第29話「どうしても憎めないちっこい先輩(2)」

 待ち合わせの十分前、小町先輩は既に待ち合わせ場所に来ていた。


 土曜日。駅前の交番前。


 パステルカラーのチェックのデザインワンピースに、ベレー帽。

 ワンポイントに、先日選んだ三日月のペンダントが胸元で光っていた。

 先輩の可愛らしさがよく出ていて、お世辞抜きに似合っていた。

 この格好では小学生だなんてバカにする人もいないだろう。


 小町先輩は、交番の窓ガラスで髪は変じゃないか、服はちゃんと決まっているかと確認している。もちろん、窓ガラスを一枚隔てた向こうには警察官の方々がいる。彼らはそんな小町先輩の様子を見て、微笑ましそうにしていた。


 やがて小町先輩も気づいたのか、恥ずかしそうに愛想笑いを浮かべて、やっとこちらを向いた。


「あ、れ、蓮くん! もぉ、来てたなら声かけてよね」


「こんにちは、小町先輩」


「い、今の……見てた?」


「今の……とは? 窓ガラスで身だしなみチェックをしていたら、警察官と目が合っちゃったことですか?」


「わざわざ説明しなくていいんだよぉ! もぅ……蓮くんのばか」


 今時の女子高生らしい可愛い格好だなんて思ったけれど、やっぱり中身はあの小町先輩のままだった。


「はは、すみません。その服良くに合ってますね」


「本当!? やった! 悩んだ甲斐があったな」


 小町先輩はその場で控えめにジャンプして喜びを表す。


「蓮くんも似合ってるよ! でも、ちょっと意外だな。もう少し落ち着いた感じだと思ってたな」


「まあ、基本的に服はアルエットで買うので」


 オーバーサイズのパーカーに、イエローのパンツ。全く売れないからという理由で、澪さんから押し付けられたシルバーのネックレス。

 まあ、たしかに、どちらかと言えば派手な部類ではあるだろう。


「あー、なるほど! じゃあ、それは澪さんが選んだのかな。さすがだね」


 今回訪れる美術展は、抽象画が有名なスペインの画家について取り上げたものだった。

 三ヶ月限定で、この舞花駅東口のビルのスペースを借りて開かれている。

 例え、普段から美術に触れていないものでも、名前くらいは聞いたことあるだろうというくらいに有名な画家で、今は亡くなっているものの、美術界に大きな影響を残したのは間違いない。


「楽しみだな」


 小町先輩はそわそわした様子で、順番待ちの列に並んでいる。

 彼女は本当に絵を描くことが好きなんだろうな。


「俺、抽象画はよくわからないんですよね」


「んー、私もあんまり描くことはないかな。でも、わからないものってやっぱり、わくわくするよね。何か発見があるかもしれないしね」


「たしかに…………そうですよね」


 抽象画とは、実際に存在しないものを描いた絵画のことである。

 抽象画には、風景、人物など具体的なものより、作家のイメージや概念が色濃く反映されたものである。

 ピカソの絵なんかを思い浮かべていただくのが手っ取り早いだろうか。


「あんなのはただのラクガキだ」、「自分でも描けそうだ」、「何を描いてるのかわからない」なんて言われがちで、とっつきにくさもあるかもしれない。


 かく言う俺も、抽象画についての理解は浅い。

 いまいち見方はわからないし、正直好きではないと思う。


 でも、知らないものはわくわくする、そんなことを言われては、自分の考えの方が恥ずべきものに思えてくる。


 作品の解釈は、観者の感じたそれが正解である、と俺は思っている。

 作者の意図より、観者の解釈が優先されるべきで、作者の手を離れたその作品をどう評するか、受け取るかはまったく観者に委ねられるものであると。


 だから、まあ、俺は俺なりにそこに楽しみ方を見つければいいという話で…………でも、きっと小町先輩はそれを楽しむだけで終わらせないのだろうけど。


「先輩はきっと、これからもっと上手くなりますね」


「そ、そうかな。でも、蓮くんにそう言われたら、頑張るしかないな。えへへ」


 受付のお姉さんにチケットを見せて、入場。


 この美術展では、画家のルーツを辿りながら、作品の形式が取られていた。

 彼の出生から、学校のこと、彼が育った街のこと、彼のアトリエについて――。


 俺はやはり、抽象画についてはよくわからなかったけれど、画家の彼のことについては非常に興味深かった。


 この絵が何を表していて、どういうモチーフで……なんて考えるのはピンとこなかったけれど、彼がどんな気持ちでこれを描いたか、それを考えるのは楽しかった。


「………………すごいね」


 小町先輩は、一枚の絵をジッと見つめていて、一言そう呟いた。

 引きこまれそうなほどに透き通った瞳で、彼女は何を感じ取ったのか。


 すごい、一言そう言えてしまう彼女がきっと一番すごい。

 俺は今日まで彼女がここまで真剣だとは知らなかった。

 なればこそ、どうしてそこまで俺に固執するのかがわからなかった。


 きっと、小町先輩は過去の俺の絵を美化している。


 俺は――こんなにも平凡だぞ。

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