第25話

 次の日も、俺がアラームで目覚める前に杉本はもう起きていた。

 「見て、見て〜」と、はしゃいだ様子でお皿を2つ、キッチンから持ってきてローテーブルの上に置くと「俺の初、朝ごはん」と胸を張ってみせる。

 お皿の上には、白身が焦げて食べたらガリガリいいそうな目玉焼きが2つ(おまけに1つは黄身が潰れている)と、ソーセージ、カット野菜のサラダが載っていた。

 完璧とは言い難いが、卵を綺麗に割ることすらできなかった頃に比べれば、随分な成長ぶりだ。

「すげーじゃん」俺が言うと、「パン焼いとくから顔、洗っといでよ」と杉本がキッチンへ戻っていった。

「なんか昨日から急に早起きだな」

 俺がベッドから降りながらキッチンに向かって声をかけると「んー。夏って早く目が覚めるよね」と、パンの袋をガサガサさせる音とともに杉本の声が聞こえた。

 まだ夏って時期でもないだろうに…と思いながら廊下に出て、トースターに顔を突っ込むようにしてパンを並べている杉本を横目にユニットバスに入る。

 もしかしたら、俺と規則正しい生活を送っている内に早起き体質になったんだろうか、などと呑気なことを考えながら、歯ブラシに歯磨き粉を絞り出した。


 それから毎日、杉本の早起きは続いた。そして心なしかだんだん元気がなくなっていった。まずスキンシップがない。アパートに帰るとずっとゴロゴロしている。そういうとき、以前なら決まってスマホをいじっていたのに、今はそれすらしないで、ただ横になって目をつむっている。眠っている感じはない。

 期末テストが近づいていた。

「杉本、勉強しないで大丈夫?」

 俺は夕飯の支度をしながら訊ねた。杉本はもう手伝いにすら来ないで、俺のベッドに転がりながら「んー」とだけ答える。慣れない生活で疲れが出ているのかも知れない。でもあんなにゴロゴロしてばっかりいたら余計に朝早く目が覚めるだろうに、と思いながらもそっとしておくことにした。


 次の日、俺がまだ眠りの中にいると、顔を何かスーッと冷たいものが撫でたような気がして目が覚めた。

 部屋の中はまだ薄暗い。無意識に杉本の布団を確認すると、そこにいるばずの杉本の姿が無い。

「え?」

 咄嗟に時間を確認すると、スマホの画面は4:45となっていた。

 ただならぬ予感がしてベッドから起き上がると、目の端で何かがフワッと揺れる気配がした。自然とそっちへ視線を移すと、僅かにカーテンが揺れている。窓が開いているのだ、とわかった。

 ベッドから降りてカーテンをめくると、少しだけ開いた窓の向こう、ベランダの手すりに両腕を預けて、こっちに背中を向けて立っている杉本が見えた。

「杉本」

 言いながら窓を大きく開けると、杉本はこっちを振り向いて「あ、起こした?ごめんね」と笑ってみせた。久しぶりの笑顔だったかも知れない。そしてその笑顔の向こうに…。

「おお。焼けてんな」思わず目を奪われた。

「だろ?すげーよな」

 杉本が目を戻した先、その先にある空が見事な朝焼け空になっていた。

 薄く横にたなびく雲の隙間から、大きく燃える火が雲を焼き照らしているかのように、空が鮮やかなオレンジ色に染まっている。

 アパートの前には大きな段差があり、向かいの建物は低い位置に建っているため見通しがよく、俺のアパートの2階のベランダからでも、昇ったばかりの太陽が織りなす光のアートがよく見えていた。

「俺、朝焼けって初めて見たよ」杉本が言った。

「え?マジで?」

 俺もベランダに出て杉本の隣に並んで手すりに腕を載せる。

「上條、あるの?」

「あるよ。中学のとき試合で朝、早かったときとか」

「中学んとき何やってたの?」

「バレーボール」

「マジかよ。じゃ、なんであんな運動オンチなんだよ」

 なんでおまえが俺が運動オンチだって知ってるんだよ、と、ちょっとムッとして何か言い返してやろうとしたとき「あ」杉本が何かに気づいたように俺の顔を見た。

「名前が入ってんじゃん」

「名前?」

 俺がぽかんとしていると、いたずらっぽく笑いながら「『あさや』け」と、『け』だけ少し離して言ってみせた。

「おおっ」と、思わず感心する。「気づかんかった」

 杉本が、ははっと笑った。

 アパートの前の道を、朝刊を運ぶ新聞屋さんのバイクが走っていく。杉本はそのことは意に介さず、再び空に目を戻すと「綺麗だな」と呟いた。

 早朝のまだ白い空気が、色白な杉本の横顔を包んで、更にその白さを際立たせていた。

 綺麗なのは、おまえだよ。と、心のなかで呟いて、少し泣きそうになった。


 その日の昼休み、急いでパンと牛乳を口に詰め込んだ俺は「ちょっと散歩してくる」と高橋たちに言いおいて、何処かで1人で昼食を摂っているはずの杉本を探しに行った。

 今朝は結局あのまま二度寝することなく学校へ来てしまったので、最近お疲れ気味らしい杉本のことが少し心配だった。ていうか俺も眠くて仕方ないので、杉本が何処かで寝ているなら俺も一緒に寝たいと思っていた。

