7頁~~ホムンクルスは最後に笑う~~

 私は冷たい培養液ばいようえきの中で目を覚ました。初めて目にしたのは硝子がらすの向こう側の機械の群れと白衣を着た男性だった。

  

 「予定通り肉体年齢はおよそ15歳。バイタルは安定しています。成功ですよ! 白野はくの博士!」


 他の白衣を着た人たちが男性の近くに集まって私を眺めている。白野はくの博士と呼ばれた男性が私を造ったらしいということを私はぼんやりとした意識の中で理解していた。無機質な試験管の中で造られ、培養液ばいようえきで育った人造人間、所謂いわゆる、ホムンクルス。それが私だ。

 

 初めて培養液ばいようえきの外に出たその日から、私の人間としての日々が始まった。


 博士はいろんな事を教えてくれた。人間らしい振る舞い、人間らしい教養……私は人間の模倣もほう随分ずいぶんと上手くなった。表情を変化させることだけはどうも苦手だったけれど、博士の喜び様を見る限り、期待値以上の成果だったみたいだ。


 私には認識番号が割り振られていたけど、博士は私に名前を付けた。【アヤ】それが私の名前らしい。

 博士との食事。博士との買い物。博士との映画鑑賞。博士の要望には全て応じる。

 ある日、博士が私に新しい要望をしてきた。。


 「なぁ、お父さんと呼んでくれないか? 今日から博士と呼ぶのは禁止だ」


 私がお父さんと呼ぶと、お父さんは目を細めて笑った。

 その様子を見ると何かが満ち足りたような感覚がした。もしかするとこれが嬉しいという感情なのかとも思ったけど確信は無い。知識としては知っていたけど今までそんな感情を抱いたことが無かったからだ。だけど、その知識とこの感覚を照らし合わせた結果、きっとこれが嬉しいという感情なのだろうと判断した。


 その翌日、食事を終えた後でお父さんが椅子に深く座り直すと真っ直ぐに私を見つめてきた。その様子に私は食器を片付けようとしていた手を止めた。するとお父さんが私も座るようにとうながしてきたから、言われた通りに座る。


 「アヤ、お前に話しておかないといけない」


 伏し目がちにそう言うお父さんの眼差しは真剣で、私は黙り込んだまま頷いた。


 「俺には昔、アヤナという娘がいたんだ。しかし事故で亡くなってしまってな……それで俺はもう一度、アヤナに会いたいという一心でホムンクルスの研究に没頭していたんだ。アヤナそっくりの体にアヤナの疑似人格を定着させ記憶を植え付けようとしたんだ。結果は散々なものだった。人格が定着しないどころか体の方も数日で機能が停止してしまった……アヤナが死んだ時の再現、娘を何度も殺しているような気がして、もうこんな事は二度としないと決めた」


 お父さんの表情は苦痛に耐えるかのように歪んでいて、息は荒く息遣いの音が私の耳に届いた。それは映画で見た懺悔ざんげという行為に見えたけど、お父さんはまるで私に謝っているかのようにも思えた。どうしてそう思ったのかは分からない。


 「最後に生まれたのが『アヤ』お前だった。その瞬間はまるでアヤナと再会を果たしたかのようだったよ。もっとも、お前はアヤナと見た目はそっくりでも性格は全然違ったんだけどな。俺の言う事なんか全然聞きやしなかったアヤナと違ってお前は優しい良い子だった。アヤナで無かったとしても、お前はアヤという俺のもう一人の娘だ」


 ガタッと椅子と床と擦れる音がお父さんと私だけの空間に割り込むように響き渡る。お父さんが私の座る椅子まで近づいてきた。すると、お父さんの大きな手が私の手を握った。私の冷たい手がお父さんの暖かさに包まれ、体温を取り戻す。

 私を真っすぐに見つめるお父さんの瞳には私がいた。きっと私の瞳の中にはお父さんがいるのだろう。


 「子に聞かせるような話では無かったかもしれないが、それでもお前にはちゃんと話しておきたかったんだ。多くの我が子を死なせた愚かな父親だが、アヤ、お前は俺のことを父親だと認めてくれるか?」


 認めるも何も私を造ったのはお父さんであることは間違いようのない事実だ。私のお父さんは彼以外に存在しない。私はコクリと頷いてみせる。するとお父さんは先ほどまで緊張させていた表情を緩ませ、優しい笑顔を浮かべる。いつものお父さんだ。


 「本当にアヤは優しい子だな……ただ、表情が乏しいのはいただけない。お前の唯一の苦手分野だな。せっかくの綺麗な顔が勿体ないぞ。これからゆっくり練習だな」


 私はいつものように頷いた。お父さんの頼みなら必ずやり遂げてみせる。




 私が生まれてから半年が経とうとしていたある日。突然、私の体に異変が起きた。意志とは関係なしに手は震えて視界がぼやける。歩こうとすれば自分の体重を支え切れずに床にしてしまった。

 ぼやける視界の中、お父さんが私に駆け寄ってきて何かを叫んでいたけれど、何を言っているのかは聞き取ることができなかった。分かったことは私はお父さんに抱き抱えられベッドに寝かせられたことぐらいだ。

 それから日に日に私の容態は悪化していった。足はピクリとも動かなくなり、片目の視力は失った。体の一部に至ってはまるで風化した泥人形のように崩れ始めていた。


 「くそっ! どうしてだ……! どうして……!」


 お父さんは私が倒れてからずっと付きっきりで私に薬を飲ませたり、注射を打ったりしている。それでも私の容態が良くなることはなかった。

 私はもう分かっていた。自分の体はもう限界だということを。それが何を意味するのかも私はもう分かっている。

 まだかろうじて動く手でお父さんの手を握る。お父さんは驚いた顔をして、すぐに私の手を握り返してくれた。その瞬間に私の体は一気に崩れ始めた。足は砕けてちりのようになり。腕はまるで砂時計の砂が流れ落ちるようにサラサラと崩れていく。

 お父さんは声にならない悲鳴をあげて私の体にすがり付いてきた。その目からは涙が取り止めなく溢れ出している。そんなお父さんの表情は見ていたくなかった。私はいつもの笑っているお父さんでいて欲しかった。

 私は未だに感情というものがどういうものなのかよく分からない。哀しいという感情も分からないし、怒りという感情も分からない。だけど、どこか覚えのある感情が私の中に確かにあった。それは嬉しいという感情だ。

 

 私の為にお父さんが頑張ってくれているのが嬉しかった。

 

 私の為にお父さんが涙を流し、悲しんでくれていることが嬉しかった。

 

 お父さんが私を造ってくれて嬉しかった。

 

 お父さんが私に名前を付けてくれたのが嬉しかった。


 お父さんと一緒にいられたことが嬉しかった。


 「アヤ……なんだお前……ちゃんと笑えるんじゃないか……」


 ああ、よかった。やっとまたお父さんが笑ってくれた。

 もしも願いが叶うなら……またお父さんの娘として生まれたいな。

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