第4話

 次の日の朝、俺は教室の自分の席に座りながら、まだ主人の現れていない右隣の席を見て考えた。

 あの電話の内容だけで杉本が一人暮らしだと決めつけるには早すぎる。

 それにあいつは、「この辺はバリバリ地元だから」と言っていた。

 じゃあ子どものころから住んでいたってことじゃないのか?だとしたら何で一人暮らしをする必要がある?

 うーん…。答えを出すには情報が少なすぎる。

 考えていると、ホームルームの開始を告げるチャイムが鳴った。

 杉本は来ない。

 1限の授業が始まっても来ない。

 おいおい、あの後、何があった。

 もうそろそろ1限が終わろうかというその時、ガラッと後ろのドアが開いて「すみませーん、寝坊しました」と杉本が入ってきた。

 1限を担当していた英語の女性教師は、「早く座りなさい」と言っただけで、すぐに授業に戻っていった。うん、まぁ担任でもないのにあんまり関わりたくはないよね。

 杉本は席に着いたものの、まだ眠そうに手のひらで目蓋を擦っている。

 おい、寝るなよ。特進クラスで授業中に寝たら、間違いなく普通クラスに降格だぞ。ていうか寝坊も既にアウトじゃないのか?

 結局杉本は最後まで寝ることなく、授業終了のチャイムと同時に机に突っ伏した。

 俺が英語の教科書を仕舞って次の授業の準備をしていたとき、同じクラスの女子が2人で何やらクスクス笑いながら近付いてきた。

 あ、来ますか?

 俺が臨戦態勢に入るのと、「あっ、真咲、来てんじゃん」と廊下から声が聴こえたのはほぼ同時だった。

「ねーねー上條くん」と女子の1人が声をかけてくる。

 隣の杉本は、んあっ?と寝ていた顔を上げて廊下を見る。

 俺は「何?」と、女子たちに答えながらも、廊下に出ていく杉本が気になる。

「上條くんてさー」と女子が言う。

 廊下では杉本の仲間たちに連れてこられたらしい、昨日は居なかったもう1人が顔の前で手を合わせて杉本に何か頼みごとをしている。あれは、もしかして…

「付き合ってる人いるの?」

「ええっ!?」

 必要以上に大きく出てしまった声に、女子たちはビクッと体を震わせると、「あ、ごめん、ごめん!嫌だよね?こんなこと訊かれたくないよね?ホント、ごめん!」とこっちが申し訳なくなるくらい小さくなって、前に突き出した両手を小刻みに何度も振りながら、教室の隅まで走って行ってしまった。

 いや、こちらこそ、ごめん。

 カミングアウトすると決めたときから、その質問は想定内だったんだけど、杉本たちに気を取られていたせいで過剰に反応してしまった。

 そんな怯えた顔しないで。本当に、ごめんね。

 とりあえず心の中で謝ってから、もう一度、杉本の方を見ると、手を合わせて頼みごとをしていた男子に何やら笑いながら話しかけていて、自分のスマホをポケットから取り出すと相手のスマホに重ね合わせどうやら連絡先の交換をしている。

 おい、それは止めたほうがいいんじゃないか?

 ハラハラしながら眺めていると、杉本は仲間たちに手を振って一旦の別れを告げ、教室内に戻ってきたところで俺と目が合った。

「何でそんな変な顔してんの?」

 杉本に言われて腹がたった。変な顔って何だよ。こっちは心配してるのに。

 もう知るか。おまえのプライベートなんか俺には関係ない。

 返事もせずにプイと横を向いたところで授業の開始を報せるチャイムが鳴った。


 昼休みになり、俺は売店にパンでも買いに行こうと教室を出た。

 親と暮らしていた頃は毎日、母親の手作り弁当だったけど、さすがに弁当を自分で作るにはまだ余裕も技術もない。

 編入時にもらった校内の地図を頭の中で思い描きながら廊下を進んでいく。

 校内は、売店へ進む人たち、外で食べようと階段を下りていく人たち、隣の教室を覗きに行く人たち、など色んな流れが出来てごった返していた。

 人の流れをかき分けながら、やっとの思いで売店にたどり着くと、売店の向かいにある学食へ入っていく杉本と仲間たちが見えた。いっつもつるんでるなぁ、あいつら。

 学食は高くつくから行かない。なるべく生活費は節約しようと決めていた。親のお金だし、なるべく無駄に使いたくはない。まぁ昨日コンビニには行っちゃったけど。

 売店でパンを2つとパックの牛乳を買うと、いくらか人の流れが落ち着いた廊下を通って自分の教室に戻ってきた。

 自分の席に座り、1人で牛乳のパックにストローを刺していると「上條ーっ、一緒に食わない?」と前の方に座っていた3人組の男子から声をかけられた。

 うん、どこにでもいるよね、こういう優しい人たち、と俺は嬉しくなる。

 杉本に呼び捨てにされたときはイラッとしたけど、今のは全然平気。

 有り難く仲間に入れてもらうことにして、パンと牛乳を持って3人の座っている席の横に腰を下ろした。

「上條ってさー、引っ越してきたんだよね?親の転勤かなんか?」

 3人のうちの1人に訊かれた。えーと、キミは確か高橋くん。

「うん、まぁ」

 曖昧に答える。ギリ、嘘ではないかな。

「どの辺に住んでんの?」

 キミは…そうだ、薮内くんだ。

 俺は自分のアパートの場所ではなく、親の住むマンションのある駅名を告げた。これは…9割ウソ…いや10割か?せっかく仲間に入れてくれた恩人に、さっそくウソついてる俺。

