第24話

 俺は杉本と暮らすことにだんだんと順応していった。

 杉本は相変わらず、朝、起こすのに骨が折れるし不器用すぎてフォローが大変だけど、ちゃんと洗い物は泡を残さずに出来るようになったし、家電の扱いは、もう完璧だ。といっても最近の家電はスイッチ1つであとは全自動のものがほとんどなんだけど。

 でも、冷凍しておいた食品を解凍したりパンを焼いたり、洗濯機を回してもらえるだけでも俺は随分、楽になった。

 武田先生が「杉本、最近、遅刻しなくなったな〜」と朝のホームルームで顔をほころばせたときは『俺が毎朝、起こしてるんです』と言うわけにもいかず、隣でポーカーフェイスを決め込んだ。

 校内でキャッシュレス決済は使えないので、スーパーで買い物をするときは杉本がスマホで払い、半額分を現金で俺から杉本に渡し、杉本はそのお金で売店で昼飯を買う。

 最近、以前の仲間とはつるんでいないようだった。ケンカしたとかではなさそうだ。どうも自然消滅したっぽく、そのことに俺は少しほっとしていた。どう考えてもあいつら、杉本を利用していたとしか思えない。

 俺は、お昼一緒に食べようと杉本を誘ってみたけど「高橋たちと食うんだろ?俺はいい」と言っていつも1人で何処かへ行ってしまう。どうも高橋グループは苦手みたいだ。

 俺は、未だに俺の噂を聞きつけて「あの人、あの人」と、こっそり覗きにやってくる人たちを、「見せもんじゃねーぞ」と追い払ってくれたり「気にすんな」と声をかけてくれたりすることに感謝しているので、高橋たちと一緒は居心地がいい。見せもんになることは、ある程度は覚悟していたけど、こんなのを1人で受け止め続けていたらと思うと、メンタル的にどうなっていたかわからない。でも杉本にとっては苦手なら、それはまあしょうがない。


 そんな杉本でもアパートに戻ると、一貫してスキンシップが多い。背中にくっついたり腕を絡めたり、気づくと体のどこかが俺に触れている。

 今までこんなふうに出来る相手がいなかったから、今、それを一気に取り戻そうとしているのかも知れないと好きにさせているけど…おかげで自然と俺の自慰の回数が増えた。浴槽の中でシャワーの音を全開にして、すぐそこに居る相手を想って1人で抜くのはなかなかMっ気のある行為だな、とは思うけど、杉本がそれ以上を求めてこない限りはそうするしかない。

 前に…途中で拒否ったことを根に持っているようなそぶりを見せたけど、所詮、本気じゃなかったんだよな。そりゃ、そうだ。俺だってあのときは、ちょっと流されかけただけだし。最後までしなくてよかった。してたらもっと俗っぽい関係になっていて、今のようにはなってなかったかも知れない。

 俺は杉本が本気で好きになる女の子が現れるまでの間、杉本の寂しさを埋める相手。もしくは家族の代わり。俺にまともな性欲がある限り、そんな高尚な気持ちでいることなんて、いつまで続くかわからないけど。いっそのこと、いつか杉本が言ってたみたいに掲示板でセックスの相手を探すのもいいかも知れない。どうせもう不毛な恋にはなっているわけだし、ネット上には、ちゃんとそれを求めていることを明確にしている人たちがたくさん居る。

