ねてみることにして、ひとまず懐にしまった。彼を長く待たせるのも忍びないし、女王と話したいことはまだあるけれど今度にしよう。……今日は、ティタニアスの家を訪れるために来たのだから。

 広間を出てティタニアスが待つ場所まで戻ると、彼は随分と困惑したように不規則な動きで尾先を揺らしながら、入れ替え子の妖精に話しかけられていた。



「オフィリア」


「あ、おかえり。残念、もうちょっと話をしたかったのに」



 妖精のお喋りから解放されたティタニアスがほっと安心したように私の名を呼ぶ。よっぽど大変だったのだろうか。隣の妖精は無邪気ににこにこと笑っているのだけれど、彼の尻尾は元気がないように見える。



「姫。君はまたこっちに遊びに来るんだろう? 今度はわたしとお話しようね!」


「ええ、それは是非」


「やった! じゃあ、君たち予定があるんでしょ。またねー」



 入れ替え子の妖精はそう言って手を振り、女王の居た広間の方へ向かって行った。彼女の姿が見えなくなるとティタニアスは銀の仮面を外しながら深い息を吐く。



「……オフィリア……貴女と居ると心が落ち着く」


「ふふ。でも、貴方を怖がらない妖精が他にもいたのね」


「ああ、驚いた。……しかし、なんだか疲れたな。俺は……やはり貴女と過ごすのが好きだ」



 元気の塊のような妖精に気力を持って行かれてしまったようだ。そんな彼の手を取ってにこりと笑いかける。するとしな垂れていた尻尾は元気を取り戻して揺れ始めた。やはり、分かりやすくて愛らしい。



「貴方の家でゆっくり休みましょう?」


「……ああ。少し遠いので、もう一度掴まってくれ」



 今度は森の中をティタニアスに抱えられてゆっくりと飛んだ。視界の端の方で逃げていく妖精の姿を結構な数見かけたが、それも次第に少なくなっていく。彼の家の近くには他の妖精がいないらしい。

 段々と森が深くなり、光が遮られるようになっていったが突然明るい場所に出た。巨木の密集地に開かれた空間に木と植物が絡み合った家がぽつりと建っている。

 その家の前で降ろされ、私は文字通り羽を伸ばした。あるものを内側に仕舞うというのはそれなりに窮屈なのだ。



「……オフィリアが気に入るといいんだが」


「ふふ、お邪魔するわね」



 木の扉から中へと通された。火を灯している訳でもないのに室内は明るい。そして内装はたしかに、私の部屋に似せてあって初めて訪れた場所にしては馴染みがあるように感じる。しかし一つ、見慣れない白い塊があって興味を惹かれた。



「これは何かしら?」


「ベッドを作る際に失敗したものだが、これはこれで気持ちがいいので残している。オフィリアも座ってみるといい」



 そう言われてその白い塊に恐る恐る腰を下ろす。途端に体は沈み、まるでその塊に包まれているような心地になった。とても大きなクッションというところだろうか。ベッドにはなりえないかもしれないが、ここで休むのも気持ちよさそうだ。



「ニア、これはとてもいいわね……このまま眠れそう」


「……そうか。婚姻を結んだあとは俺がそこで眠ればいいな」



 結婚する前から別の場所で眠る宣言をされてしまった。しかし私を潰しそうで怖いと彼が思っているのだから仕方がない。早めに結婚したいという気持ちになってくれただけで充分だろう。



「家具に不足はないだろうか?」


「ええ。……私のために全部ニアが作ってくれたのよね。嬉しいわ」



 椅子、机、ベッド、クローゼット、鏡台や棚、暖炉まで備えてある。私の部屋にあって、この部屋にないものはない。この家は随分温かいからそれは必要ないのかもしれないが、彼が私に不都合がないようにと努力してくれたのはよく伝わってきた。



「そういえば……女王は貴女に何の用があったんだ?」


「ああ、そうだったわ。それでニアに尋ねようと思っていたのよ」



 クッションに沈む心地よさで忘れそうになっていた。少々名残惜しいがそこから離れ、女王に渡された布を取り出す。それをティタニアスに渡した。



「ここに何か文字が書いてあるように見えるのだけど、妖精の文字よね。私には読めなくて……」


「………………オフィリア。これは貴女の本当の名前だ」


「私の?」



 そういえば、妖精の名前は特別なもので他者に明かさないという話だった。しかし私の名はオフィリアだと知られており、誰もがその名を口にする。それは私が人間として育てられた以上仕方のないことで、妖精の名前としての扱いはないのだと思っていた。



