19頁~~狂気の世界でもキミを守りたい~~

干上がってしまいそうなほどに過酷だった夏が過ぎ去って数週間。すっかり暑さも収まりようやく日々を平穏に過ごせるかと思っていた矢先、俺の日常はもろくも崩れ去ってしまった。

 

 感染した人間の知性を奪い、凶暴化させてしまう新種のウイルス【ラナウェイ】が確認されたのだ。凶暴化した人間に襲われ負傷した人間が更に感染し、それはあっという間に各地の国に広がり世界中をパニックにおとしいれていった。

 

 最初は日本から遠く離れた海外の話。テレビのニュースの中だけの話だといまいち実感はわかなかったが、すぐに嫌という程思い知らされるはめになってしまった。

 

 あの日、俺は同じ大学に通う付き合いたての彼女、亜由美あゆみとアウトレットに買い物に出かけていた。


 「ねぇねぇ、これどう思う? 似合うかな?」


 二層構造のアウトレットの二階の洋服店で亜由美と服を探していると、気に入ったのだろうか一着の白いワンピースを手に掲げた亜由美が嬉しそうに僕にそれを見せてきた。その白いワンピースを彼女が実際に着ている姿を想像すると、空が青く晴れ渡り、風に揺れる草原の中でまるで天使のような彼女が無邪気な笑顔を僕に向けてくれているというまるでドラマのワンシーンのような光景が頭の中に浮かんできた。

 

 そんな光景の中の彼女を僕は心から愛おしく想い、最高にその服が似合っていたということを正直に亜由美に伝える。


「やばいな。似合いすぎだぞ。そろそろ法に触れるかもしれないな」


「あはは! 何言ってんの! ほんと、調子いいんだから」


 そんなことを言いながら亜由美あゆみは少し照れくさそうに笑った。似合っていると言われて心底嬉しいのだろうが、彼女は大人ぶってそんな態度を隠そうとしている。俺からすれば亜由美あゆみのそんな思惑などお見通しだったがそんな所が彼女を更に魅力的に思わせた。


「……お客様」


 そんなやり取りをしていた俺たちの傍にいつの間に近づいてきていた店員が声を掛けてきた。きっと俺たちの様子を見てこの服の購入を検討しているのだろうとふんだに違いない。目ざとい店員だ。

 

 服を探している時に店員に声を掛けられるのは正直苦手だったが、今は丁度都合が良かった。颯爽さっそうとこの服の購入を店員に伝えて亜由美あゆみに良い所を見せてやろうと俺は店員に顔を向けた。


「丁度良かった。この服を……」


「お客様……お客様ァァァァァァァ!!!!」


「……っ!? なんだよ!?」

 

 俺が店員に顔を向けるとその店員は叫び声を上げながら突然、俺に掴みかかって来た。俺は咄嗟にその店員の腕を掴んで押さえつける。それでも店員はさらに物凄い力で俺の手を振りほどこうと暴れている。ふとその店員の顔を見ると、見開かれた目は白く濁っていて、歯を剥き出しにした口からはよだれが絶え間なく流れ出している。


「くそ! コイツ感染してるぞ!! みんな逃げろ!!」


 その店員の様子はテレビで見た例のウイルス【ラナウェイ】に感染した人間そのものだった。俺は大声でそのことを周囲に伝える為に叫び、そしてなんとかして店員を突き飛ばした。そして近くにあった子供服を着た小さなマネキンを抱き抱えるとそれを振り上げて店員に向かって思いっきり振り落とした。

 

 鈍い音と店員のくぐもった悲鳴が聞こえる。


「キャァァァァァァァァ!!」


「感染者だって!? どうしてこんなところに……!!」


「おい! 誰か早く警察を呼べ!!」


 その瞬間に店内はまるでハチの巣を突いたかのような大騒ぎとなった。店内にいた客たちが我さきにと店の外へ逃げ出していく中、他にも感染者が潜んでいたのか二人の男が俺たちに向かって奇声を上げながら向かってきていた。