 そんなことを考えながら、多少、後ろめたい気持ちでバスルームを出た。


 先にシャワーを済ませていた杉本が、ローテーブルに肘を付きながら、テーブルの上に載せたプリントを眺めていた。

 なんのプリントを眺めているのかはすぐに分かった。俺も今日、学校で同じものを貰ったから。

『三者懇談会のお知らせ』プリントの見出しにはそう書かれていた。

 気が重い…。やっぱり親に頼むしかないよな。ていうか、杉本はどうしよう…こんなことしていて、お義母さん…は無いか。お父さんは来てくれるんだろうか。

「杉本…それ、どうしようか」

 俺はバスタオルを首にかけながら恐る恐る杉本に訊ねた。

「え?」

 杉本はプリントから顔をあげて俺を見ると「あ、姉ちゃんに頼むよ?夏休み中だし」と事も無げに言った。

 あ?そうか、三者懇、夏休み中にやるのか。てことは…悩んでるの俺だけかよ…。

 なんか腑に落ちない気持ちで杉本の向かいに座る。

「上條は、母ちゃんに頼む?」

 杉本がプリントの角を三角に折りながら訊いた。そして更に三角に沿って折り目をつけると、折り目に沿ってビリビリと手でちぎり15センチ四方くらいの正方形を作った。

「それ破っていいのかよ」

「うん、もう写真撮って姉ちゃんに送ったし」

 おい、やること早いな。俺も親に送らなきゃ…あ〜でも、気が重い。当日は会うことになるし、会ったら何を話していいかわからない。なんか、深刻な話に発展したら困るし、俺にはまだそんな覚悟は出来ていない。なんで俺にも解ってくれる兄ちゃんか姉ちゃんがいないんだ。よし、送るのは明日にしよう、まだ締め切りは先だし…と結論を先延ばしにしている俺の前で、杉本の手の中の正方形が少しずつ折り畳まれていく。そして三角が四角に変わり、その下半分が真ん中の線に合わせて両方に折り合わされたところで「鶴?」何を作っているのか見当がついた。

「うん」

 杉本は1回折るたびに、折り目をぐっ、ぐっと指で押さえて角を鋭くしていく。その顔は、数学の問題を解いているときの様に真剣だ。

 杉本は鶴を折る手を休めないまま「上條は、鶴の折り方、誰に教わったか覚えてる?」と言った。

「え?ん〜…」

 そういえば誰にだっけ?友だちが入院したときとか、背が高いというだけでスカウトされた中学時代のバレー部の優勝祈願で、そんな暇あるなら練習すれば?と思われそうなくらいたくさん折ったけど、1番最初に折ったときのことなんて覚えていない。「覚えてないよ」

「俺はめっちゃ覚えてる」

 杉本が尻尾と頭の部分を器用に折りながら言った。

「お母さんが入院してたときにさ、親父が先生と話があるって言って、俺と姉ちゃんの2人でお母さんの病室で待ってたんだよね。そんときはお母さんもまだ結構元気でさ、治療すれば治るって信じてた。それで姉ちゃんが、持ってた折り紙出して鶴の折り方を教えてってお母さんに言ったんだよ。で、俺もやりたいって言ったら、姉ちゃんが『真咲はまだちっちゃいから無理だよ』って言ったんだけど、俺がどうしてもやりたいって駄々こねて、お母さんが『じゃあ真咲もやってごらん』って言って折り紙を渡してくれたの。俺が3歳くらいのときね。そんで折り始めたらさ、俺、なんか知んないけどお母さんがやろうとしてることが手に取るように解ってさ、姉ちゃんは手伝ってもらいながらやってたけど、俺は1人で出来ちゃったんだよね。そしたら、お母さんがさ『真咲は賢いね』って言ったんだよ」

 そう言って杉本は、折り上がった鶴の羽根を両側にキュッと拡げてテーブルに置くと、その鶴を親指と人差し指を使ってピンッと弾いた。

 弾いた鶴は正面にいた俺の胸に当たって、反射的に出した右手の中にポトンと落ちた。よくよく見てみると、角や端がピッタリ合わさって、凄く綺麗に折れている。

 おまえ…なんで不器用なくせに…。

 杉本はこんなに綺麗に折れるようになるまで、一体いくつ、鶴を折ったんだろう。


『それ』が始まったのは、杉本がお母さんと鶴を折った話をした次の日の朝からだった。

 スマホのアラームが鳴って「うー」と唸りながら重たい目を開けると、いつもならベッドのすぐ横に布団を敷いて寝ている杉本のレモン色が目に入るのに、その日の朝、布団は空っぽになっていた。

 一気に目が覚めて起き上がる。

 すると、ユニットバスの中からジャーとトイレを流す音が聞こえて、続いてガチャと扉が開くと杉本が出てきた。

「あ、おはよ」

 杉本が俺に笑いかける。

「おはよ。珍しいな、起こす前に起きるなんて」

 俺はホッとして答える。

「うん、なんか早く目が覚めた」

 言いながら杉本は布団を畳み始めた。俺は何の疑問も持たずに起き上がると、顔を洗いにユニットバスに入っていった。

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