幕間の視線

 戦闘終了後の基地から遥か離れた森の中、男と少年がいた。

 男は双眼鏡で自軍が壊滅した戦場を観察している。デジタル式では無い、眼鏡がんきょうを使った”本物”の双眼鏡だ。

 男は隣の少年に手信号で合図した。H M Dヘッドマウントディスプレイ型の総合観測機を少年が外し、大きくて丸い目と細く流麗な眉を露にした。

『あーあ、結局やられてやんの』

 少年の呆れたような言葉が声ではない音で伝わる。

狼兄ランにいの立案通り最初から第二軍も投入してれば勝ってたのに』

 それは、歯を使うかちかちやぎりぎりという音、舌を小さく鳴らす微音を用いての暗号音信だ。

『緊急通信でも隠蔽経路を使用しろって命令していたのに。なんであの連中は勝つと思い込んでるときは驕慢で、ちょっとでも反撃されると直ぐ逃げようとするのかな。誇りがないのかな』

『言葉を慎め小狼シャオラン。どこから奴らに伝わるか分からんぞ』

『塹壕基地の兵達ならともかく、連中なんかに位置暴露ばれするもんか』

 男と小狼シャオランと呼ばれた少年はギリースーツを着用していた。基礎となるスーツは配給品だが、その表層の偽装は彼らが現地で拵えたものだ。泥や草木、樹皮を使ったそれは、特殊部隊のハイパーステルスと同等の機能を果たす。

 一族秘伝の潜伏技法だ。機械頼みの尸位素餐しいそさんに見破れはしない。

『あーあ、同じ国民なのにあんな連中に支配されてるなんて、やだやだ』

 男の手が、枝が揺らめく自然な動作で小狼シャオランのメットを小突く。

 この砂利子じゃりんこは昔からちっとも言うことを聞かなかった。

『我ら一族の敗北と隷従は俺の不是つみだ。この影狼ユンランを恨め』

狼兄ランにいはわるくない!」

 出してはならぬ、声を使って言った。

 男、影狼ユンランは双眼鏡から眼を切って相手を見る。

狼兄ランにいのせいじゃないもん……!あいつらがあんな、あんな外道を……」

 炭を塗った唇を噛み切り、端整な目元を必死で皺めていた。筋肉と痛覚で涙腺を締めているのだ。涙は迷彩顔料を崩し、濡れた瞳は森の中でもよく目立ってしまう。

 影狼ユンランが左腕を小狼シャオランの首に回し、引き寄せて頭を優しく叩く。思い出させてしまったのだろう。

「済まんな。良くない言い方だった」

 耳元にて最小音量の声で話す。

 小狼シャオランは一度眼をギュッと閉じた。開いた後はもう平静に復帰している。生意気だが、強い子だ。だから影狼ユンランは信用して隣に置いている。

『帰還するぞ。充分だ』

『了解』

 観測装備を収納し帰還態勢に移行する。不用意な動作で一瞬見えた二人の姿は、まだそこにいる筈なのにもう誰にも認識できない。

 影狼ユンランが最後にもう一度、敵の方に向く。

 巨人の輝く影は離れていても目視で良く見えた。

(また会おう、守護戦士たる乙女)

 背を向けて隠蔽状態を崩すことなく移動し始める。

(果たして彼女は守りきれるのだろうか)

 男と少年は濃い森の影へと深く深く沈んで行った。






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