「……妖精が互いに名を知るのは婚姻の誓いであり……互いの名を知っていることが伴侶の証になる、のだが……」



 とても言いづらそうにそう告げられて、私は一瞬思考が止まった。私は出会った日にティタニアスの名を聞いている。そして彼は今、私の名を知ってしまったらしい。



「……それはつまり、妖精の世界の常識では……私たちは今、結婚したということになるのかしら」


「……そうなる」



 私たちはしばし無言で見つめ合った。確かに近々結婚したいとは思っていたのだが、こんな不意打ちのようにするものではないと思う。……これはすべて、私に何も教えずに名前の書かれた布を渡した妖精女王のせいではないだろうか。



「妖精女王の周りには常に妖精がいる。隠れていても耳がいい者もいるだろうし、声ではなく文字で伝えるのは常識……なのだがオフィリアがそれを知っているはずもないからな。……貴女が他の妖精に尋ねなくて良かった」



 それは本当にそうだ。しかし考えてみればこういったことを最初に尋ねるのはティタニアスなので、他の者に訊く機会はなかったかもしれない。私と普段関係があるのは彼と家の妖精くらいのもので、ティタニアスに訊けないことを家の妖精に尋ねるだけだったからだ。

 女王はそのあたりを考えていたのか、いなかったのか。悪戯目的だったのか。……あの女王なら悪戯もあり得る気がしてきた。妖精の名は、妖精にとって大事なものではないのか。私にはその感覚はないけれどティタニアスは難しい顔をして尻尾を揺らしている。



「……ねぇ、けれどニア。名を互いに明かすことが婚姻の誓いになるなら、貴方は何故、出会った日に名前を教えてくれたの?」


「それは……俺が番以外と結ばれることはないと思っていたからだ。今もそれは変わらない、というより……今は、貴女が番で良かったと思っている。俺はオフィリアを愛しているのだと思う」



 ふわりと柔らかく笑う顔。私はティタニアスのこの笑顔が心から愛おしい。ただ、一つだけ不満があるとするならば。……何の覚悟もなく、想いもなく、突然夫婦になってしまったことだ。



「この付近には妖精がいないわよね。会話を聞かれることはないのかしら」


「ああ。他の妖精が居ない場所に家を作ったからな」


「なら、私の名前を呼んでもう一度言ってほしいわ。……本当の名前の方。貴方が私の名前を教えて」



 妖精にとって名前は大事な、魂につながる情報。互いの名前を知ることは互いの魂を知ることになるのだろう。出会った日に私のことを魂の片割れだと、番だと彼は言ったのだ。……ならば今、本当にそうなりたいと願う。



「……オリヴィアンナ。俺は貴女を愛している」



 オフィリアに響きの似た、けれど別の名前。それを呼ばれた瞬間、心が震えたのが分かった。ああ、これはたしかに――魂の名前なのだろうと。女王が“オフィリア”の名を聞いて笑っていたのは、よく似た名前だったからだろうか。



「ティタニアス。私も貴方を愛しているわ」



 互いの名を呼んで愛を言葉にする。不意打ちのように婚姻の誓いをしてしまったから、これはそのやり直しである。完全に不測の事態で、図らずも夫婦になってしまったのは私の思い描いた形ではないけれど、今、魂で繋がったような幸福感に満たされていることは間違いではない。

 ぱたん、ぱたんと満足そうに奏でる尻尾の音から察するに、彼も同じ気持ちではないだろうか。



「……これからは伴侶としてよろしくお願いね」


「ああ。……大事にする」



 どちらからともなく唇を重ねて笑いあう。ティタニアスが私を大事にしすぎるであろうことは予想できるので、夫婦としての道のりもまだまだ長いはずだ。


 それでもこの日、私は友人から始めた番の竜と夫婦になった。……夫婦としての一歩目はまず、帰って両親や弟にどう報告するべきか考えるところから始めよう。



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はぐれ妖精姫は番の竜とお友達から始めることになりました Mikura @innkohousiMikura

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