 電話で居場所を確認したかったけど校内でのスマホの使用は禁止されている。こっそり『どこ?』と入れたメッセージに既読はつかない。

 階段を降りて渡り廊下へ出たところで、「最近、真咲と遊んでね〜」という声が聞こえて、思わず扉のカゲに身を隠した。

 そっと声のした方を覗いてみると、杉本がいつもつるんでいた3人組が、思い思いの姿勢で中庭に設置してあるベンチを陣取っていた。

 杉本のことを話してる、と思った俺はなんとなくそのまま立ち去ることが出来ず、3人の会話に耳をそばだてた。

「ていうか、俺、何回も誘ってんのにさ、いっつも適当なこと言って断ってくんだよ」

 仲間の1人が言った。誘っているのに断っているって…どういうことだ?自然消滅していたわけじゃないのか?

「なんかずっとあいつと一緒にいるじゃん。ほらあの、ホモのやつ」

 どくん、と心臓が波打つ。

「てことは、やっぱあれか〜」

 嫌な予感がした。


「ついに掘られたか」


「おい」

「うわっ、びっくりした〜」

 後先考えず飛び出した俺を見て、3人組が驚いて立ち上がり後ずさった。

 いきなり胸ぐらを掴む度胸なんてない。だけど何か言ってやらなきゃ気が済まない。俺だけならまだしも、こいつらは杉本のことも侮辱している。

「俺と杉本は、そんなんじゃない」

 さっきまで目を丸くして俺のことを凝視していたそいつらは、俺の言葉を聞くなり、ぷっ、と吹き出すと「『俺と杉本』だって」と、互いに目を見合わせて笑いだした。

 何が可笑しいんだよ、と、ますます頭に血が昇った俺は、「お前らは杉本のこと利用したいだけだろ!もう誘ってくんな!」と、怒鳴った。

「あ?」

 相手の顔色が瞬時に変わる。

「誰が利用したいって?」

 そいつらは凄んだ顔をして俺に近づいてくると、1番前にいたやつが俺の胸ぐらを掴んだ。そっちが先に掴んでんじゃねえよ、と、俺を掴んでいる腕をぐっ、と握る。引いてたまるか。足に力を入れた。

「お前ら、杉本の部屋ラブホ代わりにしたり奢ってもらったりしたいだけだろ?そんなの友だちでも何でもないんだよ!」

「…んだと?」

 俺の胸ぐらを掴んだ手に、もう1段階強い力が加わった。

「俺らはいいっつってんのに、あいつからそうしたいって言ってきてんだよ!だからこっちも真咲を楽しませようと色々考えてんのに…何にも知らねえくせに後から来て勝手なこと言ってんじゃねえよ!」

 え…?あ…あ〜。なんか…。ちょっと、目が覚めました。

 急速に冷静になっていく俺の頭が、今、目の前で起きている事態をどう終息させようかという方向にシフトチェンジをし始めた。

 そのとき、「何やってんだ!」いきなり渡り廊下の方から聞こえた怒鳴り声に、「やべ」と3人組は俺から離れると、渡り廊下とは反対方向に走って逃げて行った。

「何されてた?」

 どこぞのクラスの先生かは知らないけど、いかつい声に似っかわしくない細っこい体つきの男性教諭が、1人残された俺に事情聴取をしてくる。

 パッと見、ヤンチャな3人組に因縁つけられてる真面目くんって感じだったな、的に。と、客観的な視点でさっきの状況を分析しつつ、俺はなるべく大事にしないための言い訳を必死で考えた。最近自覚し始めたんだけど、こういう追い詰められ方をされたときの、俺は強い。

「あの、ちょっと誤解があって、話し合ってたんですけど、もう誤解はとけました。本当にただの僕の勘違いだったので、彼らは悪くありません。もう話し合いは済んだんで大丈夫です」10割本当ですよ、と付け加えようとしてやめた。

 声だけ先生は、一応俺のクラスと名前を確認した後、彼らのクラスと名前も訊いてきたけど、「知りません」と答えた。杉本の友だちという以外、本当に何も知らなかった。

 そして、そのままその先生は去っていった。もしかしたら武田先生に報告されて、迷惑をかけてしまうかもしれない。でも、確かに10割本当なんです。俺は誤解していた。あいつらのことも。杉本のことも。いや、杉本のことは知っていた。でも忘れていた。杉本が、相手に奉仕することで、愛情を繋ぎ止めようとする人間だってことを。




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