ep.Lemon 後編

 俺は2階の自分の寝室に上條を招き入れると、まずエアコンのスイッチを入れた。

 寝室といってもちゃんとしたベッドが置いてあるわけでもオシャレなインテリアで彩られているわけでもなく、畳の上にマットレスを直においてあるだけの、殺風景な狭い和室だ。

 だが、しかし!なんとこの部屋にはカーテンがある。

 俺は特に普段生活するぶんには外の目とか陽射しとかは気にならないんだけど、さすがにベッドのある場所だけは外からの視線は避けたいし、起きるギリギリの時間まで部屋を暗いままにしておきたい。

 分厚い遮光カーテンを一気にシャッと閉めたら、いきなり部屋が暗転したのに一瞬目がついて行かなくて、どこに上條がいるのかわからなくなってしまった。

 あれ、やべっと思った瞬間、後ろでパチと音がすると室内がぼおっと薄い灯りに包まれた。

 上條が、マットレスの横に置いてあった低い台の上の電気スタンドを点けたのだ。

 ナイス、とそっちへ向かって歩いて行くと、上條は電気スタンドを台から降ろし、代わりにそこに下から持ってきたオレンジの皿を載せると、床に降ろしたスタンドの傘をマットレスとは逆の方向へ向けていた。

 何をしたいのかは大体想像がついたが、ちょっと意地悪したくなった俺は、「なんでそっちに向けるんだよ」と上條に訊ねた。

「恥ずかしいんだよ!」

 本当に恥ずかしそうに言う上條の顔を見て、予想通りの反応に満足した俺はマットレスの上に寝転ぶ。

 さあ、ハニー。キミもこっちへおいで。

 でも上條はその場にしゃがみ込んだまま、スタンドの灯りに照らされた、俺が襖を全部外して棚代わりに使っている押し入れの中を眺めていた。

「すごい量の本だな」

 上條が呟く。ああ、そこ?

「全部、俺のじゃねえよ。3分の1くらいは姉ちゃんが引っ越したときに置いてったやつ」

 俺は、100冊くらいはある本の山を指差しながら言った。子どものときからちょこちょこ買っていたやつなので、児童書なんかも混ざっている。

 元々は眠れないときに読んだり眺めたりしていたものだ。でも薬を飲んで寝るようになった最近は、もっぱら寝る前、ちょっと前なら上條と一緒に過ごしていた時間に、俺は本を読む。やっぱり1人は、ちょっとキツい。

「あ、そうだ!」

 俺はガバっと起き上がると上條の隣に行って一緒に押し入れの前にしゃがみ込むと、乱雑に積み上げられた本の中から、『変人だけど天才数学者と少年の交流』を描いた文庫本サイズの小説を探した。4日くらい前に読んで、次、上條に会ったら話そうと思っていたやつだ。

「前に虚数のアイデンティティについて話したことあったろ」

「ん?ああ、うん、そういえば」

 あ、あった。これだ。

「アイツを確立してくれるやつがあったんだよ。これにさ、『オイラーの等式』っていうのが出てくるんだけど…」

 そう言って本の表紙を上條に向けると……俺は、上條がなんとも微妙な顔をしていることに気がついた。

 あ…しまった。これから情事を始めようってときにする話じゃなかったな…。

 俺は自分の無粋を反省すると、本を押し入れに戻し、上條にキスをした。さあ、続きを始めようぜ。


 はあっ…はあっ…。

 上條の息が上がっていく。でも以前俺が言ったことを気にしているのか、声を出さないように必死になっている様子が伝わってくる。だから俺はムキになって、なんとか上條のもっと敏感な部分を探し当てようと、体中に手と唇を這わせる。

「んんっ!」

 ビクッと体を震わせながら出た声に、自分が1番びっくりしたといった様子で目を大きく見開くと、上條は恥ずかしそうに片手で自分の顔を覆った。

 ああ…こいつはホントに色っぽい。

 学校ではいつも優等生面してるこいつのこんな姿見れんの、俺だけだよね。クラスの連中は誰も知らないよね。そんなことが、単純かも知れないけど俺には最高に嬉しい。

 あーでも元彼は知ってんだよなあ。…くそ。こうなったら俺の思い出で全部、上書きしてやるからな。みとけよ。


「ぷはあ〜っ」

 力尽きた俺は、一足先に果てた上條の上にバッタリと倒れ込んだ。

「あっ、そこ、俺のが……」

 慌てた様子で上條が身じろぎしようとするのを、俺の脱力した全体重が邪魔をして動けなくしている。

 お腹の下のベタベタなら、全然気にならないよ。

 それより、もう少しこうやって、上條の心臓の音を感じていたい。

 上條は動くのを諦めたようで、その代わり右手でゆっくりと俺の頭を撫でてくれた。……うん、落ち着く。

 やっぱり家に帰ってきて良かった。ここまでは俺の計算どおり。上條が実家に帰ったのは予想外だったけど。

 俺、早くこの家を出たかったんだ。だから、上條が一緒に暮らそうって言ってくれたとき、すげー嬉しかった。

 でもまさか、あんなことになるなんてな〜。俺、自分が思ってた以上に無力だったし、病んでたんだな〜って思い知ったよ。

 でももう二度とこの家には帰りたくなかったんだ。せっかく出られたのに、上條とずっと一緒に居たいのにって。でも身の程知らずだったよな。

 決心がついたのは、上條の言葉があったから。

 上條、言ったじゃん?『先のことを考えて1番いいと思ったことをしたいだけだ』って。俺、上條の行動力には本当に助けられたし、『暴走列車』だなんて言っちゃったけど、実はそういうとこめっちゃ尊敬してんだよね。

 だから俺も考えたんだ。例えば10年後、まだ上條と一緒に居られる為にはどうしたらいいのか。一生懸命逆算してさ。数学の問題解くみたいに。

 だって上條、行動力はすごいけど、その後すぐ震えたり泣いちゃったりするんだから、俺がそばに居ないと、危なっかしくて見てられないんだよ。

 だからそのために俺が導き出した答えは、まずは上條と恋人同士になる。そしたら家に帰って、ここで頑張って勉強して、家事も練習して、一人前になってから、もう一度この家を出る。そんで上條がオッケーしてくれたらまた2人で一緒に暮らす。

 そしたら今度こそ、絶対、俺が上條のこと守るから、それまでずっと、俺のものでいて。




   〈レモンの色と朝焼けのオレンジ・終〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

レモンの色と朝焼けのオレンジ 笹木シスコ @nobbit

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