第4話「俺の妹がお兄ちゃん大好きなんて言うわけないよね(4)」

 夜が明けた。

 俺はいつもと同じ時間に目を覚まし、いつもと同じように台所に立つ。

 豆腐とワカメで簡単に味噌汁を作る。

 昨日のうちにセットしておいた炊飯器を開けると、蒸気と共に煌びやかな白米が顔をのぞかせた。


「はあ…………」


 気まずい、非常に気まずい。

 やはり、璃亜のアレは思い違いではなかったのだ。


 制服に着替え、冷水で顔を引き締めた璃亜がやってきた。


「お、おはよう、璃亜」


 璃亜に声をかけると、ただ、一言。いや、一言すらない。


「ちっ」


 舌打ちだけされた。

 不機嫌を隠さず椅子に座ると、何も言わず朝ごはんを食べ始めた。


「いただきますくらい言えよ」


「は? なんですか、キモ。というか、なんでいるんですか?」


「俺の家でもあるからだよ」


 それを聞いて、璃亜は大きなため息をついた。

 心なしか、いつもより俺への態度が冷たい気がする。

 昨日あんなことがあったのだから、当たり前と言えば当たり前か。


「………………いただきます」


「お、おう」


「なんですかその顔、ウザいです。キモいです」


「いや、なんでも」


 ――お兄ちゃん!


 懐かしい呼ばれ方だ。

 璃亜との仲も昔から険悪だったわけではない。

 いつからだろうか、俺をお兄ちゃんと呼んでくれなくなったのは。

 いつからだろうか、璃亜から話しかけてくれなくなったのは。

 璃亜と兄妹になってからすぐは、ぎこちないながらも互いに歩み寄ろうとしていたはずだ。

 それからは仲のいい兄妹だったはずなのに。


「ねえ、蓮くん」


「ん?」


「あのさ……これなんですけど」


 璃亜は恐る恐る一枚の紙を取り出して、テーブルの上に置いた。


『《高校生限定》みらいアートコンテスト』


 チラシにはポップなタッチとカラフルな色使いで書かれていた。

 それは、絵のコンクールの募集チラシだった。


「それがどうかしたのか?」


「え、いや、蓮くん出ないのかなって思いまして。いつもバイトばっかじゃ大変じゃないですか、たまには息抜きみたいな」


 璃亜は遠慮がちな、少し怯えるような表情をにじませてそう言った。

 俺は今そんなに怖い顔しているのだろうか。

 だから、できるだけ笑顔に努めて口を開く。


「出ない、出るわけないだろ」


「でも……」


「高校生になってラクガキしてなんになるんだよ。ほら、バカなこと言ってないで早く飯食っちゃえよ」


「あ、そう」


 璃亜は嫌悪に顔を歪ませると、箸を叩きつけて勢いよく席を立った。


「おい、璃亜!」


「気軽に名前呼ばないですください。兄が移るので」


 朝ごはんも半分くらい残し、ひったくるようにカバンを持って璃亜は家を出て行ってしまう。

 兄が移るってなんだよ、兄は悪口か。


「はあ…………たく、なんなんだよ、あいつは」


 璃亜が持ってきたチラシを見つめる。

 絵なんてずっと描いてない。

 今更、描けるわけがない。

 描かないと決めたじゃないか。半端なことはするなよ、俺。


「はあ…………」


 もう一度深くため息をつくと、項垂れるように背もたれに背中を預けてズルズルと落ちていく。


 ○


「今日はいつにも増して辛気臭い顔してんな、蓮」


 休み時間。

 机に突っ伏していると、陽人が正面からひょっこりと顔を出した。


「いつも辛気臭いみたいな言い方だな」


「おう、気づいてなかったのか? お前結構な仏頂面だぞ?」


 そう言って、陽太はケラケラと笑う。


「そうかよ」


「悩みごとか?」


「別に悩みってほどの悩み……なのかなあ」


「当ててやろうか、妹のことだろ」


「…………そんなにわかりやすい?」


「いや、お前が悩むときはだいたい妹関連だからな」


「そんなこと……」


 あるだろうか。

 でも、陽人がそう言うならそうなのかもしれない。

 いつもはチャラチャラしてるくせに、時々鋭いことを言うのだ、陽人は。

 たまに、お前のことなんて全部見透かしてますよ、って顔をするのだ。

 ほら、今だって妙に優しそうな目をしてやがる。


「だってほら、璃亜ちゃんと一緒に暮らすってなった時もそうだった」


「…………」


「相談乗ってやろうか」


「いや、割と言いづらいことというか……うーん。もう少し自分で考えてみる」


 陽人の口の堅さは信用しているが、璃亜からしても他人に話されて気持ちのいい話じゃないはずだ。


「そか。ま、だいたい想像はつくけどな」


「絶対考えてるのとは違うことだぞ。パッと思いつくようなやつじゃねえ」


「そうかな~。ま、話せるときが来たらいつでも言ってくれよ。俺はお前が思ってるよりもお前の味方だから」


「はいはい、ありがとよ」

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