「亜由美!! 俺の後ろにいろ! 絶対に離れるなよ!」

 

 亜由美を俺の後ろに避難させ、迫ってくる二人の感染者を待ち構える。そして奴らが飛び掛かってこようとするその瞬間、俺は咄嗟とっさに身をかがめて拳を握りしめると感染者のあごに向けてすくいあげるように拳を突き上げる。

 

 そうして豪快に吹き飛ぶ感染者を後目にもう一人の感染者に回し蹴りを放ち蹴り飛ばした。

 

 普段、とくに運動神経が良いという訳でもない俺がこんなに動けるなんて、突然、この異常事態に巻き込まれたことによる火事場の馬鹿力というやつなのか、それとも亜由美あゆみを守りたいという一心で俺に秘められた力が開花したのかそれは分からなかったが、とにかく今は都合が良い。


亜由美あゆみ! とにかく逃げるぞ!」


 俺は亜由美あゆみの手を握り、店外へと飛び出した。するとアウトレット中がすでに大パニックに陥っており、逃げ惑う人々やあちこちから聞こえる悲鳴で阿鼻叫喚だった。  

 

 とにかく外に脱出せねばと階段へ向かうと、もう既に多くの人間が感染させられたのか、買い物客や店員、警備員などが一斉に階段を駆け上がってきて俺たちの方へと向かってきた。

 

 どうしたものかとふと亜由美あゆみの方へ視線を向けると、普段は明るい彼女がすっかり怯え切っている表情を浮かべているのを見て心が痛くなった。そんな彼女を必ず守らないといけない、そう決意をした俺は近くにあった店の広告の旗が括りつけられてるポールを手に取るとそれを槍のように構えて、正面から迫りくる感染者たちを静かに見据えた。


亜由美あゆみには指一本触れさせねぇぞ……かかってこい!!」


 そうして俺は亜由美あゆみを守るため、アウトレットから脱出するため、果敢に感染者に戦いを挑むのだった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 あの夏が過ぎてからそろそろ一カ月が過ぎようとしている。あのアウトレットの事件以来、私はすっかり時の人になっていた。マスコミから警察、そして医療機関など様々な方面から注目されている。

 今日も私はこうして警察立ち合いの下で、彼の入院する病院で担当医師たちと話をしている。


「では、店内で突然様子がおかしくなったんですね?」


「はい……話しかけてきた店員に向かっていきなり怒鳴ったかと思ったら殴り飛ばして……」


「それで止めようとした男性二人にも暴行を加えたと……その時の彼の表情などは見ていましたか?」


「なんだか、すごく興奮していて目の焦点が合っていなかった気がします……私が声を掛けても聞こえていないみたいで……そのまま私の腕を掴んで……」


「店外に飛び出したという訳ですね? そうしてアウトレット内のあちこちで暴れたと……」


 そんな質問を幾度となく繰り返して、ようやく私は解放された。そうして今、私はベッドで眠る彼をガラス越しに眺めていた。

 

 アウトレットで突然暴れて、多くの負傷者を出した彼は警察によって捕まり。特例によって麻酔で眠らされた後、病院で検査された結果、例のウイルス【ラナウェイ】に感染していることが判明した。日本国内ではまだほとんど確認されていなかったこともあり、人々の受けた衝撃は計り知れないものではあったけれどそんなことはどうでもよかった。

 

 あの時、正気を失った彼に腕を掴まれて私は正直とても怖かった。だけど途中であることに気が付いたんだ。彼が私にだけは決して危害を与えようとしなかったことに……それどころか、彼は私を守ろうとしているようにさえ見えた。

 

 人を見境なく襲うと言われている【ラナウェイ】に感染してもなお、私のことを大切にしてくれようとしたんだ。たとえ、世間が彼をなんと言っても、私がなにを言われても、私は決して彼を見捨てない。今度は私が彼を守る番なんだ。


「……ありがとう」


 ガラス越しに眠ったままの彼を見つめ、私は独り言のようにそう呟いた。

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