「えーっ!そんなとこから通ってんの?ちょっと面倒くさくね?」

 もう1人の男子、斉藤くんに言われて「うん、まぁね。でもそのうち慣れるかな」と答えた。

 その後も、どこから来たんだ、とか俺が前に住んでたところの名産品やら観光するならどこ?なんかの話が続いて、一通り質問タイムが終わったところで、「なぁなぁ」と高橋が声をひそめた。

 自然に全員、体が高橋に向かって前のめりになる。

「1年に入ってきた、めっちゃ可愛いっていってた子、彼氏いないらしいぞ」

 高橋が重大ニュースでも発表するかのように言うと、俺を除く残りの2人が、おぉ〜っと歓声をあげた。

 あげたところで、みんな一斉に、あ、という顔をして俺の顔を見る。

 俺は、にっこり笑って頷く。大丈夫だよ?気にしないで続けて?

 みんなちょっとバツの悪そうな顔をして、「そういえば…」と無理やり話題をかえようとしていた。

 やっぱり気ぃ使うか…。ていうか、気ぃ使って欲しくないから俺、自己紹介で気にしないでくださいって言ったつもりだったんだけど…無理あったかなぁ…。

 これからもこんなことがあるたびに、大丈夫、気にしないで、の合図を送り続けなくちゃいけないんだろうか…。


 7限までみっちり授業をこなすと帰路に着いた。駅からアパートへは真っ直ぐには戻らず、少し回ってスーパーに寄ることにする。

 今日こそはちゃんと夕飯を作ろう、と決心して。

 スーパーの入り口で買い物かごを取ると、まずは野菜コーナーへ行った。野菜はちゃんと食べないとね。

 なにげなく陳列棚を眺めていると…ん?なんだって?!俺はそこにあった袋を思わず手に取っていた。

 何種類もの野菜が既にカットされた状態で袋に入っている。

 しかも野菜の種類のよって、『野菜炒め用』『サラダ用』『ラーメンの具用』などと袋に書いてあり、俺が持っているのは『野菜炒め用』だった。

 感動だ。世の中には何て便利なものがあるんだろう。決めた。今日はこれと豚肉で肉野菜炒めを作ろう。

 そして、精肉コーナーへ行くと…

「えっ?」

 思わず声に出していた。なんと、肉も一口大にカットされている!

 これじゃ、包丁とまな板を使うことなく簡単に肉野菜炒めが出来てしまう。

 スーパーってすげぇな…。

 俺は思わず全国のスーパーの店員さんたちに感謝したくなった。いやカットしているのが店員さんかどうかは知らないけど。


 買い物を終えアパートに帰ると、きちんと制服をハンガーにかけ、そのまま浴室に向かって真っ裸になるとシャワーを浴びた。

 何も毎日お湯を張る必要はない。

 ちゃんとシャンプーもして、タオルで体を拭くと、クローゼットへ行って衣装ケースの中の下着とTシャツを身につける。

 それだけだとちょっと寒かったので、上にパーカーとジャージのズボンも着た。

 そしていよいよ肉野菜炒めを作る。

 うわ、すげぇ楽。油をひいたフライパンに全部ぶっ込んで炒めるだけ。おっと、塩コショウしないと。あぶなかった…味がしない肉野菜炒めになるとこだった。

 ご飯のストックを温める。あーもう、ラス1か。明日はご飯を炊かなければ。

 出来た料理をローテーブルに並べる。味噌汁はインスタントだけどまぁ良し。

 完璧だ。味も美味い。時短、コスト、栄養面、全て完璧。これは結構やってけるんじゃない?


 フライパンや食器を洗い終わると、学校から出された宿題に取り掛かることにした。

 今日は金曜日で、明日明後日は休みだからなのか、宿題が山ほど出た。

 あのクラスは、元気有り余る高校生をのうのうと遊ばせておく気はないらしい。

 明日から始めても間に合うような気はしたが、明日は溜まっている洗濯物を片付けてご飯のストックを作って、出来れば掃除もしたい。

 だから、やれるうちにやっておかなければ。

 テーブルを布巾で拭いて、テキストとノートを開いた。

 小一時間ほどやったところでスマホの画面を見る。

 もうすぐ9時になろうかというところで、俺はふと、杉本のことを思い出した。

 廊下で何か頼まれていた。

 もしかして、あいつは今日も他人に部屋を貸して、自分は夜の街を彷徨っているのか?

 杉本の、裸足にサンダルを突っ掛けただけの細い足が目に浮かぶ。

 いやいやいやいや、捨て犬じゃないんだから。

 自分の居場所ぐらい自分で確保してるだろ。集中、集中。

 なんとか頭を宿題に戻そうとするけど…あの、裸足にサンダルが…。

 くそっ。

 俺は小さく呟くと、シャーペンをテーブルに叩きつけて立ち上がると、玄関へ行って裸足のままスニーカーに足を突っ込んだ。

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